第6話 エリンギとベニテングダケ
王城の応接室には、静かで荘厳な空気が流れていた。壁にかけられた豪華なタペストリーや肖像画が、ここが由緒ある建物であることを物語っている。大きな窓からは王都を一望でき、街の建物や人々の営みが見渡せた。そんな穏やかな風景とは裏腹に、部屋の中には緊張感が漂っていた。
「お呼びでしょうか 宰相閣下」
勇者は厳粛な表情で問いかけた。宰相は彼女を正面から見据えながら、ゆっくりと口を開いた。
「急な呼び出しに応じてくれて感謝します 少々 気になる情報が届きましてね 勇者殿に協力をお願いしたいのです」
宰相の言葉に、勇者は僅かに眉を寄せた。気になる情報とは一体何なのだろう? 魔王討伐に関することなら、どんな困難な任務でも引き受けるつもりだ。
「どのようなご用件でしょうか?」
「実は ギルドマスター殿についてなのですが ある目撃情報がありましてね 彼が角と翼を持つ魔族らしき女と 接触していた というものです」
「ギルドマスターが……ですか?」
勇者は驚いたように目を見開いた。あのギルドマスターが魔族と? 俄かには信じられない話だ。彼は冒険者たちのまとめ役として街の安定に尽力してきた人物だ。魔族と通じているとは到底思えない。
「目撃したのは近くを通った行商人でした 夕暮れ時 池のほとりでギルドマスター殿が 魔族らしき女と会話していたそうです 距離があったため 何を話していたのかは 聞き取れなかったようですが 女の方は 確かに角と翼を持っていたと証言しています」
宰相は冷静に説明を続けた。その口調からは感情を読み取ることはできないが、言葉の端々に警戒の色が滲んでいる。
「しかし なぜギルドマスターが 魔族と接触など……」
「それを確かめたいのです もちろん 彼が魔族と通じていると 断定しているわけではありません ただ 王国の重要な拠点を預かる者が 魔王の手先であるとしたら 由々しき事態です」
宰相の言葉に、勇者は唇を引き結んだ。確かにその通りだ。ギルドマスターの立場と権限を考えれば、僅かな可能性でも放置はできないだろう。しかし、それでも彼を疑うことには抵抗があった。
「そして もう一つ気になることがあります ギルドマスター殿は 公的な記録では数年前まで どこにいたのか不明なのです 彼は突然ギルドに現れ 短期間で今の地位に昇り詰めました 出自や経歴を詳しく調べてみましたが 不明瞭な部分が多いのです」
宰相の指摘に、勇者はさらに困惑した。確かにギルドマスターの過去については、自分もほとんど知らない。だが、それでも彼がこの国に尽くしてきたことは紛れもない事実だ。
「彼が何者であれ 今まで我々の味方であったことは 確かです 疑う必要があるのでしょうか?」
「味方であることと 潔白であることは同じではありません 我々が信頼する人物こそ 何者かに利用されている可能性もあります 勇者殿が相手にするのは魔王だけではありません 国を脅かすものは 常に外部にいるとは限らないのです」
宰相の言葉に、勇者は黙り込んだ。確かにその通りだ。いかに信頼できる人物であっても、それが絶対的な保証にはならない。自分は勇者として、王国の安全を守るためにあらゆる可能性に備えなければならない。
「……わかりました それで 私は何をすればいいのでしょうか?」
「ギルドマスター殿の身辺を 調べていただきたいのです 彼が何者で 何を知り 何を隠しているのか…… 何か不審な点があればすぐに報告してください」
「承知いたしました 全力で任務にあたります」
「勇者殿には期待しています あなたの力がこの国の未来を左右するのですから」
応接室を後にする勇者の背中は、普段よりも幾分か重く見えた。ギルドマスターの調査という新たな任務が、勇者の心にわずかな迷いを生んでいるのかもしれない。
「……さて どうなりますか」
宰相は呟いた。彼女の視線は遠く、未来を見据えているようだった。
◇ ◇ ◇
城下町の賑やかな市場で、ギルドマスターは見覚えのある人物を見つけた。赤い白斑模様の大きなキノコ帽子をかぶった行商人だ。
