第一〇九話 涼州反乱
中平元年(一八四年)の冬、西方からも漢室を脅かす脅威があった。少し遡るが、皇甫嵩と朱儁の活躍で終息つつあった黄巾の乱をよそに、西方の涼州で地元民を巻き込んだ異民族の反乱が起こっていた。
首領は宋建と王国という二人で、その軍は涼州義従と呼ばれた。
義従とは、漢に帰属した異民族だ。漢を取り巻く異民族の間でも争いが絶えず、敗れて漢に服従する一派も少なからず存在していた。
涼州の反乱には、北地郡の先零羌族(羌族の一派)や、枹罕郡や河関郡などの群盗らも絡んでいるという。
涼州刺史の耿鄙が起用した程球という人物が管財を私的に貪り、人民から恨まれていた事から、宋建と王国が担ぎ出されて反乱を起こした経緯があった。
その宋建と王国は、湟中郡の月氏(西方異民族の一つ)の義従(義従胡とも呼ばれた。胡は異民族の総称)である北宮伯玉と李文侯の二人を担ぎ出した。この二人を将軍として擁立し、彼らは金城郡に攻め入った。
北宮伯玉と李文侯が金城郡に攻め入ったのには理由がある。異民族から一目置かれていた二人の人物、金城従事の韓約、新安県令の前任者で辺允を自陣に招くためだ。
金城太守の陳懿は恐れ慄いた。和平の使者として韓約を遣わしたが、王国は韓約を人質に取ると、金城県に突入して混乱に陥れた。
王国の攻撃は激しく、太守の陳懿はもちろん、共に駐屯していた護羌校尉(羌族担当将軍)の伶徴も一網打尽で討ち取った。
その後、捕虜となった韓約と辺允は反乱軍に請われて軍参謀に擁立された。
韓約と辺允にその意志はなかったが、噂が噂を呼んでこの二人が賊に投降して協力していると見做され、涼州では韓約と辺允を討ち取った者には千戸侯を与えるという懸賞がかけられた。
それを知った韓約と辺允は、二度と漢の官界には戻れないと確信し、それぞれ韓遂と辺章に名を改め、反乱軍に正式に加わった。後々、この二人が涼州での反乱軍の中心人物となる。
中平二年(一八五年)になると、さらに各地で新たなる反乱が巻き起こる。
三月、反乱軍の首領である北宮伯玉と李文侯らは、韓遂と辺章に軍勢数万騎を率いさせて長安を中心とした地域の三輔地方に侵攻して園陵(前漢皇室の御陵……皇室墓)に迫った。
皇室の園陵を賊軍に荒らされるのは、四百年の長きに渡って君臨してきた漢王室の沽券に関わる。
朝廷は左車騎将軍である皇甫嵩と共に、破虜将軍に任命された中郎将の董卓を副官として征討させた。だが、皇甫嵩と董卓はさしたる功績を挙げる事ができず、遂には罷免されて帰還する事になった。
皇甫嵩の免官には裏があった。連戦連敗の上に軍費が嵩んでいると、張譲と趙忠が上奏したからだ。罷免の報が皇甫嵩に届いた時、董卓は皇甫嵩の耳に癇の触る佞言を吹き込んだ。
「皇甫将軍。ここだけの話ですが、張中常より伝言が……。五千万銭を納めればこの度の免官はなかった事にしてやると。もちろん、そんな戯言など一蹴してやりました」
皇甫嵩は心の中で思った……、董卓は裏で張譲と繋がっているのではないかと。
今回の討伐が思うように行かなかったのは、董卓が足を引っ張っていたような節が見受けられたからだ。しかも一緒に討伐に応った董卓の罷免は皆無だった。
董卓と張譲の関係で怪しいのは、奉車都尉で董卓の弟である董旻だ。
だからと言って有力な証拠もなく、何より部下である董卓への責任転嫁だと受け取られるのは自分の恥を晒すも同然。
「ありがとうございます、董中郎将。潔く勅使に従うまでです」
皇甫嵩は平静を装ったが地団駄を踏む思いだった。黄巾賊の拠点で張角をあと一歩まで追い詰めておきながら、宦官の讒言により失脚した盧植の無念を今、この身をもって知らされた。
