188 戦士の望み
「ふざけるな! 再戦を申し立てる!」
声を張り上げたのはアイルだった。観客席からも賛同の声が湧き上がる。だが、コンラッドは階段に座り込んだまま、動かなかった。
「……ごめん。もう……無理」
かすれた声に、アイルの眉が跳ね上がる。
「なんだと? 貴様、それでもローダインの戦士か。情けない!」
叱責を浴びせられても、コンラッドの身体は応じなかった。体力は尽き、立ち上がる気力すら削がれていた。
アイルは、その様子を冷ややかに見下ろした。
――力を失った獲物。
ふいと視線を逸らすと肩をすくめた。
「つまらない。ようやく楽しめる相手だと思ったのに。……もういい。私は帰る!」
言うが早いか、アイルは観覧席から軽やかに飛び降り、追いすがる審判の声を無視して控室へと去ろうとした。
「待て! 逃げる気か!」
甲冑に身を包んだスカルギが、闘技場の中央に現れた。試合の順番を控えていた彼の目に、火が灯る。
「儂との一戦は、まだ残っている!」
スカルギは、すらりと剣を抜く。
だが、アイルは振り向きもせず答える。
「もう、興が冷めた。優勝すれば帝国一の男を望むつもりだったが……もういい」
「男? なっ……なんという恥知らず!」
スカルギの頬が朱に染まる。怒りとも、羞恥ともつかない複雑な感情が渦巻いていた。
だが、アイルは軽蔑の笑みを浮かべる。
「恥? お前たちが言う“恥”とは何だ? 私たちにとって、恥とは敗北だ。強き男を得、強き子を産むこと、それこそが戦士の務め」
アイルは、高々と拳を突き上げる。
「――我らが産んだ男子は、高く売れる」
「子を……売るだと?」
会場がざわついた。帝国では人身売買は厳しく禁じられている。それが赤子であれば、なおさらだ。だがアイルは公然と、それを誇りのように語った。
観客席には、抗議の足踏みと罵声が飛び交い始めた。アイルは一瞥もせず、冷笑を浮かべて立ち去る。
その後ろ姿を見送りながら、スカルギは剣を握りしめ、闘技場の中央に立ち尽くしていた。
アイルが去ったあと、闘技場に残るのは、砂を巻き上げる風だけだった。
誰も動けない――その沈黙を、マントの翻る音とともに靴音が破った。
怒号を切り裂くように歓声が起こる。
アルドリックが笑顔で手を振りながら、堂々と中央へと進み出たのだ。
すかさず、スカルギは剣を地面に置き、ひざまずく。
アルドリックが彼の前に立つと、迷いなく宣言した。
「この試合の勝者、スカルギ!」
観客の多くはその宣言に納得の拍手を送った。だが、納得していない者が一人いた。
スカルギだ。
「陛下、恐れながら……。日を改めて再戦するというわけには……」
「ダメだよ。建国祭は、今日一日だけ。理由がどうあれ、今日の勝者は君だ」
アルドリックは、観覧席の階段に座り込むコンラッドに向けて声を張った。
「コンラッド、よくやった! 帝国の盾に相応しい働きだった。またの健闘を祈る!」
コンラッドは笑顔を浮かべ、小さく頭を下げた。場内の空気がやや和らぎ、観客たちも徐々に納得の様子を見せ始める。
だがスカルギは、まだ言葉を飲み込めずにいた。
「しかし、陛下……」
アルドリックは、ゆったりと振り返る。
「スカルギ。ここにいる皆はね、君の“願い”を聞きに来ているんだよ。ここで誰が勝ち、どんな願いを述べるのか。ずっと楽しみにしてきたんだ。それを先送りにする気?」
いたずらっ子のような笑みを浮かべるアルドリック。
スカルギは、しばし逡巡したのち、深々と頭を垂れた。
「我がことスカルギの“望み”。長年、陛下を……謀っておりました。そのこと、どうかお許しを……」
言葉を吐き出すたび、喉の奥が焼けるようだった。何年も隠し続けた秘密が、ついに陽の下にさらされる――。
「謀った? え、何を?」
戸惑うアルドリックを前に、スカルギは無言で兜を外し、地面に置く。
その瞬間――場内に悲鳴が走った。
兜の裏に貼りつけられていた金髪が床に転がり、まるで生首が落ちたかのように見えたのだ。そして露わになった頭部には、まばらな髪。
アルドリックは目を見張り、言葉を失う。
だが、すぐに駆け寄ったジーンにマントを引かれて我に返る。
「まさか、謀ったって……髪の毛のこと?」
スカルギは俯いたまま、絞り出すように言った。
「“戦士の証”を保てぬ身でありながら、それを偽り、陛下の御前に立ち続けておりました……不忠の極み……」
「なに言ってんの、スカルギ。君の忠義も働きも、誰よりもわかってるよ。髪の毛なんか関係ない!」
アルドリックは観覧席を見回して叫んだ。
「なあ、みんな!」
拍手が巻き起こる。あちこちから声が飛んだ。
「スカルギ、お前は立派な戦士だ!」
「髪の毛なんてどうでもいい!」
アルドリックは、うなずきながら、さらに声を張った。
「よし、これを機に“戦士の証”なんて古臭い習わしはやめようじゃないか! 頭髪ごときで戦士の資格を決めるなんて、おかしいだろう!」
……だが、会場の反応は微妙だった。
アルドリックは思わず顔をしかめ、内心「しくじった」と歯噛みする。
「おいおい、本気か? 髪の毛がないだけで、スカルギの価値が変わるとでも?」
ようやく何人かが頷き、再び拍手が巻き起こったが、反対の声も根強い。
「“戦士の証”は誇りだ! そんなもの捨てていいわけがない!」
「髪がないと戦士じゃないって? そんな考えこそ時代遅れだ!」
歓声と罵声が交錯し、闘技場は極彩色の混乱に包まれる。
「どうしようジーン、これ完全に“カツラ派”と“地毛派”の対立だよ……」
「陛下、くだらないことを言ってる場合じゃありません。早く収めてください!」
「うっ……そんな、急に言われても……」
アルドリックは考え、迷い――そして覚悟を固める。
スカルギの横へ歩み寄り、地面の剣を拾い上げた。
「許せ」
そう言ってアルドリックは、残ったスカルギの髪に手をかける。
ザクリという響きと観衆の息を呑む音が場内に響く。
「……目を開けて」
顔を上げたスカルギが見たのは、切られた髪を手にしたアルドリックの笑顔だった。
「いいか、皆の者! これからはこの頭を“スカルギの頭”と呼ぶ! これもまた“戦士の証”だ! この男は、何も偽らず、堂々と立っている!」
スカルギは兜を拾い上げ、再びひざまずいた。
「……陛下。もったいなきお言葉です……」
闘技場には、スカルギを讃える声が巻き起こる。
やがて会場は、あたたかな拍手に包まれた。誰もが笑顔を浮かべていた。
ただ一人――“金髪”、“割れた顎”、“丸太のような腕”の“おじさま”好き、エディシュを除いては。
次回、第189話 「祭りのあと」 1月31日(土)11:00更新予定




