第4話 呪われし者
エルフの村の入口。昼下がりの暖かな日差しの中、呪術師は荷物をまとめ、村を後にしようと歩いていた。その傍らにはエルフが付き添っている。長い間この村で世話になった相手だ。少し申し訳ない気持ちもあるが、ここでのんびりしていても仕事にはならない。そろそろ本来の活動に戻るべきだろう。
「呪術師さん もう行っちゃうの?」
エルフが寂しそうに声をかけてきた。彼女はこの村で最も親しくなった相手だ。人間のように物質主義でもなく、魔族のように傲慢でもなく、彼女らエルフはどこか浮世離れした価値観を持っている。だからこそ、“呪われた呪術師”でも、ここではただの旅人として扱ってくれた。
「ああ ずいぶんと長居してしまったからね そろそろ仕事を探さないと」
呪術師はわざと明るく言ったが、心には複雑な思いがあった。この村は居心地が良かった。偏見を持たず、呪いを受けた身であっても普通に接してくれる。このままここに居続けることもできるかもしれない。しかし、何か行動を起こさなければ、呪いから抜け出せないまま一生を終えることになる。そんなのは嫌だ。
「街に行くの?」
「そのつもりだよ ギルドに行けば知り合いもいるし 依頼も受けられるはず……」
「そう……残念 でも 近くに来ることがあったら寄ってね 村のみんなも歓迎してくれるから」
エルフは心底残念そうな表情を浮かべていた。呪術師も本当はもっとここにいたかったが、そういうわけにはいかない。
「ああ また来るよ 約束する」
「約束ね」
エルフは微笑んだ。その笑顔に心が揺れる。この村で過ごした穏やかな日々が思い出されるが、これからは再び呪われた旅人として生きていかなければならない。
◇ ◇ ◇
半獣人の少女は昨日のことを思い出したのか、独り言をつぶやいていた。
「まったく…… せっかく追い詰めたのに逃がしちゃうなんて あの勇者さん 思ったより間抜けかもね」
少女はそう言いながら、地面に置いた魔石を拾い上げた。さっきまで遊んでいて、いくつかの魔石を転がしていたのだ。
「せっかくの魔石…… 魔王さんが持って行っちゃったんだもんね……」
魔石を持って行ったと言うより、勇者から逃げるために消費したのだろう。だが半獣人の少女にとってそれは些細な違いだった。せっかく見つけた魔石が消えたという事実が残念なだけだ。
「まあいいけど……でもさ 魔王さん 逃げたりするくらいなら 戦えばよかったのに」
少女はそう言いながら、魔石をひとつずつ拾い集めて袋に入れていく。その様子を見ながら、俺は思う。あの魔王は逃げることを選んだ。それは戦う力が足りないからだろうか? いや、本当は争いを望んでいないのかもしれない。
「青いのもそう思うでしょ?」
(ぷるぷる)
俺は首を横に振った。あの魔王は確かに強大な力を秘めているように見えた。しかし、魔王は勇者と戦うよりも逃げることを選んだ。俺には魔王が争いを避けようとしているように見えた。
「えー どうして? 魔王なんだから勇者と戦うべきじゃないの?」
半獣人の少女は不思議そうに首を傾げた。彼女にとっては、魔王と勇者の対決は当然のことのように思えるのだろう。しかし、魔王にも事情があるのではないかと感じる。何か戦えない理由があったのかもしれない。
「まあ いいけどさ たぶん もう私たちの採掘場に来ないと思うし」
少女はそう言って、最後の魔石を袋に入れた。確かに、魔王が再びあの採掘場に現れる可能性は低いだろう。
「よし! 今日は町に行くから ちゃんと大人しくしてるんだよ?」
(ぷるん)
俺は軽く揺れて頷いた。少女は俺の頭を軽く撫でると、袋を担いで町へ向かっていった。俺は近くの草の上に座り込み、ぼんやりと空を見上げた。穏やかな晴天。平和な日常の一コマ。でも、その陰で世界は少しずつ変わり始めている。新しい魔王の出現、その行方。そして、この世界に何か大きな変化が訪れようとしている予感。
◇ ◇ ◇
「あのぉ、通してくださいよぉ」
呪術師は門番に抗議していた。以前なら勇者一行として顔を見せるだけで通れたはずだが、今の彼女は呪いによって姿が変わっている。門番たちが警戒するのも無理はなかった。
「以前は無料で通していただけましたよね? 私、勇者パーティーだったんですけど……」
「そう言われましても、本人確認ができませんので」
「じゃあ、どうすればいいんですか?」
困り果てたところで、年嵩の門番が彼女の腰に下がった古い徽章に気づいた。前魔王討伐の際、勇者一行だけに与えられたギルドの認証章だ。
「その徽章を見せてください」
