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エル・カルド(失われた聖剣)  作者: 夜田 眠依
第二十五章 生々流転
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193 フィオンの夢

 オットーは胸を張って語った。


「彼に教えたのは、木蔦の薬の作り方だけじゃないよ。暗殺によく使われる毒の見分け方や、青芥子のこととか……」


「青芥子……」


 フィオンは、ぽつりと呟き唇を震わせる。

 次の瞬間、その目から涙がこぼれ落ちた。

 メイヴは慌てて手巾を差し出し、戸惑いながら声をかけた。


「どうしたの? どこか痛いの?」


 フィオンは首を振りながら、手巾で顔を押さえた。


「……違います。僕は……青芥子を、ディラン様に……」


「“アオケシ”って何?」


 メイヴが首をかしげてクラウスに目を向ける。


「帝国の兵士たちが痛み止めや眠り薬として使っている薬です。扱いが難しいので、本来医者しか所持できないんですけどね」


「難しいって?」


「量を誤れば、呼吸が止まってしまうそうです」


 メイヴは目を見開き、叫び声を上げた。

 

「ちょっと! そんな危ないものを、ドナルはこの子たちに使わせたの?」


 そして、グレインネに顔を向ける。


「信じられない! 母さん、何とか言ってやってよ」


「メイヴ、他家の事情に口を挟むのはおやめ。あんたは、このルーイって子に薬のことを教えてやりな」


 グレインネの言葉に、メイヴは唇を噛んで黙り込み、小刻みに震えるフィオンの背中をそっと撫でる。


「泣いてても仕方ないわ。お茶でも飲んで落ち着きなさい、ね」


 メイヴは二人をテーブルへ促し、リンゴ草の香り漂う茶を淹れる。湯気の立つカップと蜂蜜の瓶を前に、フィオンは小さく鼻をすする。

 オットーはうなずき、フィオンを優しく見つめた。


「大丈夫だよ。ディランには、青芥子の扱いをきっちり教え込んであるから。私ですら分からないような微かな匂いも、彼は見分けていた」


 オットーの言葉にも、フィオンの涙は止まらなかった。


「それで、あなたはどうしたいの?」


 メイヴの問いに、フィオンはただ、顔を伏せることしかできなかった。


 窓から一筋の風が吹く。

 卓上に、無造作に置かれたオットーの症例集が一頁、カサリと音を立てた。

 フィオンは顔を上げ、風に揺れる文字に目を落とす。


「これ……共通語ですね。医学書でしょうか?」


「あら、読めるの?」


「ほんの少しですが」


「本当か?」


 クラウスが身を乗り出す。フィオンが頷くと、彼は思わず包帯を巻いた手を叩いた。


「――よし、助かった! 翻訳した文章を書き写してくれる人を探していたんだ」


「え、でも僕はまだ……」


「わからない事は、これから覚えればいいさ。私の言葉通りに書いてくれればいいよ」

 

 膝の上で、フィオンの手が震える。

 クラウスは顔を歪ませながら手をさすった。


「エル・カルドには無い語彙も多いから、メイヴさんと相談しながら進めるんだ」


「……本当に、僕でいいんですか?」


「見てくれ、この手。字を書きすぎて痛くてたまらんのだ。頼むよ」



 ◇◇◇


 その日の午後、フィオンの手元に落ちたインクが白紙を黒く染めた。


(また……やってしまった)


 顔を上げると、窓の外ではルーイがメイヴの手伝いをしているのが見える。


「大丈夫、大丈夫。紙ならまだある」


 クラウスが笑いながら言う。


「君、紙に文字を書くのは初めてかい?」


「はい……申し訳ありません」


「気にするな。紙は高価だが、失敗しながら慣れていくしかない。オットーの“ミミズ文字”を見たら、自信が湧いてくるぞ」


 フィオンは思わず吹き出した。


「あれでも、宮殿つきの医者なんだよ。考えが速すぎて手が追いつかないらしいよ。私には、落ち着きがないだけに見えるけどね」


 その声に反応して、オットーがぬっと顔を出した。


「おい、クラウス。私がエル・カルドの言葉を知らないからって、自分が何を言われているのか、分からないわけじゃないぞ」


「ばれたか」


 笑いながら新しい紙を手渡すクラウスの顔に、フィオンも自然と笑みを浮かべた。いつの間にか、体の緊張がほぐれていることに気づいた。


 姿勢を正し、再び筆をとる。クラウスの声に沿って、ペン先の音が静かな部屋に心地よく響く。


「……できました」


 クラウスは紙に目を通し、満足そうにうなずいた。


「うん、上出来だ。続きも頼むよ」


 フィオンは少し肩の力を抜いて、クラウスを見つめた。


「クラウス様は、どうやってエル・カルドの言葉を学ばれたのですか?」


「ディランから教わったんだ。帝都にはいろんな人が集まるが、エル・カルド人は少なくてね。私は彼にしつこく食らいついて教えてもらったよ。行く先々で待ち伏せしたりしてね」


「なぜ、そこまで……?」


 クラウスは笑いながら、窓の外に視線を移す。

 開け放たれた窓から、初夏の風が流れ込む。

 

「外の世界を知りたかったんだ。帝都以外の場所をね。――神秘と伝説の国、エル・カルド。まさか実際に来られるとは思ってなかったよ」


「……外の世界……」


 その言葉に、フィオンの胸にかすかな震えが走る。かつて、ディランに嘘をついたときのことがよみがえった。


『共通語を学びたいのは、外の世界に興味があるから――』


 クラウスは、フィオンの肩に手を置いた。


「君も行けるさ。君なら、どこへだって行ける」

次回、第194話 「魔道書の対価」 2月12日(木)19:15更新予定

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