露店には珍しい品々が並んでいる。手に入りにくい食材や、独特な形状の工芸品、薬効のある植物も売っている。どれもこの地方ではあまり見かけないものばかりだ。珍しいアイテムを扱うことで知られる彼女は、冒険者たちの間でも評判だった。
「久しぶりだな」
ギルドマスターは軽く声をかけた。商人は振り返り、彼の顔を見てにこりと笑った。
「おや これはギルドマスター様 お久しぶりです 今日は何をお探しですか?」
「特に買うものがあって来たわけじゃないんだが…… 相変わらず珍しい品物ばかり並べているな」
「ええ これが私の売りですからね あちこちを回って集めた品々です ご興味があればご覧になってください」
商人は商品を指し示した。確かに薬草やキノコは珍しいものが多く、興味が尽きない。ふと、棚の一角に並ぶキノコに目が留まった。通常のキノコより鮮やかな色合いで、形も独特だ。商人がそれに気づき、説明を始めた。
「ああ あれですか あれは食べた人を深い眠りに誘うキノコです」
「眠りキノコか……」
「ええ 睡眠薬としても使われることがあります 効果が強くて 一度食べたらなかなか起きられませんよ だから 取り扱いには注意が必要なんです」
眠れない人にとっては有難い薬かもしれないが、使い方を間違えれば危険だろう。冒険中に誤って食べれば致命的な事態になりかねない。ギルドマスターは別のキノコにも目を向けた。細長い形をしていて、先端が少し膨らんでいる。色は赤みがかっていて、毒々しくも見える。
「これは何だ?」
「ああ それは催淫効果のあるキノコですね 食べると否応なくそういう気分になります」
「なるほど つまり媚薬になるということか」
「そうですね 用途は様々ありますが 用法用量には十分気をつけてください 理性を失ってしまいますから」
「ふむ……」
ギルドマスターは顎に手を当てて考え込んだ。これらのキノコを悪用する輩が出る可能性を考慮しなければならない。眠りキノコで無防備な相手を襲ったり、催淫効果のあるキノコで無理やり関係を迫ったり……。商人の扱う商品は確かに魅力的だが、同時に危険も伴う。
彼女自身は善意で商売をしているようだが、第三者が悪い使い方をしない保証はない。ギルドとして、注意を払う必要があるだろう。
「これらの品はどこで手に入れてきた?」
「様々な地方からです 山奥や秘境と言われる場所に 珍しい品が眠っているものです 私も商売人ですから 手間暇かけて良い品を集めていますよ」
商人は誇らしげに胸を張った。彼女の情熱は本物だ。珍しい品々を集めるために、相当な苦労をしているのだろう。
「なるほど だが こういった特殊な効果を持つ物品は 取り扱いに注意が必要だ 特に眠りキノコや催淫効果のあるキノコは 悪用される危険性もある 扱う際は十分注意してほしい」
「私も商人として 品物が適切に 使われるべきだと思っています お客様には用途を確認するようにしていますよ 必要な方だけにお売りするのです」
「それが賢明だろう もし何か困ったことがあれば いつでもギルドに相談してくれ」
「わかりました ありがとうございます」
商人は愛想良く返した。彼女の商魂逞しい姿勢は、危なっかしくもあるが、同時にこういった者たちが街に活力を与えているのも事実だ。ギルドマスターは露店を後にし、市場を歩きながら考え事を始めた。この街には様々な人物が出入りしている。中には怪しい動きをする者もいるはずだ。情報収集は地道に行うしかない。
◇ ◇ ◇
半獣人の少女と俺は採掘場に来ていた。いつもなら、トンネルを掘り、魔石を探し出すのだが、今日は様子がおかしい。
「なんだこれ……?」
少女は驚いたように声を上げた。採掘場のあちこちに、奇妙なキノコが生えているのだ。どれも同じ種類で、小ぶりなきのこがいくつも寄り集まって生えていた。丸い傘は橙から黄にかけて明るく色づき、表面には淡い斑点が散っている。
「これ……食べられるのかな?」
少女は一つ摘み上げ、まじまじと眺めている。俺はその様子を、少女の腕の中から見守っていた。
「青いの どう思う? これ 食べられそう?」
(ぷるぷる)
俺は首を振ってみせた。これは明らかに怪しい。こんな鮮やかな色のキノコが普通の食べ物であるはずがない。
「そうだ 青いの ちょっと食べてみてよ」
(ぷるっ!?)
