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エル・カルド(失われた聖剣)  作者: 夜田 眠依
第二十四章 建国祭
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187 異国の戦士

 名前を呼ばれると、コンラッドは静かに闘技場の中央へと歩み出た。

 反対側の控え室から、アイルがゆるやかに姿を現す。陽光を浴びた兜の縁が、鈍く光を返した。


 急な辞退者の出現により、この一戦に勝てば次はスカルギ。――彼が控えていると思うと、少し気が楽になる。


 コンラッドは剣を抜き、低く構えた。

 アイルも無言で剣を引き抜き、砂を踏んでじわじわと間合いを詰めてくる。


 張り詰めた空気。

 観客のざわめきが遠ざかり、世界が音を失う。


 金属が擦れ合う小さな音――そして、一閃。

 空気が裂けた。


 思わず息を呑む。


 ――大きい……。


 間近で見るアイルは、コンラッドより一回りも体格が勝る。スカルギと変わらぬ巨体が、驚くほど軽やかに動いた。

 刃が閃き、金属が悲鳴を上げる。

 だが、腕に伝わる衝撃が、なにやら予想と噛み合わない。


 わずかな違和感が胸に沈む。

 二合、三合――火花が散り、刃と刃が軋み合う。

 息が熱を帯び、砂の匂いが鼻を刺す。

 押し合う力の均衡が崩れた瞬間、アイルがふっと力を抜き、流れるように切り込んできた。


 右へ流し、体を捻って受け流す。砂が跳ねる。

 すぐさま次の一撃。

 刃と刃がまた噛み合い、火花が弾けた。

 兜越しに視線がぶつかり、息と息が触れるほどの距離。


「……お前、なかなかやるな」


 その声に、コンラッドは目を見開いた。

 兜で顔は見えない――それでも、確信する。


 女の声だ。

 

 コンラッドは、息を抑えて囁く。


「……なぜ、あのような酷いことを?」


 金属の内側で、短く鼻息が漏れる。

 次の瞬間、嘲るような笑い声が響いた。


「あんな怪我? 子を産むよりよほど楽だ」

 

 次の瞬間、アイルは剣を押しやり、肩をぶつけてくる。

 先ほどコンラッドが使った戦法だった。


 一瞬よろめき、踏みとどまりながら斬り返す。

 火花が散る。砂塵が舞う。


 ――この女、実戦の場数が違う。


 アイルの口元に、獰猛な笑み。まるで好みの獲物を見つけた猛獣だ。

 そのまま、自分の兜をつかみ、勢いよく放り投げた。


 甲高い音を立てて兜が砂を転がり、闘技場に一瞬、沈黙が落ちた。

 風が髪を揺らし、両頬に黒い入れ墨を刻んだ女の顔があらわになる。


「帝国の兜なんて、邪魔なだけ!」


 その異様な姿に、観覧席がざわめいた。

 ざわめきが波のように広がり、驚愕が人々の顔を塗り替えていく。


 特別席では、レダ妃とエイリーク王子が息を呑んでいた。


「叔母上……あの女は……」

「ああ……“アマゾアナ”の血だ」


「どうして彼女のような者が、ここに……?」


 ベラノーシュには古来より、異民族の村が点在していた。

 ほとんどは古帝国の疫病で絶えたが、北方の海に浮かぶ島には、いまだ“アマゾアナ”が息づいている。


 アルドリックが興味深げに身を乗り出す。


「“アマゾアナ”って、女だけで暮らしてるってやつ?」


 レダ妃は口を閉ざし、エイリークが答えた。


「確かなことはわかりません。ただ、若い女性たちは外で金を稼ぎ、子を宿すと村に戻る――という噂は聞きます。ベラノーシュにとっても、あの島は長年、手を出せぬ地です」


「でも、特に害がないなら放っておけばいいんじゃない? 無理に従わせても、うまくはいかないよ」


 エイリークも静かに頷いた。

 ――あの島は、触れれば血を呼ぶ。誰もがそう感じていた。


 ◇◇◇


 一方その頃、観覧席の下。

 砂まみれの通路を、エディシュが走っていた。

 髪は乱れ、ドレスは破れ、袖は釘に引っかかって裂けている。もはや令嬢の面影などなかった。


 細身の靴が足に食い込みながらも、追うべき男を見失うわけにはいかない。

 前を駆ける小さな影――ウィンが柱の間を軽やかに抜けていく。


「エディシュさん、こっちだよ!」

「ちょ、ちょっと、待って!」


 息が上がる。心臓の鼓動が耳を打つ。

 思考の隅に浮かぶ疑問――あの壺は何? あの男は誰?

 だが今は、走るしかなかった。


「あいつ、上に行った!」


 ウィンが観覧席を指差す。


「行こう!」


 二人は幕を押しのけて階段を駆け上がる。

 観客のざわめきが渦のように響く中、ウィンが叫んだ。


「あそこ! 壺の男!」


 男はすでに反対側の最上段へと回り込んでいた。

 闘技場の中央では、まだコンラッドとアイルが斬り結んでいる。


「これ、借りるわ!」


 エディシュは近くの衛兵から弓をひったくった。

 

 弓兵としての体の記憶が、一瞬にして甦る。


 もしかすると、罰せられる。

 ――それでも、震える指で矢をつがえ、風を読み、狙いを定めた。

 男の走る先。

 観覧席の切れ目の階段。

 息を殺し、弦を引き絞る――放たれた矢が鋭く空気を裂いた。


 矢は男の足元に突き刺さり、彼は壺を抱えたまま階段を転げ落ちる。

 鈍い音が響き、観覧席から悲鳴が上がった。


 コンラッドが一瞬、そちらに視線を向ける。

 倒れた男。矢。反対側には得意げに弓を構える妹――エディシュ。


 すべてを悟った彼は、剣を手放し、アイルに背を向け走り去った。

 砂地を蹴り、闘技場の壁に手をかけ、観覧席へと跳び上がる。

 階段を駆け登り、壺を抱えて起き上がろうとする男の前に立ちはだかった。


 ざわめきが怒号へと変わる。

 ――闘技場を離れる、それは即ち敗北。明確な規定違反だ。


 逃げようとする男を押さえつけ、抱えていた壺を奪い取る。

 その背へ、アイルの声が飛んだ。


「逃げるな、卑怯者!」


 彼女も観覧席へ跳び上がり、押さえ込まれた壺の男を睨みつける。


「こいつか……試合を台無しにしたのは!」


 怒りに任せて男へ掴みかかるアイルを、衛兵たちが慌てて引き剥がした。

 観覧席は大混乱に陥り、秩序は完全に崩壊した。


 一方、闘技場の中央では審判団が慌ただしく協議を始めている。

 男は連行された。

 アイルの怒りはまだ鎮まらず、衛兵たちが必死に彼女を宥めている。

 その喧噪の中、コンラッドは観覧席の階段に座り込み、一歩も動けなかった。

 剣は、あの砂の上――まだ闘技場の中央に転がったままだ。


 肩で荒い息をつきながら、ただそれを見下ろす。

 太陽に照らされた刃が、鈍く光を返す。


 鎧の中で、体は血の気を失っていく。

 観客のざわめきも、審判の声も、遠く霞んで聞こえた。


「……勝者、アイル!」


 その宣告に、観覧席がどよめく。

 抗議の声、怒号、怒りと混乱。

 けれど、コンラッドの視線はただ、砂の上の剣に縫い付けられたままだった。

 

 ――あれはもう、自分の手の中にはない。


 その事実だけが、静かに胸の奥を締めつけた。

 

次回、第188話 「戦士の望み」 1月29日(木)19:15更新予定

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