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翌朝、目を覚まして、時計を見る。
六時四十八分。静かだった。
ミョー、ミョーも聞こえない。もう一度目を閉じようとしたところで、廊下を歩く音がした。
来た。
「ミオ」
襖の向こうから声がする。
「はい」
「起きているか」
「はい」
少し間があった。
「朝食は?」
昨日のしおらしさはどこへ行った。
「冷蔵庫にパンがあります。四角くて、袋に入ってるやつです。焼いて食べてください」
また間があった。
「どうやって」
「……今行きます」
朝食を食べて、猫の餌をやり、器の水を換え、洗濯機を回した。
ルイは昨日買った紺色のTシャツを着ていた。うまもんじゃない。
普通だ。
昨日も思ったけど、普通の服を着ると、急にちゃんとした人に見える。
「洗濯が終わったら、干すの手伝ってくださいね」
「干す?」
「外に」
「なぜ」
「乾かすためです」
「機械で洗えるのに、乾かすことはできないのか」
ほう、そうきたか。
「うちのはできません」
ルイが洗濯機を見る。ぐるぐる回っている。
朝のうちに畑を見ておこうと思ったので、庭に出る。祖母の家に来てから、素人判断ではあるが食べ頃と思える野菜を取っている。サンダルをつっかけて庭へ下りると、ルイもついてきた。
「どこへ行く」
「畑です」
「私も行く」
ルイが止まった。
ルイが寝泊まりしている部屋の縁側に、黒猫が座布団の上にいた。
昨日、ルイが座っていた座布団だ。
「……そこは私の場所だ」
猫は動かない。
「どかせ」
猫は前足を舐めた。
「ミオ。どかせ」
「自分で言ってください」
「猫にか?」
「私に言われても」
ルイが猫を見る。
猫もルイを見る。
しばらく見つめ合っていた。
先に猫があくびをした。
「行きますよ」
「こいつはいつもこうなのか」
「猫なので」
「答えになっていない」
知らんがな。
畑には茄子ときゅうりとピーマン、トマト、オクラが植わっている。
端には大葉がわさわさ生えていた。
祖母は大葉は勝手に生えると言っていたけれど、本当に勝手に生えている。
「これをとります」
オクラを指す。
「どれだ」
「大きくなってるやつ。これくらいかな」
鋏を渡す。
ルイが隣のオクラをつかむ。
パチン。
「あーー!」
「なんだ!」
「枝!」
ルイの手には、オクラと枝が一緒にあった。上だけバッサリ。
「実をとれと言っただろう」
「実だけでいいんですよ。枝も切ったらこれから大きくなる実が育たないじゃないですか」
「そ、そうか。そうなのか。か、飾るのはどうだ?」
「……斬新ですね」
切られた枝を見た。まあ、仕方ない。
「最初に私がやるのをよく見ていてくださいね」
「うむ」
素直だけど偉そうだな。
それからきゅうりを二本と、茄子を三本、ピーマンをいくつかとった。ルイは鋏を使わせれば普通にできた。一度手本を見せて教えたことはすぐ覚える。
「これは?」
ルイが庭の木を指した。
「柿です」
「食えるのか」
「秋になったら」
その隣を指す。
「これは」
「金木犀」
「食えるのか」
「食べませんね」
「では何のためにある」
「秋になると、いい匂いがします」
ルイは金木犀を見上げた。
何か言うのかと思ったけれど、何も言わなかった。そのまま歩いていく。
庭の隅に、小さな社がある。
ルイが止まった。
「ここだ」
「何がです?」
「私が来た場所だ」
「ああ」
そうだった。
初日に全裸のルイが落ちていた場所。
ルイは野菜の入った籠を私に渡した。社の前まで行く。しゃがんで、下を見る。横を見て、裏に回る。
「何かあります?」
「何もない、しかし確かにここから私は来たのだ」
「そうでしたね」
「戻る方法があるはずだ」
「あるんですかね」
「なければ困る」
それはそうだ。
ルイはもう一度、社の裏へ回った。しばらくして戻ってきた。眉間に皺が寄っている。
「何なのだ、これは」
「?荒神さんです」
「コウジンサン」
「台所の神様だったかな?たぶん」
「たぶん?」
私も詳しく知らない。
おばあちゃんが時々掃除している。
おばあちゃんがここで手を合わせてパンパンとしていたので、私も幼い頃からお付き合いでパンパンしていたな。そのくらいだ。
「おばあちゃんが帰ってきたら聞いてみましょう」
「いつ帰る」
「三週間くらいって言ってたかな」
