一、ハスキー詰む
米国インディアナ州北東部の文化・経済の中心であるフォートウェイン市は、歴史、観光、教育、自然が豊富に調和した都市である。
その郊外にある閑静な住宅街に一匹の風変わりなハスキー犬がいた。
彼の名は「ロイ」。オスの二歳の成犬である。
よく世間では「ハスキーは小二男子」と言われるくらい落ち着きがない犬種であるが、
ロイの場合、それに輪を掛けて落ち着きがなかった。
その日も、ロイは日課である朝の裏庭パトロール中に、たまたま遭遇したリスを追いかけ回していた。
《待てい、小童ァァァッ!》
広々とした裏庭は、自然の息づかいがそのまま残されたような空間が広がり、
地面には柔らかい芝が一面に敷き詰められ、踏みしめるとわずかに沈み込んだ。
大小様々な木々がランダムに立っているが、どれも根元の土が盛り上がり、
長い年月をここで過ごしてきたことを感じさせる。
高い木は太い幹を空へ伸ばし、枝葉が大きな影を落とし、
若い木は細い幹をしならせながら風に揺れ、葉が触れ合うたびに小さなざわめきを生む。
朝の陽は木々の隙間からこぼれ、地面に明るいまだら模様を描き、
風が吹くと、その影がユラユラ揺れて庭全体がゆっくり呼吸しているように見えた。
全力で駆け回る大型犬には実にナイスな環境であるが、リスにしたら、堪ったものではない。
ロイは木漏れ日の中を、すばしこく走り抜けるリスを必死に追いかけた。
その動きは、まるで自然の中を自由に駆ける狼の名残を感じさせた。
ちなみに、遺伝子レベルでは柴犬の方がより狼に近いと言われている。
《待てい! 待てといったら、待たんかァァァッ!》
そう言われて待つヤツは、人であれリスであれ、まずいない。
リスは落ち葉を蹴り上げながら、木の根元をくるりと回り、幹を半周してから一気に上へ。
その動きは、まさに小さな弾丸が自然の迷路を駆け抜けているように目を見張るものだった。
当然、ロイも後に続いて一気に駆け上がったが、あと一歩のところで見失ってしまった。
《チッ、どこに行きおった? 今度見つけたら、必ずや成敗してくれよう》
どこかにリスが隠れていないかと辺りを見回しながら、ロイはふと見下ろした。
(んっ、高い。思ったより高い……)
しかし、誉れ高きハスキー犬として、ビビることなど由としないロイは強がった。
《ふむ……仮にワシが一国一城の主となった暁には、このような眺めを毎日楽しむのか。
下々の者たちよ、今日も励めよォォォォ!》
遠吠えまでかましたものの、心中穏やかではなかった。
(マズイ! マズイ、マズイ、マズイぞ! 腰が抜けて一歩も動けん! どうする、ワシ?!)
完全にパニックである。
事の一部始終を見ていた飼い主のロジャーは次のように語っている。
その日、私はいつものように庭のバルコニーでコーヒーを飲んでいました。
ロイは庭をパトロール中でしたが、突然――
『ワオォォォォン!!』
――という雄叫びと共に、ロイが全速力で走り出したんです。
原因はもちろん、庭でよく見かけるリスです。
それで追いかけているうちにテンション上がて、木を登り始めたんですよ。
私は思わず――
『おいロイ! やめろって! お前はハスキーだから、登れ――』
――って言い終わる前にロイは木に登り切ってしまいました。
いや~っ、ハスキーが木に登るなんて、初めて見ましたよ。
また、この様子を幹の物陰から見たリスは頬袋を膨らませながら――
(コイツ、勢いだけで生きてるタイプだな)
――と、思ってたとか、思わなかったとか。
余談ながら、ロイがサムライ口調なのは、日本時代劇オタクのロジャーの影響である。




