第一〇六話 論功行賞
黄巾賊と仇名された太平道の乱は、勃発より十ヶ月近く経ってようやく終結し、再び中原に平穏な日々が訪れた。――ただし、それはほんの束の間の日々でしかなかった。
光和七年(一八四年)十二月、己巳の日(二九日)。
反乱の鎮圧で功績を挙げた諸将たちは雒陽に凱旋し、南宮の前殿にある社稷宗廟殿の前で戦勝報告を行う為、皇帝を先頭として整然と整列していた。
後漢が始まって以来の全国規模の反乱であり、文字通り漢の社稷を崩しかねない危機を乗り切ったのだ。
大功のあった皇甫嵩や朱儁だけでなく、反乱討伐で戦果のあった数々の諸将も論功行賞に与り、その栄誉を皆で分かち合う。
新年まであと三日にも拘わらず、十二月中に中平と改年(改元)し、光和七年は中平元年となった。
天下を揺るがす大反乱があった事実さえ、歴史の闇へと葬り去るかのごとき改元であったといえよう。
皇甫嵩は黄巾賊の本拠地である冀州を制し、賊の首魁を殲滅した功績を持って、冀州の刺史に任命された。刺史とは、州を統括する最高長官である。
さらには槐里県の候爵となり、槐里県と隣の美陽県を合わせて八千戸の食邑(領地)を有する事になった。
皇甫嵩は賜った恩賞に甘んじることなく、被った恩恵を人民へ還元する為、冀州の年貢を一年間免除するように申請した。
「私如きに身に余る光栄。それよりは疲弊した人民への慰撫を優先させたく存じます」
後に人民らは大いに皇甫嵩を敬い、さらには歌にして――
――天下の大乱で街は廃墟になり、母は子供を棄て妻は夫を失った。だけど皇甫様がいる限り、また安心して暮らせる日を取り戻せるだろう――
――と称えたという。
一方、皇甫嵩に劣らぬほどの功績を残した朱儁は、南陽の黄巾賊の討伐に手こずらされた為に、雒陽への凱旋は、やや遅れて翌年を迎えてからの事であった。
すでに右車騎将軍に任命されていた朱儁は、改めて光禄大夫という名誉職に就き、食邑五千戸を加増されて銭塘侯に転封したが、この後すぐに母を亡くして官を去る事になる。
どんなに素晴らしい功績があろうと、両親の死においては官を辞してまで喪に服す、儒教の教えが浸透している時代の厳しい習わしであった。
そして、皇甫嵩の司馬である傅燮と、朱儁の司馬である孫堅らも、二人の車騎将軍に随行してその功績を褒賞された。
黄巾賊討伐軍の論功行賞の舞台は、社稷を祀る宗廟から朝廷の政務を司る朝堂に移って成されるが、この席でさらに朝廷内を揺るがす事件が起こる。
不遜にも遅れ気味で朝堂に出席した張譲は、そこで信じられない光景を目にした。
「孟徳……!」
張譲は思わず口に漏らしてしまった事を後悔したが、小声だったので誰にも気付かれなかったようだ。
(何故――! 死んだのではなかったのか――)
青白い張譲の顔がさらに顔面蒼白となっている。その顔は驚きから段々と怒りに変わっていった。
潁川郡で援軍として大活躍の最中、名誉の戦死を遂げたと思われていた、あの曹操が朝堂に参代しているではないか。
それはもちろん、曹操が死を装っていただけに過ぎないのだが――。
他の諸将も半年ぶりの彼の存命に驚いたが、誰よりも驚き慄いたのが張譲である。
結果的には大失敗に終わってしまったが、漢室を裏切って太平道(黄巾)の反乱に加担するように説き、曹操にそれを実行させようとしたのだから。
(騙したな――! まさか生き残っているとは。おめおめと生きて帰るなどと、この面汚しめ――)
張譲は心の中でそう呟いていることだろう。曹操は張譲の表情を見て心の内を読み取った。また得意の讒言で曹操を葬り去ろうとするに違いない。
曹操の口元には不適な笑みが浮かび上がっていた……が、やはり凄まじい視線を張譲の両眼から感じ取れる。さすがの曹操も内心では背筋に冷や汗が落ちるのを感じる。
「賊討伐に多大なる貢献を寄与しつつも、戦陣にて人事不省に陥りながらも、見事生還を果たした曹騎都尉に功臣の令を封ずる――」
二人の暗闘をよそに、曹操は騎都尉として賊徒討伐の功績を認められて、青州済南国の相(執政官。郡の太守に相当)に任じられた。
激戦の中で負傷した曹操は、密かに部下に救出されて人事不省のまま数ヶ月間も目が覚めなかった、という報告書を提出していた。
同じく激戦の最中に人事不省になった孫堅が、たった十日ほどで戦場に戻ったが、数ヶ月も行方を晦ました曹操も論功される事に、不服なのは張譲だけではなかった。
だが、戦勝酔いしれるこの時期に無粋と、晴れて今回の論功行賞に預かること事ができた。
「曹騎都尉の報奨に物申したい!」
張譲は激しく甲高い声を張り上げた。此処において張譲の意見を無視できる者など誰一人としていない……そう、皇帝でさえも。
しかし、張譲が一言述べる前に、遮ってきた別の怒声が鳴り響いてきた。
「陛下の面前で失礼致すが、早急にお伝えせねばならぬ件があります」
群臣の間を縫って、皇帝の眼前まで歩いて出てくる男がいた。
「何者だ、貴様っ。陛下の面前にいきなり躍り出て、公然と口を開くなどと言語道断も甚だしいっ。無礼千万極まりないであろうが!」
先ほどよりさらに甲高い声を張り上げる張譲。張り上げた声の向こうに立つ男は、予州刺史の王允である。
皇帝の前では勝手に発言をする事は許されていない。皇帝と直に話ができるのは、限られた高官と宦官である中常侍だけだ。
それ以外の者が、皇帝に直訴などすれば刑罰が下るのは免れない。王允の目には、覚悟を決めて死地に赴く尖兵の如き気迫を感じる。
「黙るのは貴様の方だっ。この国賊めがっ、これを見るがいいっ!」
王允は手に持っていた書簡を取り出し、皆の面前で書簡を両手で広げ頭の上で拡げて見せた。古びてはいるが、確りと作られた紙で出来た書簡である。




