16
図書館から借りてきた本を読んでいたルイが、顔を上げた。
「ミオ。この遺跡はここから近いのか」
見せられたページには、見覚えのある地名が書いてあった。
「ああ、近いよ。車で二十分くらいかな」
「見られるのか」
「遺跡を?」
「ここには発掘調査のあと、一部を保存していると書いてある」
そんなものがあっただろうか。
地名は知っている。何度も近くを通ったこともある。スマホで調べてみると、郷土資料館が出てきた。
発掘された土器や石器。遺跡の一部。敷地内には移築された茅葺きの古民家もあるらしい。
「あるね」
画面を見せる。
ルイが覗き込んだ。
「今日、これから行けるか」
「今日?」
時計を見る。
朝の八時半を少し過ぎたところだった。
予定はない。
というか、今日だけじゃない。明日も特にない。
「行く?」
「ああ」
「じゃあ洗濯機もう一回まわして、それ干してから行こう」
車で行った。何度も通ったことのある道を曲がって、さらに細い道へ入る。
こんなところにあったんだ。駐車場には車が三台停まっていた。
平日の郷土資料館は静かだった。ルイは最初の展示ケースから動かなくなった。
土器。石器。発掘された装身具。昔の農具。
説明を一つずつ読んでいく。私はさっと一巡して、途中でベンチに座った。
ルイは熱心に見ている。長くなりそうだ。
私はルイが全てを見終わるまで、スマホをつらつらと見る。
外には、移築された古い家があった。大きな茅葺き屋根。中へ入ると薄暗く、土間と囲炉裏がある。ルイが屋根の裏側を見上げた。
「これだけの草で雨を防ぐのか」
「そうみたい」
「腐らないのか」
「葺き替えるんじゃない?」
「どのくらいで」
「どのくらいなんだろ。今は葺き替えるのもすごいお金がかかるって聞くし、そんなに頻繁にはできないんじゃない」
囲炉裏の上には、黒くなった梁が渡っている。ルイは今度はそっちを見た。
「家の中で火を焚くのか」
「昔はね」
「煙は?」
「上に抜けるんじゃない?」
「だが天井がない。屋根の内側に――」
「すみません」
ちょうど近くにいた係のおじさんを呼んだ。
「この人、知りたいことがいっぱいあるみたいで。教えていただけますか?」
ルイが私を見る。おじさんが笑った。
そこから長かった。おじさんも暇だった。
煙で燻されることで茅や木材に虫がつきにくくなること。屋根は定期的に葺き替えること。昔は近所の人たちが手伝っていたこと。
ルイは次から次へと聞いた。おじさんも色々と聞かれたのが嬉しいのか、熱く答えている。
私は縁側に座って待った。庭に柿の木があった。実が色づき始めている。
風が吹く。気持ちがよかった。
資料館を出たのは、一時を過ぎていた。
「お腹すいた」
「俺もだ」
車を走らせる。何か食べて帰ろうかな、と思った。大きな道路に出たところで、回転寿司の看板が見えた。
「あ。ルイは生のお魚食べられたよね」
「ああ。サシミだな。なかなか上手い、生で食べるには輸送が……うんぬんかんぬん……」
「食べて帰ろうか、あそこの店、お寿司屋さん。行ってみる?」
ルイが看板をみた。
「俺は構わない」
私は寿司屋の駐車場に入るべく、ウインカーを出して、ハンドルを切った。
昼の混雑が少し落ち着いた時間だった。席について、ルイにタッチパネルを渡す。
「ここから注文するのか?」
「そう。好きなの選んで」
ルイが画面を送る。
まぐろ。サーモン。いか。えび。次のページには、うどん、ラーメン、唐揚げ、ポテト。
指が止まった。
「寿司屋だろう」
「寿司屋ですよ」
「何でもありだな」
「デザートもあるよ」
さらに画面を送った。ケーキ。アイス。パフェ。ルイはじっくりメニューを見ている。
