第一〇七話 反転攻勢
朝堂内がざわめき始めた。皇帝も立ち上がって王允の挙動を見ている。王允が拡げた書簡に興味津々のようだ。
「この書簡は、黄巾賊の首領を生け捕りにした際に手に入れたモノです。宦者の張譲が逆賊と款を通じていたことを証明する書簡でありますっ、然とご覧あれ!」
張譲は狼狽した。太平道と交わした書簡はすべて焼き払っている筈だ。証拠などある訳がない。誰かの捏ち上げに違いない。
(いや、待て――。自分に抜かりがなくても、太平道の連中から出た証拠ならば――)
張譲は背筋が凍るような思いにかられた。もはや一巻の終わりか、と観念しそうになった。
王允が手にしている書簡は、十年前に北部尉の任にあった若き曹操が偶然、蹇碩の伯父から入手した極秘の書簡である。
曹操は戦乱のどさくさに紛れて孫堅にその書簡を持たせ、王允の手に渡るように仕向けたのだ。
王允なら必ずこの件を告発し、張譲を糾弾するに違いない。黄巾の乱が終息した今この時、張譲を葬り去る千載一遇の好機だ。
曹操の狙い通りに機運は動いた。人影に隠れて笑みを堪える曹操がいた。
張譲はまるで子供のように叫びながら王允に駆け寄り、その書簡を奪おうとするが逆に蹴飛ばされて床に寝転んでしまった。
「逆賊めがっ、ワシに近寄るでないっ!」
王允の気迫は凄まじい。張譲もその気迫に押されて動けず、地べたに這いずってただ泣くばかりである。
「陛下! これは何かの間違いです。誰かが私を陥れようと企んでおるのです!」
こんな哀れな姿の張譲を見るのは皇帝ですら初めてであった。まるで父のように母のように親しんできた人物が、こんなにも哀れな姿で訴えかけてくるとは。
「これはどういう事だ? 王予州。朕にわかるように説明しろっ」
皇帝直々に言葉を発した。その間に張譲は周りにいた宦官たちに助け起こされている。
予州刺史の王允は、その様子を見下ろすように睨みつけていた。
「御意に御座います、陛下。日付から見るとこの書簡が書かれたのは、熹平四年(一七五年)のことであり、かれこれ十年近く前です。逆賊の張譲は、あろうことか、十年も前から陛下を裏切り続けていたのです! この書簡は、張譲の賓客から宛てられた書状であり、その内容は言うも悍ましき内容に御座います!」
「何ィ!?」
王允の直の奏上に皇帝は眉を顰めたが、王允は構わずに続けた。
「この書簡は西華での激戦の末に逆賊の首領たちを捕獲し、その賊ども取り調べた際に発見された書簡なのです。どうぞ御覧下さいませ、陛下っ!」
王允はそう言うと皇帝の前に跪いて両手を掲げた。掲げた両手には書簡が携えられている。
皇帝は書簡を手に取って暫し黙読した。冕冠(皇帝専用の冠)の前後に付いている旒(宝玉を糸で繋いだ簀垂れの様な装飾品)の奥にある表情はどんどん強張っていく。
「ほう……。なるほど、朕と張中常でしか知り得ない事も書いてあるぞ。張譲……貴様、これはどういう事だ!」
「ッヒ!」
張譲は抱き起こされた直後に拘わらず、すぐに地べたへ臥して額を地面に打ち付け、泣き声を上げ始めた。
「ううう、これは何かの間違いですぅ。誰かがっ、私を、おとしいれようと企んでおるのですっ。陛下ぁあ!」
なんども地に額を打ち付ける張譲。青白い額からは血が滲みはじめていた。
「見え透いた嘘をほざくな、張譲っ。貴様の悪行はすでに天下に知れ渡っているぞっ。しかも黄巾の賊徒と款を通じていたとは、何たる不届き者よっ。貴様の様な悍ましき奸物は即刻、刑場の露となるべきだっ!」
王允は張譲を指さして力強く言い放った。
皇帝も身を震わせて張譲を睨みつけ、王允から預かった書簡を張譲の頭に向けて投げつけて詰った。
「張譲っ、貴様よくもっ、賊徒と通じておったな! 封諝や徐奉に続き、貴様までも……! 党人らが賊を扇動しているだとか、国家転覆の計を論じているから危険だと言うから、奴らに禁錮の刑を与えたのだ。なのに、このあり様は何だ!?」
「で、ですから、私じゃあないんですよ、陛下っ。話だけでも聞いて下さいませっ」
王允は皇帝が張譲を許してしまうのではないかという恐れを抱いた。が、皇帝は続けて張譲に詰問する。
「話だと? 朕の話より先に貴様の話を聞けだとっ。よくも抜け抜けと!」
「き、聞きますっ、聞かせて下さいっ」
さらに地に頭を打ち付けながら土下座を繰り返す張譲。
「では、朕の考えを聞かせてやろう。貴様や封諝らが刑を与えた党人たちを復帰させて、貴様を裁かせてやろうか? いや、やはり朕が裁いてやるっ。車裂きの刑だけでとても足りんぞ」
「ひぃい、わ、私の話だけでも聞いてくださいませぇ!」
張譲が顔をあげると額から流れ出る血で、顔面が朱く染まっている。
「誰が顔を上げて良いと言ったのだっ!」
皇帝は張譲の眼前に詰め寄って唾を吐き掛けた。王允はここで一気に畳み掛けようと、もう一言付け加える。
「陛下、この書簡をよく読んで頂ければわかると思いますが、賊徒の反乱に加わろうとしたのは、この張譲だけでは御座いません。いわゆる十常侍と呼ばれている宦者どもの多くが関わっていると思われるのです」
「陛下っ、王予州の言われる通りで御座います。発言することを許可して下さいっ、説明だけでもさせて下さいませ!」
王允は張譲の計算高さとその強かさをまだ知らず、皇帝の前で怒りを露わにした。
「黙れっ、張譲! まだ、陛下を誑かそうとするのかっ?」
張譲は王允の言葉を好機と捉えて、生気を取り戻したかの如く喋り始めた。
「陛下が私ごときに誑かされるとでも? 天命により中原を治める全知全能のご神体で在らせられるぞっ。貴様のその言葉は、陛下を侮辱するに等しい!」
「なっ、っぐ……、開き直りおって……!」
王允は言葉を詰まらせて眉間にしわ寄せ目を見開いた。すかさず張譲は舌論による反撃に出る。




