第39話、夢見たもの
宿敵・曹操を討ち果たし、漢の帝都・許都へと入城した孫策。
その威令は瞬く間に中華全土に行き渡り、北方に残っていた曹操軍の残党や、各地で様子を窺っていた諸侯たちも、次々と孫呉の旗の下へと降った。長きにわたり中華を覆っていた戦乱の時代は、ついに終わりを告げ、新たな時代の息吹が感じられ始めていた。
事実上の中華の覇者となった孫策であったが、彼は驕ることなく、まずは漢王朝の丞相として、戦乱によって荒廃した国土の復興と、疲弊しきった民の生活を安定させることに全力を注いだ。彼の目は、既に武力による制覇の先にある、真の太平の世を見据えていたのだ。
許都で保護された若き皇帝・劉協は、当初、強大な武力を持つ孫策に対して、深い警戒心と恐怖を抱いていた。
しかし、実際に接してみると、孫策が帝位を簒奪する素振りも見せず、むしろ漢室を尊重し、誠実に国政に取り組む姿に、次第に心を開いていった。
孫策もまた、傀儡として権力者に翻弄されながらも、国の行く末と民の安寧を真摯に願う劉協の人柄に触れ、敬意を抱くようになった。
出自も立場も全く異なる二人であったが、若い頃に流浪の苦労を経験したこと、そして何よりも民を思う心が通じ合ったのだろう、彼らの間にはいつしか、単なる君臣の関係を超えた、深い信頼と友情が芽生えていった。
やがて、都は戦火で荒れた許都から、かつての栄華を取り戻しつつあった旧都・洛陽へと遷された。
孫策の指揮の下、孫呉政権は、その得意とする水軍の技術を平和利用へと転換し、長江、黄河、淮水などを結ぶ広大な水運ネットワークを整備。これにより、物資の流通は劇的に改善され、中華全土の経済は目覚ましい復興を遂げた。
特に、東方の拠点として重点的に開発が進められていた建業は、海を介した対外貿易の窓口としても発展し、中華全土から富が集まる、空前の繁栄を誇る大都市へと変貌を遂げていた。
そして、孫策の家庭にも、確かな時の流れがあった。かつて周瑜の死という悲劇の中で生まれた息子・孫紹は、父・孫策の愛情、母・小喬の献身、そして伯母・大喬の温かい眼差し、さらには二張や魯粛といった賢臣たちの優れた教育を受け、聡明で心優しく、そして民を思う心を受け継いだ立派な若者へと成長していた。
彼は早くから父の政務を補佐し、その確かな才覚は、次代の孫呉を担う者として、周囲からの大きな期待を集めていた。
そんな穏やかで充実した日々が数年続いたある日、洛陽の宮殿で、皇帝・劉協が改まった様子で孫策を呼び出した。その真剣で、どこか決意を秘めた雰囲気に、孫策は常ならぬものを感じ取った。
二人きりになった玉座の間で、劉協は静かに、しかし揺るぎない口調で切り出した。
「丞相…いや、孫策殿。朕は、この漢の帝位を、貴殿に譲りたいと考えている。」
予想だにしなかった言葉に、孫策は驚愕した。
「何を仰せられます。この孫策、生涯をかけて漢室の臣として陛下をお支えする所存。帝位など、露ほども考えたことはありませぬ。」
しかし、劉協は穏やかに首を振り、続けた。
「いや、聞いてほしい。長き戦乱を終わらせ、この中華に真の安寧をもたらしたのは、紛れもなく貴殿の力だ。もはや、この漢王朝には、天下を治める徳も力も残されてはいない。それは、この朕自身が誰よりも痛感していること。真に民を幸福にし、この国を導くことができるのは、貴殿をおいて他にいない。どうか、朕の、そしてこの国の未来のための決断を、受け入れてはくれまいか。」
それでも、孫策は固辞した。
「陛下、そのように民を深く慈しみ、国の未来を真剣に憂慮されるお心こそ、真の天子たる者の証にございます。帝位は、陛下にこそ、ふさわしゅうございます。」
劉協は、その後も二度、三度と、言葉を尽くして禅譲を迫った。しかし、孫策は頑として首を縦に振らない。
その夜、劉協は孫策を私的な酒宴へと招き、二人きりで夜が更けるのも忘れ、語り合った。
董卓に脅え、曹操に利用され、皇帝という虚名の座で味わい続けた屈辱と無力感。
それでも捨てきれなかった、民への想いと、平和な世への願い…。
初めて明かされた皇帝の仮面の下にある、一人の人間としての苦悩と葛藤、そして未来への切実な祈りに、孫策の心は深く揺さぶられた。
(この方の想いもまた、俺が受け止め、そして未来へと繋いでいかねばならぬものなのか…。)
東の空が白み始める頃、孫策はついに決断した。
「陛下のお覚悟、お気持ち、しかと受け止めました。その大任、お受けいたします。ただし…」
彼は続けた。
「帝位に就くのは、この私ではありませぬ。真に新しい時代の象徴として、未来への希望を託す者として、我が息子、孫紹に、その大役をお任せいただけないでしょうか。まだ若輩ではありますが、彼は必ずや、陛下や私の、そして今は亡き者たちの想いをも受け継ぎ、民のための良き皇帝となるはずです。この私は、その生涯を賭して、彼を支え、後見いたします。」
翌日、洛陽の朝廷において、皇帝・劉協から、皇太子(この日のために定められた)孫紹への禅譲の意が、厳かに表明された。
多少の驚きや戸惑いの声はあったものの、事実上の最高権力者である孫策の強い後押しと、劉協自身の真摯な願いの前に、異を唱える者はなかった。
儀式は滞りなく執り行われ、ここに、約四百年の長きにわたり中華を統治してきた漢帝国は、静かにその歴史の幕を下ろした。そして、呉を国号とする、新たな王朝が誕生したのである。
初代皇帝として即位した若き孫紹は、父・孫策と、上皇となった劉協(彼は終生、手厚く遇された)の二人の「父」から受け継いだ理念――民を第一に思い、平和で豊かな国を築くという想い――を胸に、その治世を開始した。
魯粛、陸遜、諸葛瑾といった賢臣たち、そして太史慈、甘寧、呂蒙、馬超ら歴戦の名将たちが、若き皇帝を固く支えた。
戦乱の時代は終わり、中華にはようやく真の平和と、新たな繁栄の時代が訪れようとしていた。その礎を築き上げたのは、紛れもなく、江東の小覇王と謳われ、若くして中華の覇者となった孫策と、彼を支え続けた多くの人々であった。
襄陽の、今は穏やかな空気に満ちた屋敷では、大喬と小喬が、遠い洛陽からの吉報に、感慨深げに微笑み合っていた。
彼女たちの、そして今は亡き周瑜や、多くの人々の願いと祈りが、ようやくここに結実したのだ。
孫策の物語は、彼自身が帝冠を戴くことなく、しかし、彼が切り拓いた新しい時代の輝かしい幕開けと共に、静かに、しかし永遠に語り継がれるであろう伝説となって、その終わりを迎えようとしていた。




