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エル・カルド(失われた聖剣)  作者: 夜田 眠依
第二十五章 生々流転
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191 予期せぬ来訪者

 ウィラードたちが帝都へ向けて出発してからというもの、クラウスとオットーは、グレインネのもとへ通い詰めていた。


 グレインネの屋敷の居間には、春に摘んだ花を束ねた薬草が、あちこちに吊るされている。部屋には淡く甘い草花の香りが漂い、落ち着いた空気に包まれている。

 グレインネはクラウスを通じて、オットーにエル・カルドでの薬草の使い方を教えていた。


「なるほど……この薬草には、そんな使い方もあるのか」


 オットーの驚きを、クラウスが丁寧にグレインネへ通訳する。やがて今度は、オットーが帝国でまとめた症例集をもとに各種の病について説明を始め、クラウスがその言葉をまた訳すのだった。


 オットーの説明に耳を傾けていたのは、グレインネだけではない。彼女の傍に仕える年配の侍女、そしてまだ若いグレインネの娘――メイヴが熱心に聞き入っていた。


「ねえ、この前聞いたのとその病気。症状は似ているのに、どうやって見分けるの?」


 メイヴは共通語で書かれた症例集を繰りながら、目を輝かせている。


「えっと、それはここに……」


 オットーの言葉を待ちきれず、メイヴは本をクラウスに突きつける。


「ねえ、クラウス。これ、翻訳してくれない?」


 メイヴが頼むと、クラウスは思わずため息をついた。すでに翻訳を頼まれた書物が、いくつも積み上げられている。


「これも、……ですか」


 肩を落としながら、ぼそりとつぶやく。


「誰か、書くだけでも手伝ってくれないかな……」


「残念ながら、エル・カルドの通訳は今でもローダインの援軍に取られたままだしね。ウィラード殿下が戻ってくれば、少しは手を貸してくださるかも」


「冗談じゃないよ。殿下にこんな雑務、頼めるわけない」


「だったらクラウス、お前が頑張るしかないな」


 オットーが軽口を叩く。クラウスは不満げに眉をひそめてぶらぶらと腕を振る。


「お前も共通語くらい、自分で書けよ」


「無理だよ。自分で自分の字が読めないんだよ。いつも弟子のラドに書かせていたんだ」


 クラウスは、かつて見た“ミミズの踊り”のようなオットーの筆跡を思い出し、頭を抱えた。

 


  ◇◇◇


 


 その頃、第六聖家のマイソール卿のもとを、第二聖家のジェレイントが訪れていた。震える手には一通の手紙。――ドナルからのものだった。


「マイソールさん……これ、兄からの手紙なんですが、一体どういうことなんでしょうか……」


 手紙を受け取ったマイソール卿は、目を通すと眉をひそめた。


 そこにはこう書かれていた――


 “ドナル、当面第二聖家の代表をジェレイントに託す。理由は魔道書の再筆写に専念するため”


「……代表を、託す?」


「はい。魔道書を盗まれてしまったので、今は写しを作るのにかかりきりで……。今後は私に代行を任せると。……そんな重大なこと、どうすればいいか……」


 マイソール卿は、手紙とジェレイントの顔を見比べながら黙考する。


 書かれている内容におかしな点はない。筋も通っている。だが、ドナルがただそれだけの理由で引く人物か――そうとは思えなかった。


 (ドナルは何を考えている)


「……彼は、まだ城内には戻っていないのか?」


「ええ。城外の館の地下室が水浸しになって、修理が必要になったとか。魔道書の写しも、そちらで進めているそうです」


「そうか……。よその聖家のことをとやかく言うつもりはないがな。うちもシルヴァがいない間は、私が会合に出ている。それと同じことだと言われれば……まあ、異を唱えることもできん」


 マイソール卿は一つ息をつき、ゆっくりと言葉を続けた。


「今夜、臨時の会合を開こう。他の聖家にも伝えて了承を得る」


「……ありがとうございます!」


 ジェレイントは、ほっとした表情で頭を下げ、急ぎ第二聖家の邸宅へと戻っていった。


 


  ◇◇◇


 


 午後の陽射しが緩やかに差し込むなか、マイソール卿は執務室で会合の準備を進めていた。窓を開け放つと、風が草の香りを運んできた。


 そこへ、年配の使用人が扉越しに声をかけた。


「旦那様、“来訪者”でございます」


 “来客”ではなく“来訪者”。その選び方に引っかかるものを感じつつ、マイソール卿は玄関へ向かった。


 扉を開けると、見知らぬ二人の少年が立っていた。


 一人は金髪の少年。肩で切りそろえた髪と落ち着いた目を持ち、年の頃は十八ほど。もう一人は、やや幼さの残る栗色の髪の少年だった。


 彼らの名は――フィオンとルーイ。


 マイソール卿は、すぐに思い出した。

 ディランから届いた手紙の中に書かれていた名だった。シルヴァが様子を見に行き、“当面は静観”との判断を下したはずだった。


 だが今、その彼らがここへ来ている。


 (ジェレイントが“退任の報せ”を持ってきた矢先に、この少年たちか……)


 何かが動いている――マイソール卿は、確信に近い違和感を抱いた。


 フィオンが、一歩進み出て丁寧に頭を下げる。


「突然の訪問、失礼いたします。城外の者が聖家を訪ねるなど、本来許されぬこととは存じております。ですが、以前――第六聖家のシルヴァ様より、“困った時は訪ねてこい”と、そうお言葉をいただいて……」


 彼らの足元は草の汁にまみれ、背にわずかな荷物を背負って立っていた。

 “困った時は”という言葉に偽りはないだろう。


「残念だが、シルヴァは今、帝都にいる。その後もしばらくは戻らん。……だが、私でよければ話を聞こう」


 フィオンは思わず目を見開いた。


「……よろしいのですか? 私どものような者に……」


「構わんよ。お前たちがここまで来た、その理由を聞かせてくれ」


 フィオンは、安堵の色をにじませて深く頭を下げた。


「ありがとうございます……」


 マイソール卿は少年たちを家の中へ招き入れながら、思い出したように口を開いた。


「そういえば、お前たちは孤児院から三人でドナルの館へ奉公に出されたと聞いたが……」


 その言葉に、フィオンとルーイは顔を見合わせる。


 そして、静かにうなずいた。

次回、第192話 「希望の仕事」 2月7日(土)11:00更新予定

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