呪術師が差し出すと、門番は刻印と登録番号を帳簿に照らし合わせた。さらに、かつての遠征で使われた合言葉や同行者の名をいくつか尋ねる。呪術師はすべて即答した。
「……確認できました。失礼しました。通行を許可します」
「最初からそうしてくださいよ……」
呪術師は肩を落とした。かつては誰もが自分の顔を知っていた。それが今では、徽章と帳簿がなければ自分が自分であることすら証明できない。呪いが奪ったものは、見た目だけではなかった。
「さて、まずはギルドに行ってみますか」
彼女はそう呟き、街の中央にある冒険者ギルドを目指した。前魔王との戦い以来、そこへ顔を出すのは久しぶりだった。
◇ ◇ ◇
市場は今日も賑わっていた。様々な野菜や食材、工芸品などの露天商がひしめき合い、行き交う人々の活気ある声が飛び交っている。半獣人の少女は大きめの麻袋を手に提げて、いくつかの店を回っていた。
少女の大きな耳は、周囲の喧騒をしっかりと拾っている。時折ぴくりと動くその耳に、周りの子どもたちが好奇心を向けるが、彼女は気にする様子もなく買い物を続けていた。手に入りにくい塩や砂糖、干し肉や魚の干物、乾燥果実といった保存食を中心に買い揃えていく。
「まいどあり 半獣人ちゃん」
「また来るね」
にこやかに挨拶を交わし、次のお店へと向かう。
「これで食糧はしばらく大丈夫かな それより……」
少女は突然立ち止まり、周囲を見渡した。市場の人々が、ちらちらと通りの一角に目を向けているのが分かった。何やらざわついた雰囲気が漂っている。少女は耳をぴんと立て、その方向に顔を向けた。
「どうしたんだろう?」
少女は声のする方に近づいていった。どうやらその原因は、一人の旅人のようだ。灰色の上着に、黒と紫の縞模様のタイツ。橙色の大きな頭。見慣れない出で立ちだ。その佇まいには、どこか浮世離れした雰囲気があった。市場の人々は、彼女を避けているようにも見える。
「あのおねえちゃん なんか変だな」
「あれが噂の呪われた呪術師か」
周囲の人々が話しているのが聞こえた。確かに、その頭は奇妙だった。どう見ても普通の人間の頭部とは違う。しかし、その体つきは均整が取れており、服装からはどことなく品格のようなものが感じられた。もし、あの奇妙な頭でなければ、美人だと言われるような容姿かもしれない。
「あの……」
少女はつい声をかけてしまった。その奇妙な頭を見ているうちに、好奇心が抑えきれなくなったのだ。カボチャ頭の女性は振り向き、少女を見つめた。
「ん? あら こんにちは 可愛い獣人さんですね」
意外なほど落ち着いた声だった。少女は拍子抜けしたような気持ちになった。もっと奇矯な人物かと思っていたのだ。
「あの その頭…… どうしたの?」
思わず核心を突くような質問をしてしまった。しかし、相手は特に気分を害した様子もなく、肩をすくめた。
「これはですねぇ ちょっとした呪いなんですの」
「呪い?」
「ええ 前の魔王に…… 戦った時にかけられて この有様ですよ」
「へぇ……大変だね」
少女は素直に同情した。頭がカボチャになるなど、自分だったら耐えられない。
「全くです おかげで私の美貌が台無しですよ でも そんなことより仕事が必要です」
呪術師は嘆息しながら、自身の境遇を少しだけ吐露した。前魔王との戦いで命を取り留めたのは良いものの、呪われた姿になって以来、生活は一変してしまった。
見た目が変わったことで職を失い、日々の生計を立てるのも困難になっている。人々に避けられるのは日常茶飯事で、かつてのように呪術師としての仕事も受けられない。街に入る際の手続きでさえ、この頭のせいで余計な手間がかかってしまった。
「大変だね 私も半獣人だから 色々言われるけどさ」
彼女もまた、半獣人というだけで社会から疎まれやすい存在だ。この街では比較的交流しやすく生活しやすいとはいえ、どこへ行っても特別扱いされたり、妙な目で見られたりすることは多い。呪術師の悩みは他人事とは思えなかった。
「まぁ お互い大変ですね」
呪術師はそう言って、穏やかな笑みを浮かべた。見た目は奇妙だが、どこか大人の余裕が感じられる。
「それじゃあ 仕事探しに行きますね いい依頼があるといいんですけど」
呪術師はそう言って軽く手を振り、人混みの中へと紛れていった。その後ろ姿を見送りながら、少女はふと思った。あの人は一体何者なんだろう? 確かに奇妙な姿をしているが、人間らしい雰囲気も併せ持っているように感じられた。
◇ ◇ ◇
「久しぶりだな」
