第3章 帰 郷 ―3―
「……ハシュレイ、どこかで会ったことなんて……、ないよね?」
控え目にディレイが尋ねた。
自信は全くなかった。一度でも目にすれば、忘れることなど出来ぬ程、鮮烈な印象を与える容姿をしている。それなのに思い出せないのであれば、やはり、すれ違ったことすらないのだろう。
けれど、一瞬感じた懐かしさ。あれは一体なんだったのか、ディレイは知りたかった。
月が翳り、忍び寄った薄闇がハシュレイの表情を隠す。
ディレイは何故か、祈るような気持ちで答えを待った。
「やっぱりね。言うと思った」
一寸の間があって、暗がりからアレックスの声が届く。
ディレイは思わぬ邪魔に、内心でムッとなった。心地良い眠りの淵から、強引に引き摺り出された気分がした。
雲が切れ、再び 月光が差し込む。
「それ、このハシュレイを初めて見た奴の常套句」
腰に手を当て、右手の親指でハシュレイを指差しながらアレックスがディレイに近付く。
「ま、無理もないけどな」
ぽんっと肩を叩かれ、アレックスが白い歯を見せた。
ディレイは口を尖らせ、険しい視線を彼に向けたが、意を察してじわじわと目を見開いた。唐突に顔が熱くなる。
「そっか、おチビちゃんもハシュレイに惚れちゃったか」
ディレイは火照った顔を慌てて伏せた。アレックスは口説き文句だと、言外に告げていたのだ。当然のことながら、そんなつもりは毛頭ない。しかし、整い過ぎたハシュレイの容姿を前にすれば、そう受け取られても不思議はない。
ディレイは、にやつくアレックスから逃げるように顔をそむけた。
「だから言っただろ。本人を前にして言うのは癪だけど、いい男だって。なんせ、ハシュレイは……」
そこまで言って、彼は片手を添えた口をディレイの耳元に傍付けた。まるで、幼女が内緒話を持ちかけるような仕草だ。少しばかり身を引いたが、自然とディレイの耳は大きくなる。
「男娼をやっても引く手あまた……っぃだ!」
ごすっという鈍い音と共に、突然アレックスの声が弾けた。ディレイの肩も、大きく跳ねる。
ディレイは耳を押さえ、抗議の眼差しをアレックスに向けた。キーンと耳鳴りがする。
頭頂部を両手で押さえたアレックスが、しゃがみ込んで呻いている。彼の背後には、いつの間に移ったのかハシュレイが立っていた。右手に中指の第二関節が飛び出した拳が握られ、アレックスを見下ろす眼は座っていた。炎が揺らめいているようにも見えるのは、気のせいであろうか。
「余計な事を言うな」
ぼそりと低い声でハシュレイが言い、反射的にディレイは返事をした。
片眉を上げ、ハシュレイが不思議そうに首を傾げる。
ディレイは、ハッとなって、またもや赤面した。ダンショウという初めて聞く言葉の意味を知ろうとして、触れてはならないと叱責を受けた気がした。けれど、話の流れからして、アレックスに向けられた一言であるのは間違いない。
ディレイは顔から火が出る思いで俯いた。
「俺はお前に叱ったんじゃないぞ?」
至極まっとうなことを言われ、ディレイは尚更恥ずかしくなった。頬を掻きながら、眉をハの字にして笑った。
「うん。知ってる。……つい」
ハシュレイがくすりと笑う。
「それにしても、えらく飾り付けられたものだな」
まじまじと見詰められ、ディレイは苦笑しながら両手を広げた。よたよたと一回転して、一応 披露してみせた。ふらついたディレイの身体を、ハシュレイが転ばぬように支える。
「あいつら、客が珍しいもんだから、遊んでんだよ。チビも要領悪いぜ。逃げればいいのにさ」
指先で頭をさすりながら、アレックスが言った。
「着いた早々、右も左も分からない状態なんだ。ディレイには、まだ無理だろう。逃れるには技がいるからな」
そんなディレイを生贄に差し出そうとしたことには触れず、ハシュレイはロジカが見立てて着けた額冠を外した。
