第18話、天下二分
小喬の提案に端を発した、あの奇妙な一日から数日が過ぎた。
大喬と周瑜は秘密を共有し、孫策と小喬は少し親密になったが、ひとまず小喬の誤解は解け、四人の間には以前と変わらぬ穏やかな関係が戻った。
江東には再び政務に集中する日々が訪れ、揚州全土をその手に収めた孫策は、広大な領地を見渡し、次なる一手について深く思いを巡らせていた。
ある夜、孫策は周瑜を私室に招き、二人きりで卓上の地図を挟んだ。灯火に照らされた地図には、群雄が割拠する中華の複雑な勢力図が描かれている。
「周瑜、揚州は我らのものとなった。だが、ここで満足しているわけにはいかん。次なる一手をどう打つべきか、お前の考えを聞きたい。」
周瑜は、地図上の北方を指し示しながら、冷静に現状を分析を始めた。
「現在、河北では袁紹と曹操が激しく争っております。兵力や家柄では袁紹が勝りますが、用兵の巧みさ、人材の豊富さ、そして機を見るに敏な点では、曹操が一枚も二枚も上手かと。このまま推移すれば、いずれは曹操が河北を制する可能性が高いと愚考いたします。」
孫策も静かに頷く。彼の見立ても周瑜と同じだった。
周瑜は、次に地図上の長江流域、南へと指を滑らせた。
「我らが将来、その曹操と天下を争うためには、彼が河北を統一するまでの間に、我々も確固たる勢力基盤を築き上げねばなりませぬ。そのためには、まず西進し、我らの隣国である荊州を併呑すること。さらにその西、沃野千里と謳われる益州を手中に収めること。この二州を完全に掌握し、長江という天然の要害を盾とすれば、中華の南半分は我らのものとなりましょう。さすれば、北の曹操、南の我ら、という形で天下を二分し、国力を蓄え、最終決戦の時を待つことができます。」
周瑜が語る「天下二分の計」。
それは、孫策が漠然と抱いていた構想を、明確な道筋として示すものだった。孫策の双眸に、強い光が宿る。
「素晴らしいぞ、周瑜!その策、まさに我が意を得たり! まずは荊州…。」
彼の声に、抑えきれない感情がこもる。
「荊州を治めるは、劉表…。あの男こそ、我が父、孫堅の命を奪った仇敵!」
拳を握りしめ、孫策の体から激しい闘気が立ち昇る。戦略的な重要性だけでなく、父の仇討ちという個人的な宿願。荊州攻略は、彼にとって避けては通れぬ道だった。
「父上の無念を晴らし、荊州を手に入れる。周瑜、これが我らが次になすべき、新たなる始まりの戦いだ!」
「ああ。この周瑜も、孫策の覇業のため、力を尽くそう!」
若き二人の英雄の間で、固い誓いが交わされた。
その夜、孫策は寝室で、興奮冷めやらぬ様子で大喬に語った。周瑜と共に定めた壮大な計画、そして父の仇である劉表への強い思い。彼の瞳は、遠い戦場と輝かしい未来を見据えて燃えていた。
大喬は夫の言葉を静かに聞き、その決意をしっかりと受け止めた。彼の覇道を支えること、それが自分の務め。そして、そのためには何が必要か、彼女は即座に理解した。
(荊州…劉表…。そして、いずれは益州、さらには北の曹操…。これまでの江東の中とは訳が違う。戦うべき相手は、より広く、より強大になる。ならば、私の『目』と『耳』も、外へ、敵の内側へと向けなければ。劉表の動き、荊州内部の情勢、そして…江東から逃れた者たちが、もし荊州に集まっているとしたら…。内外からの脅威に備えねばならない。部隊を強化し、新たな情報網を、荊州へ向けて張り巡らせる必要があるわ。)
大喬は、夫に告げることなく、密かに新たな決意を固めていた。
その頃、大喬が危惧した通り、江東での再起を諦めた者たちは、次なる拠点を求めて動き出していた。孫策に敗れた豪族たちや、劉繇の残党等。彼らは、打倒孫策の旗印となりうる存在として、荊州の劉表に目をつけた。
ある者は劉表に庇護を求め、ある者はその幕僚に取り入ろうとし、またある者は荊州の地で潜伏し、再起の機会を窺う。
様々な思惑を持った不穏分子たちが、奇しくも孫策の次の標的となる地へと、吸い寄せられるように集結しつつあった。
揚州統一を果たし、次なる目標を定めた孫策。その覇道を陰で支え、守ろうと決意を新たにする大喬だった。