ギルドの入口で待っていたのは、ギルドマスターだった。相変わらず重厚な金属鎧を纏いながら、下半身はふんどし一丁の異様な姿だ。その背後には、初めて見る人物の姿もあった。和服姿の女性で、穏やかな表情を浮かべている。
「お久しぶりです ギルドマスター殿」
「ずいぶんと長い休暇だったじゃないか」
「色々ありましてね……」
休んでいたわけではない。呪いを解く方法を探すために各地を転々としていただけだ。ギルドマスターも本当は分かっているのだろうが、わざと茶化してくるのは彼なりの気遣いなのかもしれない。
「そうか まぁ 無事に帰ってきたんだし 何よりだ」
「それで そちらの方は?」
呪術師は背後の女性に視線を向けた。ギルドマスターは紹介の言葉を挟む。
「ああ こちらは陰陽師だ 最近ギルドに協力してくれている 優秀な占術の使い手だ」
「お会いできて光栄です」
陰陽師は優雅にお辞儀をした。彼女の様子からすると、この呪われた姿を初めて見ても動じていないようだ。さすがはギルドマスターの信頼厚い人物だ。
「君が街に入ったことは 既に報告を受けていたよ 門番が臨機応変に対応してくれたと聞いてる」
「ええ まぁ 門番さんたちに ちょっとお世話になりました」
「それで 帰って来た理由は何だ? 旧友の顔を拝みに来ただけじゃないんだろ?」
「仕事が欲しくてですね……」
呪術師は、経緯を説明した。この姿になって以来、エルフの村の人たちの親切で生活できていたが、あまり迷惑もかけられない。かといって、呪われたままではまともな仕事には就けない。そこで、ギルドに良い仕事がないか相談したいと思い、戻ってきたのだ。
「なるほどな 事情はわかった」
「それで 何か私に適した仕事はありませんか? この通りの姿なので 普通の仕事はとても……」
「まぁ 無理だろうな」
ギルドマスターは苦笑いを浮かべた。呪術師が普通の仕事に就くのは難しいだろう。この頭では、人々に避けられてしまうに違いない。
「でも そうだな ちょうど一つ 君向きの依頼がある」
「依頼ですか?」
「ああ 新しく現れた魔王絡みの案件だ」
呪術師は眉をひそめた。前魔王を倒すのに、どれだけの犠牲が出たと思っているのだろう? また同じような戦いが始まるのだろうか?
「勘違いするな 今回は倒せと言っているんじゃない」
「じゃあ 何をするんです?」
ギルドマスターは言葉を選ぶように、ゆっくりと話し始めた。
「今回の魔王は人間を襲うつもりはないらしい だが 問題はだ 勇者がすでに接触し 攻撃を 仕掛けてしまっているんだ その結果 魔王は人間に対して 負の感情を抱き始めている」
呪術師は思案するように顎に手を当てた。負の感情が強まれば、いずれ新たな呪いが生まれる可能性がある。彼女が受けた呪いも、元を辿れば人間への憎悪が引き金となっていたのかもしれない。
「だから 君に頼みたい 魔王が負の感情に飲み込まれないように うまく立ち回ってくれないか」
「それは……」
それは、魔王を倒すより難しいかもしれない。そもそも、話が通じる相手かどうかも分からない。
「簡単に言ってくれますね」
「もちろん 簡単な仕事ではない だが 君にしかできないことだ 君は呪いを受けた経験者だ 呪いとは何か なぜ生まれるのか そのメカニズムを誰よりも理解しているはずだ その経験を活かしてほしい」
ギルドマスターの言葉に、呪術師はしばらく黙り込んだ。確かに自分は、呪いというものの恐ろしさを身を以て知っている。魔族が人間に対して抱く負の感情が、いかに破滅的な力を生み出すかを、誰よりも理解している。
「なるほど 負の感情が呪いを生む……か」
呪術師は腕を組み、考え込んだ。人間への憎しみが膨れ上がれば、新たな呪いとなって返ってくるだろう。それは、まさに自分が味わっている苦しみそのものだ。
「それに 君自身の呪いを解く 糸口も見つかるかもしれない 先代の魔王がかけた呪いだ 魔族と関わることで 解呪の ヒントが得られるかもしれない」
「なるほど……」
呪術師の心に小さな希望の灯がともった。呪いを解く方法を、ずっと探し求めてきたが、見つからなかった。呪いから解放されるためには、魔族の世界に踏み込むしかないのかもしれない。
「どうだ? 受けてみないか?」
呪術師はしばらくの沈黙の後、決然と顔を上げた。
「分かりました その依頼 引き受けましょう」
「感謝する」
ギルドマスターは満足そうに頷いた。呪術師がこの依頼を引き受けてくれるのは、ギルドにとって大きな意味を持つ。彼女ならきっと上手くやってくれるだろう。




