19
庭のいちじくが、熟れた。
朝、洗濯物を干したときに見つけた。もいで冷蔵庫に入れた。
夕飯の後、白ワインを開ける。いちじくを切って、生ハムとチーズも並べる。
「果物と肉を一緒に食べるのか」
ルイが皿を覗き込んだ。
「私が好きな組み合わせなんだ」
「それは楽しみだ」
生ハムをのせて渡す。
「……うまいな」
白ワインをぐびっと飲んで、すぐ二つ目を取った。
「チーズも合いそうだ」
「合うよ」
また白ワインを飲む。
窓を開けていると、庭から涼しい風が入ってきた。虫が鳴いている。
「そういえば、犬はいちじく食べちゃいけないらしいよ」
「そうなのか」
「飼ったことないけど」
「俺は飼っていたぞ」
「どんな犬?」
「大きい。毛が長くて、茶色い。胸のあたりだけ白かった」
「かわいい」
「落ち着きがない。誰にでも尻尾を振るし、俺がどこかへ行こうとすると必ずついてくる。部屋に入れないと扉の前で鳴く」
「めちゃめちゃかわいいじゃん」
「弟に似ている」
「犬が?」
「ああ。あいつもどこへでもついてこようとする」
「弟いるの?」
「ああ」
「妹も二人いる」
「下に三人もいるの?賑やかそう」
「うるさいぞ。特に妹たちはずっと喋っている。朝から晩まで、何をそんなに話すことがあるのか分からん」
「女の子二人いたらそんなもんじゃない?」
「母もよく喋るからな。三人揃うとなかなかかしましい」
言いながら、少し笑っている。
「何話してるの?」
「さあ。服だの菓子だの、庭に咲いた花だの。俺が本を読んでいても構わず話しかけてくる。母が俺に聞いたことを妹が答えて、もう一人が別の話を始めて、そこへ弟まで入ってくる」
「ルイ、喋る暇ないじゃん」
「だから黙っている」
「なるほど」
「夕食くらい静かに食えないものかと思っていた」
「でも毎日一緒に食べるんだ」
「そういうものだろう」
「ふうん」
「何だ」
ルイがワインのグラスを置いた。
「いや、みんなルイに構ってほしいんだね」
様子が思い浮かんで思わず笑う。
虚をつかれたような顔をしている。あれ?
「そうなのか」
「そうでしょ。ご飯の時も。時にはルイの部屋まで来て、みんなでワンワン喋ってるんでしょ。構ってほしくて」
「そうなの…か?」
「うん?懐かれてんじゃん」
「そうか?」
少し恥ずかしそうに笑った。
「妹たちは?」
「来る。下の妹など、菓子を持ってきて俺の部屋で食べて帰る」
「それ、ルイと一緒に食べたいんじゃない?」
「そうなのか…」
「知らないけど」
ルイは少し考えていた。
「母も来るぞ。茶を持ってきたり、本を持ってきたりする」
「それ、ルイとおしゃべりしたいんだよ」
ルイは黙った。チーズを一つ取る。
「俺は、気を遣われているのだと思っていた」
「うん」
「母は実の母ではない。弟たちとも年が離れている。俺だけは、実母の生家の後ろ盾もあって、生まれたときから立場が決まっていた。家族でありながら、少し違う。そんな俺を、あの輪の中に入れてくれているのだと思っていた」
「うん」
しばらく黙っていた。
ルイはいちじくを取って、生ハムをのせた。白ワインを飲む。
しばらくして、ルイが言った。
「今度、レアチーズケーキを作ってやろうかな」
「妹たちに?」
「ああ。好きそうだと思う」
「いいじゃん。喫茶店の超えたし」
「いや、まだ何か足りない」
「いや、超えた超えた。散々練習したもんね。きっと喜ぶよ」
「ああ」
窓の外には太った月が出ていた。
次の日は、餃子を作った。
キャベツを刻んで、にらとひき肉を混ぜる。多めの生姜とにんにく、ごま油。
皮を出したところで、ルイが寄ってきた。
「俺もやる」
「助かる」
一つ見本を作る。
「こうやって、ひだを寄せて」
「分かった」
一個目。ふつう。
二個目。きれい。
三個目。売り物みたいになった。
「お店のみたいにきれいな形だね」
「お前のを見ていた」
「本当に器用なんだね」
「そうなのか?」
四個目もきれいだった。
五個目で、ルイの手が止まった。
「どうしたの?」
「他の包み方はないのか」
「あると思う」
ルイが手を洗って、タブレットを開いた。検索する。隣から覗き込む。
「何これ、かわいい」
「丸くするらしい」
「やってみよう」
「これは花だ」
「いいねえ」
そこから、普通の餃子はほとんど増えなくなった。
丸いの。
花みたいなの。
ひだを左右から寄せたもの。
「これ絶対焼きにくいよ」
「やってみなければ分からない」
ルイが笑う。
焼いた。焼きながらビールを開けて、飲み始めた。
餃子が焼き上がる。どんな形でも、美味しい。そしてビールがすすむ。ルイは猫舌だから、背中を丸めてフーフーして食べている。いつ見ても面白い。
「うまいな」
「餃子とビールは正義だね」
「正義の使い方がおかしい」
「いいの」
二回目の餃子が焼けた。食べながらビールを飲む。箸休めにきゅうりの浅漬けを食べていると、見ていたテレビのドラマで父親と娘が喧嘩を始めた。