私は炙り系を攻める。茶碗蒸しも注文する。ルイはまぐろを見ている。
「これは何だ。びんちょう?」
「まぐろの仲間」
「こっちとは何が違う」
「知らない」
「食っているのに?」
「おいしければいいの」
注文した皿がレーンを走ってきた。目の前で止まる。ルイがびっくりしている。その顔が見たかった。
「来たよ」
「分かっている。……速いな」
皿を取る。一貫食べた。
またタッチパネルを見る。
「気に入った?」
「比較する」
違うまぐろを頼んだ。研究している。ハンバーグがのっているのを頼んだりもしている。結構チャレンジャーだな。
私はポテトを頼んだ。
「それも食うのか」
「食べる?」
「寿司を食いに来たんだろう」
「いらないなら一人で食べるけど」
結局ルイも食べた。ご満悦である。
私は最後にわらび餅とコーヒーを頼んだ。ルイはもう腹がいっぱいだと言いつつ、私のわらび餅を一つつまんで、自分のコーヒーを飲んだ。
「よく入るな」
「甘いものは別なの」
「同じ腹だろう」
「別なんです」
残りのわらび餅を食べる。ああ、おいしい。コーヒーを飲む。
あ。
そういえば。
「和菓子の美味しいお店があったな」
「どこに?」
「この辺じゃないんだけど。おじいちゃんとおばちゃんがお散歩帰りに、よく寄ってた和菓子屋さんがあるんだよね」
ずっと行っていない。まだあるのかな。店の場所は覚えている。
「今度行こうか、お散歩ついでに」
「いいな」
「うん。そして縁側でお茶をしましょう」
約束はそれからすぐに果たされた。
記憶にあった通り、和菓子屋は小さな店だった。よかった、やってた。
ガラス越しに季節の和菓子が並んでいる。
「おばあちゃんの同級生がやってるんだって」
引き戸を開けた。
「いらっしゃい」
奥から、おじいちゃんが出てきた。
少し遅れて、奥さんも顔を出した。
なんとなく恥ずかしいのでおばあちゃんの名前はださない。
ガラスケースを覗く。
秋の上生菓子が並んでいる。
萩。野菊。すすき。
小さな菓子の中に、秋が入っていた。
「ルイはどれがいい?」
「俺が選ぶのか」
「食べるでしょ?」
「味が分からない」
「見た目でいいよ」
ルイは真剣に選び始めた。
「これだな」
野菊。
「じゃあ私は萩」
あとお饅頭を4つ。ルイはあんこが好きみたいだから。とかいいつつ、私も半分食べるけど。包んでもらう。
家に帰って、日本茶を淹れようとして、せっかくだから抹茶を点てようかな、と思った。
食器棚を開ける。
おばあちゃんの茶道具がある。
茶碗を一つ出す。
なんか違う。戻す。
もう一つ。これも違う。
「何をしている」
ルイが覗き込んできた。
「茶碗選んでるの」
「飲めれば同じだろう」
「違うよ」
奥の方に、黄色っぽい茶碗があった。
取り出す。手の中で見る。
うん。
「ルイはこれね」
「俺のか」
「お月様の黄色。和菓子に菊を選んでたでしょう。お月見気分になるかなと思って。そろそろ十五夜だし」
自分には、薄い茶色の茶碗を選んだ。
菓子皿も出す。
野菊と萩をそれぞれ置いた。
おばあちゃんに教えてもらった作法は、ほとんど忘れた。まあでも何とかなるだろう。
まず、自分の分を点てた。練習する。
久しぶりだから、ルイの分で失敗したくない。
抹茶を入れる。お湯を注ぐ。茶筅を動かす。しゃかしゃかと音がする。
ルイが目の前でじっと見ている。
「そんなに見ないでよ」
「見たことがない」
「やりづらい」
「何をしているのか知りたい」
「あとでやってみる?」
「やる」
やるんだ。やっぱり。
茶筅を動かす。思ったより手が覚えていた。細かい泡が立つ。茶筅を置く。飲んでみる。うん、悪くない。これなら大丈夫そう。
「じゃあ、ルイの点てるね」
