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エル・カルド(失われた聖剣)  作者: 夜田 眠依
第二十五章 生々流転
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198 補佐官の手紙

 ディランは手紙から顔を上げ、配達人へ静かに告げた。

 

「遠路、ご苦労だった」


 低く、無駄のない声。


 男は黙礼し、素早く馬首を返す。蹄が石を打つ音が、山道へと遠ざかっていった。


 ディランの指先が、封を元に戻す。

 わずかに、白くなる。


 そのまま視線を巡らせ、隊商を見回っていたトーニオを呼び止めた。


 草を踏みしめながら、にやにや顔の男がやってくる。新緑の匂いをまとった風が、その外套を揺らした。


「いや〜、山越えは毎度ひやひやするんだが、今回は助かるね。ポリクセニ様の計らいでファルカシュ兵がついてる。心強いもんだ」


 ディランは短くうなずき、封筒を懐へ収める。


「この先、エゼルウートへ直接向かうなら、どの道が安全だ」


 トーニオの笑みが消えた。


「……エゼルウート? ディルムラートへは行かないのか?」


「帝都へ帰れとの知らせだ」


 その言葉に、ユーシャスはわずかに顔を伏せた。花の揺れる音だけが耳に残る。


「そうか……。残念だな」


 トーニオは顎に手を当て、少し考える。


「山を越えた先にシャルペって町がある。そこから北西へ抜けると西回廊へ出られる」


「わかった。手を止めさせたな」


「気にするな」


 軽く手を振り、トーニオは去る。


 その背を見送りながら、ディランは目印の山の頂を見上げた。雲がゆっくりと流れ、小鳥の鳴き声が風に溶ける。


 やがて、低く呼ぶ。


「ユーシャス……」


 伏せていた彼女の顔が、ゆっくりと上がる。

 視界の端に、孔雀色の瞳が映った。


「一緒に、エゼルウートへ来てくれないか」


「……え?」


 言葉が追いつかない。


「エ、エゼルウート……ですか?」


「そうだ。東国人だということで、もしかしたら嫌な思いをさせるかもしれん。帝都は異国の人間に寛容にも偏狭にもなるところだ」


 かつて母セクアは、帝都に現れた最初のエル・カルド人として注目を浴びた。

 

 視線に囲まれ、噂に追われ、静かな暮らしは奪われた。

 ユーシャスを同じ目に遭わせたくはない。

 だが――。


「あの……ディルムラートへは?」


「フェルディナンド商会は、追手を排除できれば身元を引き受けると言っていた。だが今は、背後が見えん」


 最初の襲撃者は倒した。

 だが、糸を引く者がいる。

 その正体に辿り着くには、帝都にいるジーンの力が必要だった。


 手紙には、二つの内容。

 

 一つは帰還の勧め。

 

 そして追伸。


 ――『興味深いお客さんが一緒みたいだね。その東国のお嬢さんも連れておいで。楽しみにしているよ』


 ディランは、ユーシャスの名を書いたことは一度もない。同行者がいるとも伝えていない。


 それでも、あの補佐官は彼女の存在に辿り着いた。

 

 帝都にいながら。

 

「エゼルウートには協力者がいる。……どうする?」


 風が花を揺らす。

 ユーシャスは目を閉じ、胸の奥であの“声”を思い出す。


 ――その手を離すでない。


 ゆっくりと目を開いた。


「……行きます」


 迷いのない声だった。


「宿に着いたら、サムエルとマルコにも話そう」


 ディランが手を差し出す。


 ユーシャスは、まっすぐその手を取り、立ち上がる。


 指先が触れ合う。


 ふたりは花の中を並んで歩き、馬車へ戻る。


 風が、静かに吹いた。


 ユーシャスは振り返り、目印の山の向こうへ続く白い峰を見上げる。


 その気配が背中を優しく押した。


 ◇◇◇


 夕暮れ。


 山道を越え、隊商は小さな山宿へ辿り着いた。


 石積みの建物は質素で部屋数も少ない。町の隊商宿とは比べものにならない。


 客人であるディランたちと商会主ドナートが宿に入り、他の者たちは荷を囲んで野営することになっていた。


 外ではファルカシュ兵が焚き火を囲み、火の粉が宵闇に散る。

 大鍋をかき混ぜる女中の影が揺れていた。


「え……隊商を抜ける?」


 マルコの大声が、狭い部屋に響く。


「しっ……声が大きい」


 ディランが眉を寄せる。薄い壁の向こうには他の旅人の気配。


 マルコは慌てて口を押さえた。


 部屋には寝台が三つ。狭い空間を縫うように、サムエルがチェストを担いで入ってくる。


「サムエル。私とユーシャスはエゼルウートへ向かう。この先、シャルペで別れるつもりだ。お前とマルコは予定通りディルムラートへ行け」


 サムエルは眉を寄せ、ユーシャスを指さし、首を振る。


 マルコが訳す。


「ユーシャス様に、馬での移動は無理じゃないかって」


 続けて、サムエルは親指で自分の胸を叩く。


「自分も行く、ですって」


「来てくれるのか?」


 力強いうなずき。


 ディランは小さく息を吐いた。


「なら、ディルムラートへは手紙を出す。……マルコは――」


「嫌です!」


 即答だった。


「僕も一緒に行きます!」


「お前は見習いになるのだろう。帝都へ寄る余裕はない」


「でも……ユーリさんに『おふたりの世話をしなさい』って言われてます! ここで離れられません!」


「だめだ」


「嫌です!」


 目に涙がにじむ。


 その夜、マルコはふてくされたまま夕食をかき込み、さっさと寝台に潜り込んだ。


 ◇◇◇


 翌朝。


 出発の準備が整ったころ、慌ただしい足音が近づく。


「おい、あんたらの坊主がな――」


 トーニオが困り顔で飛び込んできた。


「『連れてってくれないなら動かない!』って、道の真ん中で寝転がってるぞ……」


 ディランとユーシャスは顔を見合わせ、列の先頭へ向かう。

 そこには、石畳の轍の上で両手両足を突っ張ったマルコがいた。

 

 旅人たちが遠巻きに眺め、くすくす笑っている。


「マルコ、何をしている!」


「僕もエゼルウートへ行きます! 動きませんから!」


 護衛やファルカシュ兵までもが面白がっている。


 ディランは額を押さえ、無言でマルコの足首を掴む。


 そのまま、ずるずると引きずった。


「い、痛い! 頭の後ろがハゲます!」


「行き先を大声でバラしてどうする!」


 解放されたマルコは跳ね起きる。


「絶対に行きます!」


「マルコ……」


 ユーシャスがそっと背を撫でる。

 いつの間にか、マルコの背丈は彼女と変わらぬほどになっていた。


「あなたは商人になりたいのでしょう? 頑張って掛け算もできるようになったのに」


「……でも、でも、やっぱり一緒がいいんです!」


 しばし沈黙。


 ディランは深く息を吐く。


「……商会主には手紙を書く。許可が出なければ、戻れ。いいな」


 涙を残したまま、ぱっと顔を輝かせる。


 「はいっ!」


 

 隊商は再び動き出す。


 目印の山の雪が、朝日に照らされて白く光る。


 初夏の匂いが、少しだけ早すぎる気がした。

次回、第199話 「それぞれの朝」 2月24日(火)19:15更新予定

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