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異世界王子の居候生活  作者: 鼎


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翌朝、昨日雨に濡れたシーツをもう一度洗った。朝からよく晴れている。


庭に出て、シーツを大きく広げる。ぱん、と振ると白い布が風をはらんだ。洗濯ばさみを留めていると、縁側からルイが顔を出した。


「今日は降らないのか」

「天気予報では」

「昨日もそう言っていた」

「天気予報に絶対はないんです」


ルイは空を見上げた。

最近、この人は何でも調べるけれど、調べれば必ず答えが出ると思っているわけではないらしい。


「今日、図書館行ってみます?」

ルイがこちらを見た。

「図書館?」

「本がいっぱいあるところ」

「行く」

即答だ。


久しぶりに来たこの市立図書館は、静かだった。平日の昼間だからか、人も少ない。

新聞を読んでいるおじいさん。雑誌を読んでいるおばあさん。椅子で寝ているおじいさん。

おじいさん。おじいさん。たまに、おばあさん。


ルイが館内を見回した。

「ずいぶん年齢が偏っているな」

「平日の昼間だからじゃない? 学生は学校だし、働いてる人も仕事中だし」

「では、この者たちは時間があるのか」

「たぶん」


寝ているおじいさんを見た。

「有効に使っているな」

「そうかな」


ルイは新聞の棚で止まった。

全国紙。地方紙。経済紙。英字新聞。スポーツ新聞。


一つ一つ見ている。

「同じ日に、これだけ違うものが出るのか。同じ出来事を扱っていても、選ぶ記事も大きさも違う」


もう比べ始めている。

一紙取って席についたので、私も適当に雑誌を持って近くに座った。


十分。二十分。まだ読んでいる。

一面から順番に、ほとんど隅まで見ている。広告まで見ている。

「そこも読むんだ」

声をかけると、ルイは紙面から目を離さなかった。

「記事だけ見たら、この新聞が何を伝えたいかしか分からないだろう。何を売っているかも、誰に売っているかも、この国を知る材料になる」


なるほど。

私は二冊目の雑誌を開いた。

新聞を何紙か見比べたあと、ルイは本棚へ行った。


歴史。政治。経済。自然科学。料理。旅行。


棚から棚へ移動し、一冊取っては開き、戻し、また次を取る。そのうち姿が見えなくなった。


探しに行くと、奥の低い棚の前にしゃがみ込んでいた。

「何読んでるんですか」

ルイが表紙をこちらへ向けた。

『市内遺跡発掘調査報告書』


「……何それ」

「この辺りを発掘した記録だ。ここを見ろ」

遺跡の位置を示す地図がある。次のページには、土器の写真。その次には、地面を縦に切ったような図。


「土の層ごとに、何がどこから出たか記録している。この土地の下に、まだ別の時間が残っている」

さっき新聞を読んでいたときより、明らかに目が明るい。


「面白い?」

「興味深い。これを書いた者は、何のためにここまで記録したんだ」

「さあ」

「誰が発掘を決める。費用は誰が出す。見つかったものは誰のものになる。建物を造る予定だった場所から遺跡が出たら、工事はどうなる」


一冊の報告書から、もう五つくらい疑問が出ている。饒舌だ。ルイの脳みそがギュンギュン加速してきたのを感じる。


「……あとで調べたら?」

「そうする」

私も扱い方が分かってきた。


隣の棚には市史があり、その向こうには自治体が発行したらしい資料が並んでいた。

人口。産業。河川。道路。文化財。農業。土地利用。

ルイは背表紙を追いながら、次々に抜いていく。


「こんなのあるんだ」

思わず言った。

「知らなかったのか」

「図書館にあるとは思ってなかった」


図書館といえば、本を借りるところだった。小説や雑誌や、何かを勉強するための本。


役所が調べた人口や道路のこと。

誰かが土地を掘って、出てきたものを測って、写真を撮って、図にして、文章にして残したもの。そういうものまで、同じ棚に並んでいる。


今まで図書館に来たことは何度もあるのに、見ようと思ったことがなかった。


「こういうの、誰が読むんだろうね」

ルイは抱えていた一冊を開いた。

「俺が読む」

いた。




図書館を出た帰り、スーパーに寄った。

「何か食べたいものある?」

「肉」

即答だった。


