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エル・カルド(失われた聖剣)  作者: 夜田 眠依
第二十四章 建国祭
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186 血と飴玉

 コンラッドは控え室の長椅子に腰を下ろし、うなだれたまま動かなかった。

 その目は乾いた土床を見つめている。土の粒が、試合の熱を吸って白く乾き、ひび割れていた。


 ――その時だった。

 闘技場の方角から、鋭く裂けるような悲鳴が響いた。続いて怒号、怒濤のような観客のざわめき。

 何かが起きた――尋常ではない。


 控え室の扉が音を立てて開き、戸板を抱えた数人の兵士が駆け込んできたかと思うと、コンラッドの目の前を通り過ぎて闘技場へと走って行った。


「治療室まで運んでる時間がもったいない! ラド先生を呼べ、重傷だ!」


 薬箱を小脇に抱えて、医師ラドがすぐに控え室へ現れた。その直後、うめき声と共に男が戸板に乗せられて運び込まれた。

 彼の左腕は不自然に曲がり、どこからか流れた血が、戸板にまで広がっている。


「い、痛ェ……っ、あああっ!」


 ラドは迷いなく青い小瓶を取り出し、コップの水に匙で垂らした。素早く混ぜながら、男の側へ膝をつく。兵士たちが暴れる男の肩を押さえ、ラドが兜を脱がせると、中から現れた顔は腫れ上がり、鼻梁が潰れていた。


 その光景に、コンラッドの喉がひりつく。


 ラドは男の頭を起こす。


「これを飲め。すぐに痛みは引く」


 男は数口を飲むと、呼吸が落ち着き、力が抜けるように脱力していった。

 コンラッドは深く息をついたが、その様子から目を離せなかった。


 ――まるで、昨日の自分を見ているかのようだった。

 あの時も、声が遠ざかっていった。


 ラドは男の鎧を脱がせ、素早く状態の確認をする。


「……これはひどい。左腕は、骨が砕けているかもしれない」


 処置を終えると、ラドは立ち上がり、短く指示を飛ばした。


「よし、すぐに治療室へ運べ!」


 戸板ごと男は再び運び出され、ラドはその後を追って控え室を後にした。


 鉄と血の匂いが鼻腔に残り、胃の奥が冷たく沈む。

 遠ざかる足音が、やけに長く響いた。

 

 嵐のような騒ぎが収まると、コンラッドの肩が緩む。

 残されたのは、荒れた土床と、ぴりついた空気だった。


 たかが試合に、ここまでの仕打ち――。

 一体、どんな相手なのか。

 

 コンラッドは歯を食いしばった。レオナのことに気を取られて、さっきの試合を見ていなかった自分を悔やむ。


 この先、自分が勝ち進めば、その男と戦うことになる。気を引き締め直さねばならない。


 そこへ、書類を抱えた係員が小走りで近づいてきた。


「次の試合ですが――相手選手が辞退されました。不戦勝となります」


「……不戦勝? なぜ?」


 問いかける間もなく、係員は他の選手の元へと走って行ってしまった。


 コンラッドは誰もいない空間を、言葉もなく見つめていた。

 体力温存という点ではありがたいが、不可解な事態に胸がざわつく。


 ほどなくして、スカルギが険しい顔をして戻ってきた。


「おい、コンラッド。さっきの試合を見たか?」


「いや……負傷者が運ばれるのを見ただけで。けど、次の試合は不戦勝になったから、もしかしたら今度は……」


「当たるぞ」


「え?」


「向こうの対戦相手も辞退したらしい。つまり、お前の次の相手は“アイル”という奴になる」


 コンラッドは、控え室の壁に貼られた対戦表を見直す。“アイル”という名に見覚えはない。スカルギも首を傾げる。地方から出てきた新顔か。


「なんで皆、辞退するんだ?」


 スカルギは、眉を深く寄せた。


「相手が“まとも”じゃないからだ。噂じゃ、そいつには騎士の理が通じんらしい」

 

「でも、トラシュマコス王太子も最初にそいつと戦ってたけど、普通に戻ってきたよ?」


 スカルギは、言いにくそうに口ごもる。


「それは……あれだ。実力差がありすぎたんだろう。あっという間に終わっていたからな。さっきの奴は、なかなかの腕だった」


 コンラッドは背筋に冷たい汗が伝うのを感じた。

 


 ◇◇◇


 風が頬を撫で、汗の塩気を攫っていった。

 闘技場の熱気が遠のき、体の熱も収まってくる。


 エディシュは見回りに飽きたウィンに付き合い、外の人波の中を歩いていた。隣ではウィンが、露店の並ぶ道に目を輝かせている。


「エディシュさん、あれ何?」


 ウィンが指さす先には、店先のガラス瓶に詰め込まれた飴玉が、宝石のように光を受けてきらきらと輝いている。


「ああ、あれは飴よ」

「“あめ”?」

「甘くて美味しいわよ」


 砂糖蕪の汁を煮詰めて作る飴は高価であり、かつては薬であった。普段であれば、露天で売るような品物ではない。闘技場に集まる、身分ある人々を当てにしたものなのだろう。


「エディシュさん、あれほしい!」

「ごめんね、あたし、今お金を持ってなくて……。さっき、お兄ちゃんのご飯を買うのもジルに頼んだし」


「えーっ!? 大人なのにお金持ってないの?」


 目を丸くするウィンに、エディシュは口ごもりながら視線を逸らす。


「持ってないっていうか、財布を持ち歩く癖がなくて……。実は……屋台で買い物したことなくて……」


「しんじられない!」


「どうしてもっていうなら、ヒューゴ叔父様に……」


「もういい、自分で何とかする」


 そう言ってウィンは、いきなり地面にしゃがみ込んだ。


「ウィン、なにしてるの?」


「お金、落ちてないか探すの」


「ちょっと、やめなさい。はしたないわよ」


 エディシュの制止にも耳を貸さず、ウィンは地面を這い、やがて観覧席の下に伸びる布の幕をめくって中に入ってしまった。


 衛兵たちも周囲にいたが、エディシュと一緒にいると知っているからか、誰も注意はしなかった。


 エディシュはひとつため息をつき、小声で「もぉ……」と呟きながら、そっと幕の下に身をかがめて入る。


 中は、縄で補強された木柱が立ち並び、その上には観覧席の底板が組まれている。隙間から差し込む光が、砂の床に細く筋を描いていた。


 身をかがめ、柱の間を抜けながら、エディシュは呼びかける。


「ウィン、そんな所にお金なんて落ちてないって」


「でも、ここお金持ちがいっぱい来てるんでしょ? 上から落ちてくるかも」


「そういう人はね、自分では持たないのよ」


「え〜、つまんない」


 突如、会場全体に地鳴りのような振動が響いた。

 エディシュは観覧席の底を見あげ、耳を澄ます。――棄権があったらしい、思ったよりも早く試合が進む。コンラッドの名が呼ばれた。


「え、嘘! ……お兄ちゃんの試合が始まるわ。ウィン! お金は、誰かに借りるから出ましょ」


「はーい」


 ウィンが渋々戻ってきた、その瞬間だった。


 幕の影から、ふいにひとりの男が姿を現した。仮面で顔を隠し、手には奇妙な壺を抱えている。

 目が合う。

 

 二人の間に、陽にきらめく土ぼこりが舞った。

 エディシュの目が、男を見逃さなかった。

 声を発しようとした刹那、男は壺を強く抱え込み、視線から逃れるように駆け出した。


「待ちなさい!」


 エディシュは、本能的に男の後を追っていた。


次回、第187話 「異国の戦士」 1月27日(火)19:15更新予定

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