少女がとんでもない提案をしてきた。俺が毒見役だというのか?冗談ではない。
「大丈夫だって 青いのって毒とか効かないんじゃない?」
(ぷるぷるぷるぷる!)
俺は必死に抗議した。スライムだからといって、毒耐性があるわけではない。むしろ、皮膚から吸収したものがダイレクトに全身に巡ってしまうのではないだろうか。
「ほら 一口だけでいいから」
(ぷるぷるぷるぷる!)
俺の全力の拒絶にも関わらず、少女は無理矢理キノコを押しつけた。小さなキノコが俺の柔らかい体に当たる。やめてくれ。俺は身をよじって抵抗するが、少女は容赦なく続ける。
「ほら 食べてみてってば」
(ぷるぷるぷるぷるぷるっ!!)
もうダメだ。完全に押しつけられた。意外にも、味は悪くなかった。苦いわけでも酸っぱいわけでもない。むしろ甘みさえ感じる。大丈夫か?
そう思った瞬間、体が急速に重くなった。瞼が重くなり、意識が遠のいていく。眠い……猛烈に眠い。抗えないほどの睡魔が襲ってきた。
「あれ? 青いのが寝ちゃった?」
少女の声が遠くに聞こえる。そんな馬鹿な。俺は勇者だった男だぞ。こんなキノコごときにやられるとは。しかし、抗えない。俺は深い眠りに落ちていった。
「ふーん やっぱり眠くなるんだ 食べなくて良かった」
◇ ◇ ◇
(うぅん……)
頭がぼんやりする。瞼が重い。体がだるくて動かすのが億劫だ。俺は一体どうしたんだ?
「あ 青いの起きた?」
半獣人の少女が俺を抱き上げて優しく撫でてくれた。その感触で、徐々に意識がはっきりしてきた。そうだ。採掘場であの派手なキノコを食べさせられて、そのまま眠ってしまったんだった。
「ごめんね 無理させて あのキノコ すごくよく眠れるみたいだね」
(ぷるぷる……)
俺は抗議するように体を揺らした。あんな無茶な方法で毒見をさせられたのは心外だ。
「まあ 結果オーライってことで お陰でキノコの効果が分かったし」
少女は悪びれもせずに言った。確かに彼女の言う通り、あのキノコが危険なものだと分かったのは収穫だ。ただ、俺が実験台になったのはいただけない。次からはもっと安全な方法を考えてもらいたいものだ。
「それで このキノコ どうしようか? 全部掘り返して埋めてしまおうか?」
少女は周囲を見回した。確かにこのまま放置しておけば、採掘の邪魔になるし、誰かが誤って口にしてしまう可能性もある。しかし、埋めたからといって根本的な解決にはならないだろう。また生えてくるかもしれない。
「うーん そうだね 持って帰って ギルドの人に調べてもらう?」
少女はキノコをいくつか採取し、ポーチにしまった。このキノコは一体どこから来たのだろう? なぜ急にこの採掘場に生えたのだろうか。
「今日はここまでにしよっか」
少女はそう言って、俺と一緒に採掘場を後にした。
◇ ◇ ◇
「ふわあああ、よく寝た〜」
ベニテングダケが目を覚ました。隣ではエリンギもすでに起きている。
「やあ、ベニテングダケさん。おはよう」
「おはよー、エリンギくん。なんかあった?」
「少し騒がしかった気がするんだけどね」
二人は首を傾げたが、洞窟はいつもの静けさを取り戻していた。
「ねえ、エリンギくん。そろそろ新しいキノコを増やそうか」
「また?」
「うん。ここは湿度もちょうどいいし、仲間を増やすには最高だよ」
彼らキノコ星人は、胞子を混ぜ合わせて新しい仲間を生み出す。二人は肩を寄せるように並び、傘を触れ合わせた。
やがて淡い胞子が洞窟の空気へ舞い上がる。二種類の胞子はゆっくりと混ざり、湿った土へ降り積もっていった。
「これで、また仲間が増えるね」
「うん。少しずつ、この星を僕たちの仲間でいっぱいにしよう」
二人は満足そうに頷いた。彼らに悪意はない。ただ、自分たちにとって快適な世界を広げようとしているだけだった。その無邪気さこそが、やがて大きな脅威になる。