精肉売り場を見て回る。豚肉、鶏肉、ひき肉、牛肉。半額のシールが貼られた和牛があった。


半額かあ、どうしようかな。一度通り過ぎて、戻った。まあ、いいか。かごに入れる。


そういえば、おばあちゃんは、何かいいことがあるとすき焼きを作っていた。


宝くじが300円当たったとか、誰かが来た日とか、何かのお祝いとか。


いい肉を買ってきて、鍋を出した。今日は別に、何もない。でも、思い出したら食べたくなった。


「すき焼きにしようかな」

「それは何だ」

「肉を食べる料理」

「よし」


家にある野菜を入れることにした。玉ねぎ、茄子、ズッキーニ。


おばあちゃんも、夏なら夏で、その時ある野菜を入れていたような気がする。


鍋を出した。


「すき焼きって、どうやって作るんだ」

「肉焼いて、砂糖と醤油かな」

ルイがタブレットで調べ始めた。


「関東と関西で違う」

「あー、そうだね」

「どちらだ」

「おばあちゃんは先に肉焼いてたから、関西かな」


牛脂を溶かして、肉を広げる。

じゅっと音がした。砂糖を振って、醤油を回しかける。


肉が焼ける。ルイは一口食べて、黙った。

「うまい」

「和牛ですから」


玉ねぎを入れる。

茄子とズッキーニも入れる。しらたき買うの忘れたな。


ルイはよく食べた。つられて私も食べた。


おばあちゃんのすき焼きも、こんな感じだった気がする。その時あるものを入れて。みんなで鍋を囲んで。

美味しかったな、と思った。


食後のお茶を飲む。そういえば。


「今日行った図書館より、もっとでっかい図書館ありますよ」

ルイが顔を上げた。

「どのくらいだ」

「国立国会図書館。この国、日本で出た本とか、いろんな資料を集めてるところ。ネットで見られるものもあったはず」


本が閉じられた。

「ここから?」

「全部じゃないですよ。たぶん登録が必要なものもあるし、現地でしか見られないものもあると思う」

もうパソコンを開いている。

早い。

国立国会図書館デジタルコレクション。

検索結果を見たルイが、黙った。

古い本。雑誌。公的な資料。百年以上前のものまである。


「これを、ここから読めるのか」

「公開されてるものならね」

ルイは一つ開いた。ページをめくる。拡大する。戻る。別の資料を開く。


「本が、場所から切り離されている」

「また大げさな」

「大げさではない。俺のいた場所では、本を読むには本のある場所へ行く必要があった」

それはそうか。

「ここでは、記録の方が来る」


その言い方には、少しだけ納得した。

そこからが大変だった。国会図書館から、ほかにどんなものがあるのかという話になった。


ルイはChatGPTを開き、Geminiを開き、Claudeも開いた。


「節度」

「覚えている」

本当だろうか。


最初は、三つに同じことを聞いていた。


日本で個人が利用できるデータベースには、どんなものがあるのか。

国会図書館。CiNii Research。J-STAGE。e-Stat。ジャパンサーチ。

知らない名前が次々に出てくる。

研究論文。統計。文化財。古文書。博物館の収蔵品。


ルイはそれを一つずつ開いていった。ここまでは、前にも見た使い方だった。

ところが、しばらくすると様子が変わった。一つのAIが出した答えを、そのまま別のAIに渡している。


「何してるの?」

「こいつの答えに、反論させている」

見ると、ChatGPTが出した説明に対して、Geminiに、前提の弱い部分や別の解釈を挙げさせている。その回答を今度はClaudeに渡す。


二つの意見が食い違っている理由を整理させ、両方が見落としている論点を探させる。

出てきた答えを読んで、ルイがまた最初のAIに戻した。


「今度は?」

「最初の問いが適切だったか、やり直させる」

「答えじゃなくて?」

「問いが狭ければ、どれだけ正確に答えても狭い答えしか出ないだろう」

なるほど。


そこから、最初の質問そのものが変わった。

新しい問いに三つが答える。一つには反論させる。一つには反論の穴を探させる。もう一つには、ここまでの議論でまだ誰も触れていないものを出させる。そうして出てきた知らない言葉を、今度はCiNiiで検索する。論文が出る。J-STAGEへ行く。参考文献を辿る。古い資料が必要になれば国会図書館へ戻る。数字が必要になればe-Statを開く。