ルイが黙った。
私の腕に蚊が止まった。
ぱちん、と叩く。
「何をした」
「蚊です」
「カ?」
「刺されますよ」
ルイが自分の腕を見る。一匹止まっていた。
「動かないで」
「なぜだ」
ぱちん。
「何をする!」
「だから蚊!」
「先に言え!」
洗濯は終わっていた。
物干し竿にハンガーをかけながら、ルイに洗濯物を渡す。
「これ、ここに」
Tシャツを一枚渡した。
ルイはハンガーとTシャツを見た。
「どうする」
「……こう」
一枚やって見せる。
「次、自分で」
ルイは真似をした。
首のところから無理やりハンガーを突っ込もうとしている。
「伸びる伸びる」
「入らん」
「こうやって、斜めにして入れてください」
「先に言え」
「今日それ多いですね」
二枚目はできた。三枚目もできた。覚えるのは早い。
ちなみにパンも焼けるようになった。
一通り干し終わると、ルイはまた庭へ行った。猫がまだ座布団にいた。
「まだいるぞ」
「いますね」
「いつまでいる」
「知りません」
「名は?」
「あ」
そういえば、まだ教えていなかった。
名前を教えると、ルイは二度繰り返した。
猫は返事をしなかった。
オクラの枝はコップに入れてダイニングに飾った。
昼を食べてからも、ルイの質問は続いた。
昨日、外へ出たせいで増えた気がする。
「昨日の道にあった、上を人が歩くものは何だ」
「歩道橋です」
「なぜ上を歩く」
「車が来るから」
「すべての道に作ればよいのではないか」
「お金かかるからじゃないですか」
「誰が払う」
「税金?」
「税はどのように徴収している」
「知りません」
「昨日の店で働いていた者は――」
「ちょっと待って」
私は止めた。
無理だ。
私はこの国に二十年以上住んでいるけれど、この国の仕組みを説明できるほど詳しくない。よし!奥の手だ。
「自分で調べてもらっていいですか」
「どうやって」
「インターネットで」
「インターネット」
また新しい単語を覚えた顔をしている。
部屋へ戻って、鞄の底からノートパソコンを出した。持ってきたはいいけれど、ほとんど開いていない。充電ケーブルをつないで、電源を入れる。久しぶりに見る画面だった。
Wi-Fiにつなぐ。
アンテナが全部立った。ページが一瞬で開く。ギュンギュンである。なぜ??速い。
「……なんでこんなギュンギュンなんだろ」
「ギュンギュン?」
「こっちの話です」
山の中なのに。おばあちゃん、いったい何の契約してるんだろう。
メールを開くと、凄まじい数の未読が溜まっていた。見なかったことにして、ルイ用のゲストアカウントを作った。
「これ使っていいですよ」
「これは?」
「パソコン」
ルイが横から画面を覗き込む。
「昨日、店にもあったな」
「ありましたね」
検索画面を開いた。
「ここに、知りたいことを入れます」
「どうやって」
「喋ってもできますよ」
マイクのマークを押す。
「試しに何か言ってください」
ルイが少し考えた。
「歩道橋は、なぜすべての道路に設置されないのか」
長い。
画面に文字が出る。
ルイが目を見開いた。
「今、私が言ったことが書かれた」
「そうです」
検索結果が並ぶ。
「この中から読みます」
ルイが画面に顔を近づけた。
「読めます?」
「読める」
「日本語なのに?」
「ニホンゴ?」
そうだった。
「これは?」
英語のページを開く。
ルイが読む。意味を聞くと、普通に答えた。
中国語。
読んだ。
フランス語。
読んだ。
シンハラ語。私は読めないけど可愛くて好き。
読んだ。
「……何なんですか、それ」
「何がだ」
「何語でも読めるんですか?」
「文字であれば読める」
「なんで」
「読めるからだ」
腹立つな。
「じゃ、好きに調べててください」
私はパソコンをルイに渡した。
これで静かになる。やっと静かになる。
静かになった。ものすごく静かになった。
一時間経っても来ない。
二時間経っても来ない。
三時間を過ぎても来ない。
さすがに気になって離れを覗いた。ルイは机の前に座っていた。
画面には細かい文字がびっしり並んでいる。最初は音声入力を使っていたらしい。
今はキーボードを人差し指で打っている。
遅い。
「何見てるんですか」
「この国の人口だ」
「人口」
「減っている」
「そうですね」
「なぜだ」
「さあ」
「子が生まれない」
「どうしてだと思いますか?」
「なぜだ」