頭部が軽くなり、次に肩の重みが取れた。ディレイはロジカに叱られることを心配したが、徐々に身軽になっていくのは、正直言ってありがたかった。のしかかる重石が取り払われ、身体が浮き上がるのではと錯覚する程 軽くなる。
全ての装飾品が外されて、すっかり簡素な装いに変わったディレイは、ほっと息を吐きながら乱れた裾を整えた。
「ディレイは……、俺と森で出会う以前に会ったことがあると思ったんだな」
「え?」
話が戻され、ディレイは一瞬戸惑った。
「こんな顔はどこにでもある。俺は記憶にないが、気のせいとは思わないか?」
「こんな顔だって。思ってもないくせに……」
口を開きかけたディレイに代わって、アレックスが呟く。ハシュレイは呆れながら睨み付けた。
「お前、少し黙ってろよ」
「なんだよ、本当の事だろ。美形って自覚があるから、汚くして人を寄せ付けないようにしているくせにさ。嫌味なおっさん」
振り返り様、ハシュレイがアレックスの脳天を襲う。今度は手刀だ。しかも、指先ではなく手首近くを叩き込む。
ディレイは、ぎゃっと悲鳴を上げたアレックスに同情の眼差しを向けながら、おもむろに腰を落としたハシュレイを見た。真っ直ぐに見詰められ、ディレイは伏し目がちになった。
「えっと……。たぶん、そう。……気のせい、だよね」
ハシュレイに、笑みを向ける。
「ただ、なんだか懐かしい感じがして……。ハシュレイほどかっこよかったら、すれ違っただけでも忘れないよね」
落ち着きなく掌を揉みながら、ディレイは照れ笑いをした。胸の内では、何故だかひどく物悲しい気持ちになっていた。
「……そうか」
二人の間に、沈黙が流れた。風がそよぎ、樹々を揺らし、さわさわと涼しげな音色が辺りに漂う。
その音色の中に衣擦れの音が聞こえて、ディレイは手元から視線を外した。見上げると、ハシュレイの背が向けられていた。頭を撫ぜるか、笑うかしてくれるだろうと思っていたディレイは、彼の背を見るなり、凍りついた。落胆と怒りの色が見える気がした。何か気に障るようなことを言ったのかと、不安になる。
「アレックス、ディレイの部屋は用意されているんだろう?」
ディレイは彼の腕に縋ろうと、無意識に伸ばしていた手に気付いた。振り向かれ、慌ててその手を背に隠す。どうしたと問われ、ディレイは曖昧に笑ってみせた。予想に反して、いつも通りのハシュレイに、ホッと胸を撫で下ろす。
「オレの部屋の左側を空けてある。おら、チビ助、行くぞ」
アレックスに手招きをされ、ディレイはハシュレイの顔色を窺いながらすり抜けた。互いが待っていたかのように、ひたと目が合う。
「また明日。ゆっくり休めよ」
ディレイの顔に自然と笑みが浮かんだ。
「うん。おやすみなさい」
威勢を取り戻したディレイは、顔を綻ばせながらアレックスの後を追った。両手を頭に乗せて、気だるそうに歩くアレックスに追いつくと、ディレイは後ろを振り返った。ハシュレイの姿は、既に無かった。山積みにされた装飾品があるだけだ。見ると、彼は階を下り、中庭へと歩き出していた。
「ハシュレイ……。どこに行くんだろう」
ぽつりと呟くと、アレックスが面倒臭そうに中庭を一瞥した。
「あぁ、竜王の私室だろ」
「王様の部屋? そんなに簡単に入れるものなの?」
王様と聞いて、アレックスが一笑する。
「そんなに大層なものじゃねぇよ。所詮は少数民族の族長だ。田舎者の集団だしな。でも、賊や宮殿勤め以外の者が忍び込めば、当然、近衛が大勢駆けつけるくらいには守られてるぞ。ハシュレイは別格なんだよ」
「どうして?」
「どうしてって……、そりゃあ、竜族滅亡の危機から幼少の現竜王を救い出した命の恩人だし、その頃から育ての親であり、師でもあるなら当然だろ」
庭を囲うように伸びる廊下を過ぎて、本殿へと突き当たる。重厚な扉をアレックスが開き、促されるままにディレイは本殿へと足を踏み入れた。
