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第15話、刺客の襲撃

内政もようやく軌道に乗り、江東の地には久しぶりに穏やかな空気が流れていた。


そんなある晴れた日のこと、孫策は日頃の激務から解放されたい気持ちもあり、また信頼する友との語らいを求め、周瑜を誘って遠乗りに出ることにした。


領内の視察も兼ねて、供は最小限に留め、二人は軽やかな足取りで皖城を出発した。

「少し気晴らしをしてくる。」と大喬に告げたその笑顔は、久しぶりに見る穏やかなものだった。


しかし、その平穏は水面下で蠢く者たちにとって待ち望んだ機会でもあった。


孫策に恨みを抱き、反旗の機会を窺う者たちの繋がりは、密かに、確実に広がっていた。孫策に取って代わろうという野心や、失地回復といった動機を持つ者たちの中で、ひときわ危険な覚悟を秘めていたのが、許貢に仕えていた食客たちだった。


彼らは数は少なかったが、主君の仇を討つためならば自らの命をも投げ出すことを厭わない、狂気にも似た忠誠心に燃えていた。

彼らは孫策の遠乗りを知ると、これを千載一遇の好機と捉えた。


孫策たちが城を出てしばらく経った頃、大喬のもとへ「許貢の食客を含む数名の武装集団が、孫策様の後を追った模様!」という緊迫した報せがもたらされた。


「なんですって…!? 」


大喬は血の気が引くのを感じた。最悪の事態が頭をよぎる。彼女は一瞬たりとも躊躇わなかった。


「急いで孫策様の後を追います!」


すぐさま駆けつけた孫尚香と、日頃から訓練を積んでいた数名の侍女たちが、大喬と共に屋敷を飛び出した。心臓が激しく打ち鳴らされ、馬を駆る足にも力が入る。間に合ってくれ、と祈るような気持ちだった。


息を切らして追いついたのは、城下を離れた、鬱蒼とした木々が両脇に迫る古道だった。

馬を止め、息を潜めて様子を窺うと、道の先で馬を並べて談笑する孫策と周瑜の姿が見える。


そして…その手前の茂みに、数名の男たちが身を潜め、弓を構えているのが見えた。陽光が、引き絞られた弓と矢尻に反射して鈍く光る。


「孫策様っ!」


叫びそうになる口を、大喬は咄嗟に手で押さえた。

ここで声を上げれば、刺客に気づかれ、矢は即座に放たれるだろう。しかし、どうすれば…?

自分が前に出て注意を促すべきか? いや、それでは間に合わないかもしれない。それに、自分がこんな活動をしていることを、孫策様はどう思うだろうか? 彼に隠れて、まるで彼を信じていないかのように動いていたことを知られたら…?


大喬が逡巡したその時。隣にいた孫尚香が動いた。彼女は驚くほど冷静に、そして素早く、背負っていた弓を手に取り、矢をつがえ、満月のように引き絞った。

狙いを定める時間は、ほとんどなかったはずだ。


ヒュッ!


鋭い風切り音と共に、矢は放たれた。

大きな弧を描き、矢は刺客たちの頭上を遥かに飛び越える。そして、孫策の馬の鼻先、数寸の地面に深々と突き刺さった!


「!?」


突然、足元に突き刺さった矢に、孫策と周瑜は瞬時に反応した。馬上の二人とは思えぬ俊敏さで周囲に視線を走らせ、茂みに潜む者たちの殺気を捉える。


「曲者かっ!」


孫策が叫ぶと同時に、周瑜も腰の剣に手をかけていた。

奇襲が完全に失敗したことを悟った刺客たちは、もはや隠れる意味もないとばかりに茂みから飛び出してきた。


「ええい、こうなれば力ずくだ!」


彼らは弓を捨て、抜き放った剣を手に、やけくそで孫策たちに襲いかかった。


しかし、相手が悪すぎた。孫策は愛用の戟を、周瑜は剣を抜き放ち、決死の覚悟で襲い来る刺客たちを冷静に迎え撃つ。


江東の二枚看板と称される二人の武は伊達ではない。数合打ち合う間もなく、刺客たちは次々と地に伏し、辺りはしばしの静寂に包まれた。


「今の矢は、一体…?」


周瑜が訝しげに呟く。孫策も、矢が飛んできた方向を見つめていたが、そこにはもう誰の姿もなかった。

大喬たちは、戦闘の混乱に乗じて、素早くその場を離脱していた。


屋敷に戻り、人払いをした私室で、大喬は厳しい表情で孫尚香に向き合った。


「尚香様! 先程の行いは、あまりにも無謀です! あのような状況で、もし万が一、矢が孫策様に当たっていたら、どうするつもりですか!」


彼女の声には、安堵と同時に抑えきれない怒りが滲んでいた。

しかし、孫尚香は少しも悪びれる様子を見せず、真っ直ぐな瞳で言い返した。


「義姉上のご心配は分かります。ですが、もしあの程度の不意の矢で命を落とすようなら、兄はその程度の男だった、ということですわ。」


「なっ…!」


言葉を失う大喬に、尚香は続けた。その声には、年若い少女とは思えぬほどの、凄みと覚悟が宿っていた。


「父上が亡くなってから…私達兄妹が、どれほどの屈辱に耐えてきたか、ご存じですか?嫌な相手に頭を下げ、泥水を啜るような思いをして…兄は、父上の大切な形見である玉璽さえ手放して、ようやく己の旗を立てたのです。江東の孫家は、皆、とうに覚悟は出来ているのです。いつ死んでも、悔いはない、と。」


その言葉は、大喬の胸に深く突き刺さった。これが、江東の虎の血を引く者たちの覚悟。

自分が考えていたよりも、遥かに苛烈で、そして強い絆で結ばれた一族の姿。自分はまだ、その本当の覚悟に触れていなかったのかもしれない。


その張り詰めた空気を破ったのは、孫尚香のからりとした笑い声だった。


「ま、ご心配なく。あの程度の距離で、狙った場所に当てられないほど、この孫尚香の腕ははやわではありませんから!」


彼女はそう言うと、悪戯っぽく片目をつむり、軽やかな足取りで部屋を出て行った。


残された大喬は、しばし呆然としていた。

孫尚香の奔放さ、その奥に秘められた揺るぎない覚悟と、兄への深い信頼。

そして、自分自身の甘さ。愛する人を守りたいという気持ちは同じでも、その覚悟の質が違うのかもしれない。


大喬は、改めて孫家の一員として生きることの意味を、そして自らの成すべきことを、深く考えさせられるのだった。

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