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異世界王子の居候生活  作者: 鼎


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12/20

12

夜。

洗いたてのシーツは、気持ちいい。布団に入って、足を伸ばす。さらさらしている。


昼間ずっと日に当たっていたからか、まだ少しだけ、お日様の匂いがする気がする。


私はシーツを足の指で挟んだ。気持ちいい。もう一回やる。


さらさら。

昨日、雨に濡れたときは最悪だったけど、洗い直してよかった。


私は洗濯が好きだ。洗濯機を回すのも好きだけど、干すのが好きだ。乾いたシーツを取り込むのも好きだし、洗いたてのシーツに包まれるのも好きだ。


そういえば。


すき焼きも好きだった。久しぶりの和牛、おいしかったな。ルイがほとんど食べていたけど。


そんなことを考えていて、ふと思った。


好きなもの。


洗濯。すき焼き。ガリボリ君も好きだけど私はやっぱりガッツリみかん派。


それから。絵。


目を開けた。暗い天井が見える。

絵も、好きだった。

そうだった。好きだった。

昨日見つけた缶。紙人形。何十枚も作った服。短くなった色鉛筆。スケッチブック。


私は寝返りを打った。


――あれ。


なんで、描かなくなったんだっけ。


おばあちゃんは、私が何を描いても褒めた。本当に、何でも。

花を描けば、

「まあ! きれい! この色すごくいいわねえ」

猫を描けば、

「かわいい! 猫ちゃん!実物よりかわいい」


おばあちゃんを描けば、

「やだ、こんな美人に描いてくれたの?」


服を描けば、

「これ、おばあちゃんも着たい!」

ピンクで、リボンが三つもついたワンピースだった。でも、おばあちゃんは本気みたいな顔で言った。


私が何を見せても、百点ではなかった。五百万点だった。


私は、次々描いた。褒めてもらいたかったのもある。でも、その前から描いていた。

何を描こう、なんて考えなかった。目の前に花があれば花を描いたし、テレビにかわいい服が出てくれば服を描いた。

自分の左手を描いたこともある。開いた手。握った手。横から見た手。


何がそんなに面白かったのか、今となっては分からない。でも、描いていた。


実家でも描いていた。


リビングのテーブルに画用紙を広げて、色鉛筆やクレヨンを出した。


父が仕事から帰ってくる。

「何描いてるんだ」

覗き込む。

「これ」

見せる。


父はしばらく絵を見た。写真を撮るのが趣味な父は何か思うところがあったのか、言った。

「ここ、もう少し構図を考えた方がいいんじゃないか」

構図。

たぶん、小学生の私は意味がよく分かっていなかった。

父も、どこまで分かっていたのかは知らない。


「あと、この色とこの色は合うのか?」

「合うよ」

「そうか?」


母が台所から笑った。

「まあまあ、子どもの描く絵ですから」

それから、私の絵を見て、

「でも、本当に上手なんですよ」

と言った。

父も別に、下手だと言ったわけではなかった。

「もう少しこうしたらよくなるんじゃないか」

そういうことを言いたかったんだと思う。

たぶん。


そのうち、私は自分の部屋で描くようになった。机があったし、その方が道具を広げたままにできた。誰にも何も言われない。好きに描ける。


中学生になっても、ときどき描いた。教科書の隅。ノートの端。


雑誌で見つけた服。友達。手。靴。その辺に置いてあったマグカップ。


ある日、描いたものをリビングに置いたままにした。何を描いた絵だったかは、覚えていない。


父が見つけた。

「まだ絵、描いてるのか」

「うん」

「好きなんだな」

怒ってはいなかった。むしろ、笑っていた気がする。


それから、父は言った。

「でも、絵で食べていくのは難しいぞ」

何の話だろう、と思った。私は別に、絵で食べていくと言った覚えはなかった。


「スポーツだって同じだ。学校で上位一割に入ったって、プロにはなれない。一パーセントに入ったって、そこからプロになれるのは一握り、そしてその先がある」

父は、私に分かるように説明していた。


「でも勉強は違う。上位一割に入っていれば、いい大学を狙える。いい大学に入れば、いい会社にも入りやすい。仕事の選択肢も増える」

私は聞いていた。


「ちゃんとした会社に入って、きちんと稼げるようになれば、好きなことだってできる。お金があれば選べることも増える」

たぶん。父は私のために言っていた。


「澪は勉強ができるんだから、それを大事にした方がいい」

褒められた。と思った。

母が少し困ったような顔をしていた。

「絵を描くくらい、いいじゃない」

「描くなとは言ってない。趣味でやればいい」

そう。

父は一度も、描くなとは言わなかった。


ただ。

私は、絵を描いてはいけないんだ、と思った。それから勉強した。

もともと勉強は嫌いじゃなかった。やれば点数が上がる。答えがある。テストでいい点を取ると、父は喜んだ。


順位が一桁になった。

「すごいじゃないか」

次も取った。

「このまま頑張れ」

その次も。

上位一割から落ちないようにした。

父は満足していた。

母は、ときどき、

「そんなに頑張らなくても大丈夫よ」

心配そうに言った。でも、何が大丈夫なのか分からなかった。頑張れば結果が出るのに、頑張らない理由がなかった。


高校に行った。勉強した。

大学に行った。就職活動をした。

だれもが名前を知っている会社から内定をもらった。


父は喜んだ。

母も喜んだ。

私も、嬉しかった。

これでいいんだと思った。


ちゃんとできた。

ちゃんと大人になった。

会社に入った。

仕事を覚えた。

失敗しないようにした。

迷惑をかけないようにした。

任されたことは、ちゃんとやった。


それで。

それで――。


暗い部屋で、目を開けた。


時計を見る。午前一時十二分。


私は今、おばあちゃんの家にいる。


仕事はしていない。





翌朝。


ルイはテレビで朝ドラを見ていた。私は麦茶を飲んだ。朝ドラが終わる。そのまま、あさイチが始まる。ルイが何か言っていたけれど、あまり聞いていなかった。


廊下を歩く。部屋の前で止まる。襖を開けた。


机の上に、缶がある。開けたまま。


紙人形の女の子が、昨日と同じ場所にいる。私は椅子に座った。


スケッチブックを開く。花。猫。手。服。おばあちゃん。


下手だ。今見ると、普通に下手だ。


でも。楽しそうだな、と思った。

色鉛筆を一本取った。


短い青い色。

持つところに、子どものころにつけた歯形がある。


青い色鉛筆を紙に当てる。白い紙に、小さな青い点がついた。それだけ。


私はしばらく、その点を見ていた。

描いてはいけない理由は、もうない。

勉強しなくていい。

受験もない。

就職活動もしていない。

仕事だって、今はない。


なのに。


何を描けばいいのか、分からなかった。

毎日21:10更新予定です

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