一つには、そこから何が言えるか。一つには、その読み方への反論。もう一つには、その数字だけでは絶対に言えないことを挙げさせる。


速い。ものすごく速い。


「それ、もうチャッピーが答えてくれたんじゃないの?」

声をかけると、ルイは画面を見たまま答えた。

「答えは出した。だが、俺が聞いたことに答えただけだ。俺の知らないものは、最初から問いに入っていない」

「だから三つに聞くの?」

「それだけなら三つの多数決になる。意味がない。違うものを出させて、互いに崩させる。俺が当然だと思っている前提も、問いそのものもだ。そこで初めて、俺が知らなかったものが出てくる」


画面には、三つのAIがそれぞれ違う文章を出している。

「でも、その中のどれが正しいかは、どうするの?」


そこでようやく、ルイが私を見た。

「信じない」

「全部?」

「全部だ。使うだけだ」

また画面に戻る。


「知らない言葉を見つける。別の見方を出させる。反論させる。次に何を見るべきか考えさせる。その先に資料があるなら資料を見る。数字があるなら数字を見る。誰かが書いたものなら、誰が、いつ、何を根拠に書いたのかを見る」

少し考えてから続けた。

「その上で、俺が判断する」


なんだか。王子っぽいじゃん。


「ミオ」

嫌な予感がした。

「何」

「これは日本だけか」

「何が」

「こういうものだ。図書館、大学、博物館、政府の統計。ほかの国にもあるのか」


あ。まずい。


「あるでしょうね」

「つながっているのか」

「さあ」


「外国の古い新聞も読めるのか。論文は? 他国の統計は比較できるのか。言語が違っても――」

「今日は終わり」

「まだ途中だ」

「途中でいいんです。お風呂入ってください」

「だが今、次に調べるべきものが――」

「明日!」


ルイが黙った。パソコンを見る。私を見る。もう一度パソコンを見る。


ものすごく名残惜しそうにパソコンを閉じた。節度は守るらしい。




私がお風呂から上がってくると、ルイはソファーにいた。だらっと横になって、猫を撫でながらテレビを見ている。

さっきまで人類の知識がどうとか言っていた人とは思えない。しかも、見ているのは恋愛ドラマだった。


「それ、録画?」

「ああ。昨日の分だ」

「自分で予約したの?」

「できた」

いつの間に。私も途中まで見ていて気になっていたやつ。


猫はルイの横で丸くなっている。

ルイは片手でその背中を撫でながら、画面の男女を険しい顔で見ていた。


「この男は、前にも同じことをした」

「あー、この人ね。ダメなんだよね」

「仕事も続かない。嘘をつく。金も返していない。それでもこの女は、まだこいつと一緒にいる」

「好きなんでしょうねえ」


ルイの眉間に皺が寄った。

「だが、この女はさっきから泣いている。原因もこいつだろう」

「そうだね」

「なら離れればいい」


私は髪を拭きながら、隣に座った。

「それができたら苦労しないんじゃない?」

「なぜできない。婚姻しているわけでもないし、子もいない。家同士の約束もないのだろう?」

「ないと思う」

「この男との関係を維持することで得られる地位や財産もない」

「ないね」

「では、何が問題なんだ」

「好きなんだってば」

ルイは画面を見た。

女の人が泣きながら、男に「もう無理」と言っている。男が謝る。女の人は泣いている。泣き顔きれいだな。マスカラ落ちないし、涙だけがきれいにこぼれる。

そして、別れない。


ルイが私を見た。

「今、別れると言っただろう」

「言ったね」

「別れないのか」

「別れないみたいですね」


ルイはしばらく黙っていた。


「好きなら、なぜこれほど泣く」

「好きでも泣くでしょ」

「この男のせいで泣いている」

「そうだね」

「なら離れれば泣かずに済む」

「でも離れたくないんでしょうね」


ルイがこっちを向いた。納得できないらしい。


画面の女の人がまだ泣いている。ルイの眉間の皺がさらに深くなった。


女心は、壊滅的に分からないらしい。

毎日21:10更新予定です

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