秘技!質問返し!だったのに成功ならず。せっかくインターネットを与えたのに。
画面を見る。
人口推移。高齢化率。地方自治体の財政。食料自給率。農業従事者の年齢。外国人労働者。自動化。
なんか難しそうなものばかり開いている。
「昨日、道に人が少なかった」
「田舎ですからね」
「空いている家も多い」
「多いですね」
「畑にいた者も年を取った者ばかりだった」
「まあ」
ルイはまた画面を見る。
「人が減れば、働く者も減る」
「そうですね」
「外から人を入れる」
「外国人労働者のこと?」
「おそらく」
「機械にもやらせる」
昨日のスーパーにいた、自動で床を掃除する機械を思い出した。
「それで足りるのか」
「私に聞かないでくださいって」
ルイは聞いていなかった。
別のページを開いている。知らない言語だった。
私は母屋へ戻った。
夕方。
洗濯物を取り込んでいると、離れから音がした。
カタ。
カタカタ。
カタ。
止まる。
カタカタカタ。
何だ。覗くと、ルイがキーボードに向かっていた。両手を乗せている。
「何してるんですか」
「入力の練習だ」
「音声でやればいいじゃないですか」
「こちらの方が速い」
今のところ、全然速くない。
「ここに指を置くとよいらしい」
「へえ」
カタカタ。間違える。消す。また打つ。
「夕飯作りますよ」
「分かった」
母屋へ戻る。
しばらくすると、
カタカタカタカタカタカタ。
速くなっている。
怖い。
夕飯ができたので呼びにいく。
今夜はミートボールスパゲッティとスープと畑で採れた野菜を蒸したサラダ。
どこかでみた映画で、肉団子がたくさん入ったスパゲッティを食べているシーンがあって、ふと思い出したら無性に食べたくなり、備蓄の肉団子を解凍して作ってみた。
カタカタカタカタ。
「……速くないですか?」
「そうか?」
さっき人差し指で打ってたよね?
画面には、日本の政治制度についてのページが開いていた。その横に、外国の王室。さらに国際情勢。タブが多い。多すぎる。
「こんなに開いて大丈夫なんですか」
「何がだ」
「いや……別に」
一つ閉じようとして、別のタブが目に入った。
『うまもん 公式』
「あ」
カチッ。
消えた。
「今、何か閉じました?」
「何も」
夕飯の後、ルイがいそいそとパソコンを持って母屋にやってきた。
「ミオ」
「はい」
「これを、トウロクしてみたい」
画面を見る。
「AI?」
「エーアイ」
「ああ。人工知能です。質問すると、いろいろ答えてくれますよ」
「人工知能。誰が答えている」
「人工知能です」
「だから、それは何だ」
「……ちょっと待ってください」
ルイ用にチャッピーのアカウントを用意する。最近使っていなかった自分の有料プランは解約して、なぜだなぜだのルイ君用に申し込む。
しかし、後になって思えば、それがすべての間違いだったのだ。
「実際に使って調べてください」
ルイが調べ始めた。
しばらくして静かになった。とっても嫌な予感がした。
「ルイ?」
返事がない。
覗き込む。画面に質問が入っている。
『日本における人口減少の原因と、今後生じる可能性のある問題を述べよ』
「……夏休みの宿題?」
「違う」
回答が出た。ルイは読む。
次。
『労働人口の減少を外国人労働者の受け入れによって補う場合、どのような問題が起こりうるか』
次。
『農業の機械化が進んだ場合、地方の人口移動にどのような影響があるか』
「すごい使いますね」
「これは便利だ」
「そうですね」
「専門家を一人ずつ呼ぶ必要がない」
呼んでたんだ。
「だが、答えが曖昧だ」
「そういうもんじゃないですか」
「こちらの条件を変えると、先ほどと違うことを言う」
「条件変えたからじゃないですか?」
ルイが黙った。
「それもそうだな」
素直だな。また打ち始める。カタカタカタカタ。
私は台所へ戻った。食後にゆっくり日本茶が飲みたい。しばらくしてルイが大きな声で隣のリビングから叫ぶ。
「ミオ!」
「はい!」
「この人工知能は間違えるのか!」
「間違えますよ!」
「なぜだ!」
「知りませんよ!」
静かになった。
またカタカタ聞こえ始めた。
少しして、
「ミオ!」
「今度は何ですか!」
「がっつりみかんを作ってる会社はガリボリ君という青いアイスも作ってるぞ」
急須を持ったまま、私は止まった。
「……めっちゃ調べてんじゃん」
返事はなかった。
毎日21:10更新予定です




