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エル・カルド(失われた聖剣)  作者: 夜田 眠依
第二十五章 生々流転
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194 魔道書の対価

 ある日のこと。

 ドナルは書斎の椅子に深く身を沈めていた。

 外の陽気を拒むように厚いカーテンが窓を覆い、部屋の中はほの暗く、蝋燭の炎だけが小さく揺れている。


 震える手の先、机に置かれた剣。

 目を向けた瞬間、わかる。

 ――違う。

 

 聖剣が持つはずの微かな揺らぎが、この剣にはどこにもない。


 ロクスファントの神殿と交わした約定。

 ――魔道書の対価として、キリアンがフォローゼルに遺した聖剣をドナルに渡す。

 

 ◇◇◇


 時を少し遡る。


 ある夜、定例の使いが城外のドナルの館を訪れた。

 やって来たのは、聖都ロクスファントにある「原初の神アズ・オーリアス・イシュト」の神殿に仕える神官――ネイリウスという男。


 応接室の長椅子に腰を下ろすと、彼は緑玉が嵌め込まれた一振りの剣を差し出した。


「こちらが、神官長アレイオス様より承りました、魔道書の対価でございます」

 

 その剣を目にした瞬間、ドナルはゆっくりと立ち上がった。


「……渡すと約束したのは、フォローゼルに渡った“エル・カルドの聖剣”だったはずだ。これは、裏切りだな」


 上から見下ろすドナルにも、ネイリウスは微動だにしない。


「アレイオス様からのお言葉です。『まがいものには、まがいものを』――と」


 ネイリウスは表情を変えず、声を潜めた。


「アレイオス様は、書に手を触れただけで、その内容を見抜かれました」


 ドナルの視線が、わずかに揺れる。

 

「まあ、アレイオス様とお会いになったことがない方は……ね」


 ネイリウスは小さく肩をすくめる。


「魔道書の大部分は、確かに正しいものだったようですな。しかし――」


 暗い炎が、彼の目の奥で灯る。


「ところどころ……“意図的に”誤った記述が含まれていたと」


 ドナルは目を伏せた。


 (なぜ、わかる?)


 ネイリウスは丁重な物腰で、手を打った。


「私には、何が正しいかは判断しかねますが、アレイオス様は“悪意”を感じ取られたそうです。――もっとも、あれだけの写本を用意するのは大変なご苦労だったでしょう。別途、代価はお支払いします」


 合図とともに、二人の従者が重そうな木箱を石床に置いた。金属の触れ合う音が軽やかに響く。蓋を開ければ、中には金貨がぎっしりと詰まっていた。


 ドナルの目に嫌悪が浮かぶのを、ネイリウスは見逃さなかった。


「そうそう。アレイオス様はもう一つ、ご所望の品があると。あなた方が使われる孔雀石です。符が刻まれていない、純粋なものを。お手持ちがあれば、ご提供いただきたい」


「何に使うつもりだ?」


 ドナルは訝しげに睨みつけるが、ネイリウスの表情に揺らぎはなかった。


「私にはわかりません。ただ、魔道書を読まれて、あなた方が作る“魔道符”に興味を抱かれましてな」


「魔道符を……神官長が?」


 沈黙ののち、ドナルは顔を背ける。


「後で用意させよう」


 ネイリウスは首をひねった。


「……いかほど、ございましょうか?」


「孔雀石の鉱山も今はない。手持ちは限られている。――それで、例のものは……」


「それでは、こちらで作られた魔道符は、もう結構です。あまりばら撒くと、フォローゼルの奴らに気づかれますゆえ。聖剣の件は、改めてアレイオス様にお尋ねいたします。あの方も、全く話の通じぬ方ではありませんので」


 そう言って、ネイリウスは軽やかに立ち上がり、部屋を後にした。

 馬車に乗って走り出すと、館の遠ざかる姿は、再び霧の向こうにかき消えていった。


 馬車の中で従者は背中を丸め、声をひそめる。


「あのエル・カルド人は、内心かなりお怒りのようでしたな」


 孔雀石の入った箱が足元で揺れ、従者は慌てて身を縮める。 

 ネイリウスは薄い唇を歪めた。

 

「アレイオス様に比べれば、恐れるに足りん。少なくとも、あの男は人間だ」




 ◇◇◇


 残された剣を手に、ドナルは老人グリゴールの部屋を訪ねた。

 蝋燭を掲げ部屋へ入ると、老人は寝台に身を起こす。

 灯りに揺れるドナルの顔を見るなり、老人は取引が失敗に終わったことを察した。


 ドナルが淡々と事の顛末を語ると、グリゴールは小さく息をつき、肩を落とす。


「……相手を見誤りました。私の責任です」


 本来、魔道とは無縁なはずのロクスファントの神官長が、魔道書を求めてきたこと。その書の誤りに気づいたこと。さらに、孔雀石を欲したこと――。


 それは、魔道を“理解している者”の振る舞いにしか見えなかった。

 だが、そんなはずはない。

 

 ――魔道を知る者が、外にいるはずなど。

 

 沈黙を続ける老人に苛立ちを見せながら、ドナルが吐き捨てる。


「……グリゴール。聖剣なしに、結界を張る方法はあるのか」


「小規模なものでしたら、この館のように孔雀石だけでも可能です。ですが広範囲となれば、それなりの大きさの孔雀石も必要ですし、あの“流刑地”ほどの規模が限界でしょう。それでも、生活していけるのは……」


「いざとなれば、それもやむを得んかもな」


 グリゴールは顔を上げる。

 彼の目の前に立つのは、アレスルを継いだ者。


「――何なりと、お申しつけください。旦那さま」


 蝋燭の炎が揺れ、ドナルの影が壁に大きく伸びた。

次回、第195話 「小さな旅立ち」 2月14日(土)11:00更新予定

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