茶碗を替えて、さっきより少しだけ丁寧に抹茶を入れた。
さっきより、きれいにできた。
ぽてっと黄色っぽい茶碗をルイの前に置く。
「先に和菓子食べて」
「先なのか」
「そう。甘いものを食べてから、お茶」
ルイは野菊を持ち上げた。
「これだけ形を作っても、食えばなくなる」
「だからいいんじゃない?」
「なぜだ」
「見て、食べて、楽しむ贅沢」
ルイが私を見る。
「そうだな」
野菊を食べる。
「うまいな」
「そのあとお茶飲んでみて」
ルイが茶碗を取る。
一口飲んだ。少し間があった。
「いいな。これはこの順番だからいいんだな」
「そうだね」
「よし。ミオの分をいれてやろう」
悶絶した。
庭の方を見る。庭で日向ぼっこをしていた猫がこちらを見た。
別の日。おじいちゃんのお墓参りに行った。おじいちゃんの好きだった龍の描いてあるビールを持っていく。
ルイも来た。
「何をする?」
「おばあちゃんがちょくちょくきて、きれいにしてるから掃除はいいかな。ビール供えて、線香あげて」
「そのあとは」
「手を合わせる」
「何を祈る」
「別に祈らなくてもいいんじゃない? 私は近況報告みたいな感じ」
ルイはそれ以上聞かなかった。
ビールを供えて、線香をあげる。手を合わせる。
おじいちゃん。
今、おばあちゃんちに住んでます。異世界からきた王子も一緒です。
それだけ頭の中で言った。
ルイも隣で手を合わせていた。何を考えているのかは聞かなかった。
帰りに、おばあちゃんが檀家になっている寺にも寄った。ルイは墓地より、そっちの方が気になったらしい。建物を見て、屋根を見て、境内の石碑を読んでいる。
「いつも何でも読んでますけど、面白いですか」
「ああ。この年に寄付を募って、山本の家がいくつも寄付をしている。清水の名もあるぞ」
「それはよかったですね」
「お前の家の話だろう」
「そうなんですね」
「寺の者に詳しくーー」
「いやいや、帰りましょう」
笑いながら腕を引いた。
そして帰り道の途中に思い出した。
「あ」
「今度はなんだ」
「喫茶店」
そうだった。帰りに喫茶店にも行こうと思っていたんだった。前におばあちゃんとお墓参りに来た時に、帰りに寄ったお店。名前を検索する。出てきた。
「まだある」
なんだか、それだけでうれしかった。
扉を開けると、からん、とベルが鳴った。
店の中は少し暗かった。木のテーブル。使い込まれた椅子。壁の時計。コーヒーの匂い。
「ああ、ここだ」
覚えている。
窓際の席。カウンター。
奥に並んだカップ。
会社にいたころは、こういう店にはあまり行かなかった。誰かが新しい店を見つけてくる。雑誌に載っていた店。駅の向こうにできたカフェ。
天井が高くて、外国の人が多くて、雰囲気がスタイリッシュで、そして値段が高い。嫌いだったわけじゃない。楽しかったと思う。
でも。
「決まったか」
メニューの向こうからルイが聞いた。
「うん。ブレンドコーヒーとレアチーズケーキ」
「迷わないんだな」
「これを食べに来たからね」
ルイも同じものにした。
しばらくして、コーヒーとケーキが運ばれてきた。フォークを入れる。
一口。
濃い。少し酸っぱい。甘い。滑らかな口当たり、そして舌の上で溶けた。
コーヒーを飲む。
「……おいしい」
ルイも食べている。
「どう?」
「うまい。濃厚なのに後味がさっぱりしている。これは……うんぬんかんぬん」
「でしょ」
目の前のお菓子作り博士の蘊蓄を聞き流して、自分の手柄のように言ってみる。ああ、美味しい。味わいが染みる。
ゆっくり食べた。
「私、ここ好きなんだよね」
言ってから、また一口たべた。
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