黄巾賊と繋がっていた事が発覚したにも関わらず、さしたる罰も与えず側近として宦官たちを重用する朝廷に、皇甫嵩は憤りを感じずにはいられなかった。
皇甫嵩は罷免されたのみならず、秋になると京師に召し返され、左車騎将軍の印綬とさらに所領六千戸を没収され、都郷侯二千戸に戻された。
その間にも辺章と韓遂の軍は、長安から目と鼻の先にある美陽県へ侵攻した。
八月には罷免された皇甫嵩に代わって司空の張温が車騎将軍に任命された。張温は南陽郡の出身で字を伯慎という。
かつて曹操の祖父である曹騰の推挙で頭角を表し、潁川太守や尚書令などを歴任したが、司空になる為に大金を支払ったという曰く付きの人物でもある。
副将には執金吾の袁滂、そして盪寇将軍の周慎、議郎の趙岐を長史に、公孫瓚も烏桓突騎(烏桓族の騎兵部隊)に対する備えとして招集された。
さらに昨年の黄巾の乱で功績のあった孫堅と、西羌族の討伐で大功をあげた議郎の陶謙を軍参謀に招いて、十余万の歩騎を引き連れて長安に駐屯した。
陶謙は字を恭祖といい、揚州丹陽郡の出身である。丹陽郡は強兵の産地とされる土地柄だ。
その陶謙は、黄巾の乱が始まる以前、皇甫嵩と共に西羌族を討伐した実績を挙げ、その後は幽州刺史から議郎に昇進し、この度の討伐軍に招集された。
孫堅と陶謙に続いて、張純という中山国の相も自ら従軍を願い出た。張温は、粗暴な性格だった張純を煙たがり却下した。
後々、張温のこの采配が思わぬ事態を巻き起こす禍根の種となる。
張純の代わりに公孫瓚を従軍させたが、烏桓族による幽州での反乱鎮圧の為、すぐ幽州に戻ってしまう。
さらに董卓も招集を受けたが、事もあろうに董卓は長安にかなり遅れての参陣をした。遅参という失態にも関わらず張温との面会では横柄な態度で接している。
さらに董卓は詰問中にも関わらず勝手に席を立って用を足してくるという始末。我慢できずに側にいた孫堅が張温に耳打ちした。
「明公(将軍)。あの董卓のエラそうな態度は許したらあきまへんで。招集に遅れたんやから軍法に照らして斬刑に処さなアカンですよ」
「まぁ、待て。董卓は以前より隴、蜀の一帯で威名を轟かせている。遅参したくらいで彼を殺せば西方を平定する手立てがなくなるぞ」
張温も他の者に聞こえぬように孫堅に耳打ちを返した。張温は涼州を熟知した董卓を当てにしていたのだ。だが孫堅も譲らず今度は張温に対し耳打ちせずに直に喋りかけた。
「そやけど、天子の命を受けて軍勢を率いてるんは張明公やないですか。董卓なんかに頼らんでもワイらが賊軍を破りますさかい。それにな、董卓の罪は遅参した事だけやおまへん。天子の勅命を受けとる上官に対する不遜の罪、自分の故郷での反乱やのに直ぐに討伐せんと見て見ぬフリしてやる気が無い罪、最後は、敗戦ばっかりで戦功もないのにグダグダ言うて生き長らえとる罪ですわっ。ここで厳しい処断せんかったら明公の威信にも関わりまっせっ」
孫堅の血相を変えた顔に張温は怯んだが、その場を取り繕ってごまかそうとした。揉め事が起こるのを心配したのだろう。
「君はひとまず退席した方がいい。このままだと董将軍に目を付けられるぞ。皆の者も先ほど孫将軍の言った事は忘れてくれ」
場の空気は静まり返っている。そこに用を足した董卓が戻ってきた。孫堅は董卓を睨むとすぐに軍議の席を外して退出した。董卓は後に張温と孫堅のやり取りを伝え聞いて孫堅を憎むようになる。
それだけでなく、孫堅を咎めなかった張温すらも逆恨みした。
かくして張温率いる禁軍は長安にて勢揃いすると近隣の美陽県に進軍し、辺章と韓遂の連合反乱軍を前に対峙した。