石畳みの廊下は緩やかな左曲線を描いていて、風通しを配慮してか、庭に面した壁はくり抜いただけの大きな窓が幾つもあった。等間隔に並べられた篝火が足元を照らし、漆喰を塗った白い壁を朱く染めていた。梁には細かな彫刻が施され、紋章を刺繍した青い旗が吊るされている。紋章は、一頭の竜を意匠化したもので、銀糸が多く使われていた。
ディレイは紋章を一瞥し、この宮殿の主の姿を想い描いた。そこで、ふと疑問符が浮かんだ。
「ちょっと待って、アレックス。竜族が滅亡しかけたのって何時の話?」
脇をすり抜け、廊下の中央を進み始めたアレックスの腰帯の裾を掴む。
アレックスは腕にとまった虫を叩き落としてから、歩きながら少し考え込む仕草をした。
「何年だったかなぁ……。オレが生まれる、ずっと前だぜ。年数を聞くなよ。歴史は苦手でさ」
それだけ聞けば、十分だ。やはり、計算が合わない。
「……ねぇ、ハシュレイって、いったい何歳なの」
アレックスの足が、はたと止まる。意外だとでも言いたげに、ディレイを見た。
「なんだ、聞いてないのか。ハシュレイは不死者だぜ」
「不死?」
ディレイは驚き、思わず聞き返した。
「そう、竜の契約者だからな。不老にして不死。たぶん、百年以上は生きてるだろうな。あの剣の事は聞いてるか? 邪黒の事」
頷いて、再び歩き出したアレックスの後を追う。
「竜の遺産の一つだって言ってた」
「それと契約したからな、ハシュレイは。竜の遺産は主を選定し、契約者は選定された者を導く。その見返りに、竜の力と永遠の寿命を授かるんだと」
あのハシュレイが、不老にして不死の者。ディレイは驚きつつも、俄かには信じ難いと思った。
「そんな素振り、全然無かった」
アレックスが鼻で笑う。
「ハシュレイってさ、思慮深そうに見えて、案外無鉄砲だろ?」
言われて、船上での一戦が思い出された。身を挺して守ろうとしてくれたハシュレイは、確かに己を顧みなかった。
中央階段へと辿り着き、階段を上りながらアレックスは話続けた。
「一度死ぬとさ、邪黒がハシュレイを蘇生させるんだ。無事に蘇生するまで邪黒は動かない。力自慢が束になっても絶対に持ち上がらなかったって、父さんは言ってた」
合点がいった。結果として、ハシュレイは竜蛇を討てたようだが、刺し違えてでも逃がそうとしてくれたのは、邪黒の後ろ盾があったからなのか。でも、だからといって、命を粗末にするのはどうかと、ディレイは思った。痛みだって、あるに違いない。
ディレイは唇を噛み、そうまでして守ろうとしてくれたハシュレイに胸を痛めた。
「教えてくれれば良かったのに」
「だって、お前、チビだもん。知ったからって、何ができるんだよ」
階段を上り切り、二階へ上がったアレックスは、くるりと踵を返した。ディレイの鼻先に、真っ直ぐに伸ばした人差し指を突き付ける。
「言っておくけど、不死が羨ましいなんてほざくなよ。人族のハシュレイにとって、竜の時間を生きるのは残酷だ。だからと言って、同情もするな。その為にオレ達が居るんだ。この島は、ハシュレイが休める唯一の島で、オレ達が絶対に守ってみせる」
ディレイは、アレックスの険しい表情の奥にハシュレイを想う強い決意を見て安堵した。同時に、羨望の想いも生まれて苦笑する。
「僕も、この島で生まれたかったな」
囁くように呟いて、ディレイはアレックスを追い越した。左右を見渡して、彼の指示を待つ。溜息まじりに背中を押され、右側へと連れていかれた。
「ハシュレイが連れて来たってことは、お前、邪黒に選ばれたんだろ? なら、もう、オレ達一族の仲間だよ」
ディレイは息を呑み、アレックスを見た。
「どうして……。密命って言ってたのに」
山吹色の前髪を掻き上げ、アレックスがくしゃりと笑った。
「オレ、これでも官位はあるんだぜ。竜騎師だしな。だから、本殿に住んでるんだ」