父親は娘を心配している。心配しているのに、余計なことばかり言う。娘は怒る。父親も怒る。
「父親ってムカつくわー」
言ったら、ルイがすぐに頷いた。
「分かる」
「分かるんだ」
「分かる。言葉が足りない」
「心配してるのは分かるんだよ。たぶん。あれしろ、これしろって、全部、私が困らないようにってことだったんだと思う」
「なら、いい父親ではないのか」
「そうなんだけどさあ」
ビールを飲む。
「だったら、心配だって言えばいいじゃん。お前が心配だから、できれば困らない道を歩いてほしいって」
「ああ」
「なのに『絵で食べていくのは難しいぞ』だよ。そりゃ、描いちゃいけないんだって思うじゃん」
「言葉が足りないな」
「足りないんだよ」
餃子を一つ取る。
「あ。ルイんとこもじゃん」
「何がだ」
「裸で異世界」
ルイが止まった。
「何の罰ゲーム?って感じじゃん。」
「罰ゲーム?」
「でも実際は、夏休みじゃん!」
「夏休み?」
「ちょっとゆっくりしろってことでしょ」
「そうだったのか?」
「え?違うの?」
「いや。そうだったのかもしれない」
「言葉が足りないんだよ」
「確かに」
「ちゃんと説明しろよ」
「俺もそう思う」
「察しろじゃないんだよ」
「そうだ」
「ドラマじゃねえんだ」
「本当にそうだ」
おかしくなって、二人で笑った。
ビールを飲む。
「でもさ」
「なんだ」
「ルイのお父さんも、ルイのこと心配だったんじゃない?」
「父上が?」
「うん。たぶん」
「なぜそう思う」
「だって、どうでもよかったら、わざわざこっちに送らないんじゃない?」
「反省しろと言われたのかと思っていた」
「反省することあるの?」
「あるけど、ない」
「なんだそれ。でも裸はひどいよね」
「だろう。まあ指輪だけは持ってきた」
「指輪?ああ、そのいかついやつ」
「私が王子であることの証だ」
「まあでもさ、服くらい着せろよ」
「そうだ」
「バーカ」
「誰がだ」
「ルイのお父さん」
「……」
「だって裸で息子を異世界に送ったんでしょ。怒っていいよ」
ルイは何か言おうとして、やめた。
ビールを飲む。
「……それについては、否定しにくい」
「ほら」
「だが、お前も父親に何も言っていないだろう」
「何を?」
「心配なら心配だと言え、と。お前の言い方では分からない、と言ったのか?」
「……言ってない」
「ほら」
「そっちだって言ってないじゃん。分かんねえよって」
「言った」
「ちゃんと?」
ルイが黙った。
「ほらー」
「……うるさい」
「お互い様じゃん」
「お前もな」
「そっちもね」
またビールを開けた。
「おっさんズ、バカ」
「父上をおっさんと呼ぶな」
「おっさんでしょ」
「そうだな。おっさんなんだな」
ルイが妙に真剣な顔で考えた。真面目か。
思わず吹き出した。
「認めるんだ」
「事実だろう」
「そこ真面目に考えなくていいから」
笑う。ビールを飲む。ルイも私も笑った。
なんだか今日はよく笑う。
「そういえばさ」
何本目かのビールがなくなったころ、ふと思った。
「ルイって、本名ルイなの?」
「どういう意味だ」
「王子なんでしょ? もっと長い名前とかないの?」
「あるぞ。最初に名乗ったぞ」
「そうだっけ?」
ルイが言った。長かった。
「長っ」
「長くない」
「もう一回」
もう一度言う。やっぱり長い。
「覚えられない」
「覚える気がないだろう」
「でも、途中のやつ、何?意味があるの?」
「ああ。古い言葉だ」
「どんな意味?」
「光と共にあれ」
「光?」
「ああ。古い言い回しだ。今の言葉なら、幸せであれ、というところだな」
「へ――」
「何だ、その返事は」
「誰がつけたの?」
「父上だ」
「へえ――」
「さっきからそれしか言っていないぞ」
「なんか眠くなってきた」
「飲みすぎだ」
「まだ飲みたい」
「茶を飲め、もう目が閉じているぞ」
「閉じてない」
ソファに移動して、背もたれに頭を預ける。楽だ。
「部屋へ行って寝ろ」
「まだ寝ない」
「なら起きろ」
「起きてるよ」
「目を開けろ」
開ける。
ルイがいた。
「ミオ」
「んー」
「そこで寝るな」
「寝てない」
「寝ている」
「寝てないよ」
「なら部屋へ行け」
「あと五分したら行く」
「そこで寝るぞ」
「寝ないから」
「だったら――」
声が遠くなった。
なんだっけ。
ルイ。
長い名前。
光。
幸せ。
「……ルイ……」
「なんだ」
「……しあわせ……」
「ミオ?」
「……幸せで……あれ……」
そのまま、眠った。
返事がなくなった。
「ミオ?」
寝ている。完全に。
頬に何かが落ちた。
手で触れる。
水。
何だ、これ。
もう一つ。
ミオは寝ている。
窓の外に月が満ちる。
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