本殿は高官中の高官が住み、庭を挟んで本殿の正面にある紫殿に次官や近衛が住まう。一番外側にある白鷺殿にロジカ率いる侍従師や衛兵達などが雑居していると、アレックスは説明をしてくれた。
「……ウソ」
歩みを止めて、ディレイはアレックスを隅々まで眺めまわした。どう見ても、自分と変わらぬ ただの子供で、日がな一日山河を駆け巡る姿しか想像できなかった。威厳も何もなく、ロジカを困らせ、ハシュレイに叱られているばかりの方が、しっくりくる。それに、ここに来るまでも、侍従達から敬意を払われた様子は微塵も感じられなかった。
「なんだよ、その顔。なんなら、隊長様と呼んでくれてもいいんだぜ」
彫刻が両脇を固める扉の前に立ち、にっと笑う。
扉が開かれ、視界が開けた。今までに見たことのない広い部屋だった。壁際にある天蓋付きのベッドは泳げそうなほど大きく、その脇には花が飾られていた。中央には白い獣の毛皮を使った小さな絨毯が敷かれており、一人では勿体ないくらいの豪華なソファと石製の机がひっそりと居座っている。開け放たれた窓から、白い月灯りと共に風が漂う。ベッドの周囲にだけ、蝋燭の灯りが灯されていたが、この月夜には無粋に思えた。辺境の島ということを忘れさせる豪華さがあり、辺境の島だからこその幻想が満ちた部屋だった。
「お前の部屋だよ」
茫然としていると、腕を組んで彫刻に凭れていたアレックスが左手を室内へと向けた。
おそるおそる、一歩を踏み出す。艶のある板張りの床は鏡のように磨き抜かれ、歩くと こつんと音が響いた。
「オレの部屋は隣にある。困ったことがあったら言いに来いよ」
ディレイの背後で、蝶番の甲高い音が響いた。慌てて振り返ると、閉まる扉の隙間からアレックスが軽く手を上げて微笑していた。
ぱたりと扉が閉まる。
ディレイはアレックスを追いかけたい衝動を堪え、扉に背を預けた。そのまま、ずるずると座り込む。
高官中の高官が住む本殿。豪奢な部屋。洗練された家財道具。感動はするが、質素な家庭に生まれた己には似合わないとディレイは思った。ひどく浮いた感じがする。美しい宗教画に付いた染みのようだ。
膝を抱えて、顔を埋めていたディレイは、暫くすると渋々立ち上がった。そして、扉を振り返りながらベッドに近付く。
そっと、ベッドの端を押してみる。真綿に置いたように手が吸い込まれてゆく。さっと手を引き、上掛けに残った手形を払って伸ばす。皺一つさえ残してはいけない気がした。
外を見やると、月はかなり高い位置にあった。溜息を吐き、蝋燭の火を吹き消す。
窓辺に立ち、庭を眺めていると、とろとろと睡魔が襲ってきた。ベッドで眠る気にはなれなかった。ソファも無理に思えた。仕方なくベッド近くの部屋の角を寝床に決めた。
横になると、木の温もりが伝わってきた。硬直した肩が、ゆっくりとほぐれていく。
ディレイはハシュレイを想った。アレックスの言葉が脳裏に谺する。人が竜の時間を生きる。それが、いかに残酷なことか、幼いディレイには理解できない。けれど、ただ漠然と、楽ではないのだろうと思った。
「……ずっと旅をしていられたらいいのに」
身体を丸め、目を閉じる。ハシュレイと共に過ごした日々を、ディレイは意図的に思い出した。ついこの前のことなのに、あの焚火の灯りが、みすぼらしい恰好で笑うハシュレイが、ひどく懐かしく感じてならなかった。
また、いつか、あんな日が来るといい。そう願いながら、ディレイは眠りについたのだった。
皆さん、こんばんわ。
第3章 3節をお届けいたしました。
いかがでしたでしょうか? 楽しんでいただけましたでしょうか?
まだ、暫くは、彼らの話が続きます。
(ファーンは4章までお休みです)
次回は、8月13日から15日の間に更新する予定です。
やはり間が開いてしまいますが、可能なかぎり早く更新できるよう努力致しますので、どうか今後もよろしくお願い致します。




