第12話 魔王の唐揚げ
目を覚ますと、木製の梁が渡る見慣れない天井があった。昨日割り当てられた部屋だ。ベッドサイドの窓から差し込む朝日が、室内を柔らかく照らしている。
俺は起き上がり、窓の外を眺めた。眼下に見えるのは、魔族領の石畳の通りと、規則正しく並ぶ建物だ。どこか禍々しい雰囲気はあるが、同時に秩序だって機能している街でもあるようだ。
「おはよう 青いの!」
背後から、半獣人の少女の元気な声が響いた。振り返ると、既に身支度を整えた少女がにこやかにこちらを見ていた。昨日までの疲労はどこへやら、表情は明るく、生命力に満ちている。
「なんか変なんだよ! 昨日の疲れがスッキリなくなってる!」
半獣人の少女は両手を広げて、自分の体の軽さをアピールする。彼女の言う通り、体つきは明らかにシャキッとしている。俺も自分の身体のコンディションを確認してみた。確かに、昨日までの倦怠感はない。むしろ、今までにないほど調子が良い。体内に、目に見えない力がみなぎっているような感覚がある。
「なんでだろ……昨日の唐揚げかな?」
半獣人の少女が首を傾げる。鶏肉に疲労回復効果があるとはいえ、ここまで元気になるものだろうか。そんな疑問を抱いていると、部屋の扉が開いた。
「おはよう 昨日はよく眠れた?」
入ってきたのは魔王だった。赤い瞳が、俺たちをじっと見つめる。
「うん ばっちりだよ! すごく体が軽くて元気!」
「それはよかった 今日は初出勤ね 詳しいことは魔動猫が説明するから あとで彼女に聞いてちょうだい」
「分かった! あ そうだ 魔王さん 昨日の唐揚げ すごく美味しかったよ! また作ってくれる?」
半獣人の少女の言葉に、魔王の目が少し輝いた。
「うん もちろん あなた達が気に入ってくれたのなら嬉しいわ」
「やった! 魔王さん いい人だね!」
「別に……人じゃないけどね」
魔王は小さく肩をすくめたが、その口元には微かな笑みが浮かんでいた。半獣人の少女の素直さに、魔王も少し和んだのかもしれない。
「よし 行こうか 青いの! 今日から私たちは魔王軍採掘班だ!」
半獣人の少女は張り切って宣言すると、俺の身体を軽くポンと叩いた。昨日までの不安は薄れ、代わりに期待と決意が彼女の瞳に宿っている。俺は彼女の足元でぴょんと飛び跳ね、同意の意を示した。
◇ ◇ ◇
ベニテングダケとエリンギは洞窟の奥深くで身を寄せ合って休んでいた。二人は、互いの傘を触れ合わせるように並んでいる。周囲には、彼らが育てた数多くの子孫たちが静かに群生していた。洞窟内の空気は薄暗く、しっとりと湿っている。それが彼らにとっては快適な環境だった。
「ねえねえ エリンギくん 私たちの胞子 とってもたくさん飛んでるよ 人間の街も エルフの森も 魔族の土地も ぜーんぶ きっとみんな眠っちゃうね」
「そうだね ベニテングダケさん みんな眠ってしまったら 怖くないし 争わないし 静かでいいかもしれないね」
「うんうん! 眠ってるみんなの上に 私たちの 子供たちをたくさんたくさん植え付ければ この星もあっという間に私たちの楽園になるよ!」
ベニテングダケは楽しそうに、ぴょんぴょんと体を揺らした。
エリンギも同意するように、ぽん、と小さく跳ねた。キノコ星人たちは、この星を自分たちの仲間で埋め尽くすことに何の疑問も抱いていない。彼らにとっては、それが自然で当たり前の営みだった。
「でも 人間たち ちょっと怒ってるみたいだね」
エリンギが、わずかに不安そうに付け加えた。
「うん でも 私たちはあまり深く考えなくていいと思うよ 眠らせてあげるだけで 幸せにしてあげてるんだからね」
ベニテングダケの言葉に、エリンギは再び楽しそうに跳ねた。
「そっか! そうだね! ベニテングダケさんって賢いね!」
二人は無邪気に笑い合う。この会話には邪悪な意図はなく、彼らなりの純粋な繁殖願望が込められているだけだ。しかし、その結果が引き起こす悲劇は計り知れない。キノコ星人たちの計画は、この世界全体を巻き込む危険を孕んでいる。
「そうだ! もっと胞子を飛ばそうよ 人間たちの街も エルフの森も 魔族の土地も ぜーんぶ私たちの楽園にしてあげよう!」
「うん そうだね みんな きっと喜んでくれるね」
二人は嬉しそうにぴょんぴょん跳ねながら、胞子を撒き散らし始めた。洞窟内には、甘く濃密な香りが満ちていく。
◇ ◇ ◇
「被害の規模が拡大しています」
ギルドの詰所に戻った陰陽師は、報告書をギルドマスターに手渡しながら言った。その顔には、重い影が落ちている。ギルドマスターは書類を受け取り、眉間に深い皺を寄せた。報告書には、眠りキノコに冒された人々の詳細な症状が記されている。
「被害地域は採掘場周辺の集落だけでなく エルフの森や魔族領との国境付近にも広がっています 症状は共通していて 深い眠りや昏睡状態に陥り 時間経過とともに体力が徐々に衰えていくようです」
「薬や回復魔法は効かないのか?」
「有効な治療法は見つかっていません 通常の毒消しや睡眠解除では効果は限定的です」
「このままでは被害が広がる一方か…… それに 国境付近にまで広がっているとなると 外交問題にも発展しかねんな」
「ええ 魔族側は我々が何か仕掛けたと勘繰るかもしれません そうなれば さらなる混乱が……」
ギルドマスターは深くため息をつき、報告書を机に置いた。事態はもはや、この国だけの問題ではない。隣国との関係悪化、ひいては大陸規模の問題に発展する可能性さえある。
「仕方がない…… 勇者を派遣するしかないか……」
ギルドマスターの判断に、陰陽師はわずかに眉をひそめた。原因が何か掴めぬまま、ギルドの最大戦力を送り込むのは賭けの要素がある。
「勇者殿をですか……敵が未知である以上 勇者殿を投入するのはリスクがあります」
「分かっている だが 他に打つ手がない 仮にもう一度 調査隊を送り込んだとしても 成果は望めないだろう このまま座して被害が拡大するのを待つか 勇者が解決してくれることを祈るか どちらを選ぶかと言われたら 私は後者を選ぶ」
陰陽師は口を閉ざした。ギルドマスターの言い分は理解できる。だが、勇者が事態を好転させる保証はどこにもない。むしろ、強大すぎる力は、時に事態をより複雑にしてしまうこともある。しかし、陰陽師にも代案はなかった。
「分かりました では 私も同行します 何か役に立てるかもしれません」
陰陽師の申し出に、ギルドマスターは逡巡の色を見せた。彼女の力があれば、異変の根源を特定できるかもしれない。しかし、貴重な手札を最前線に投入することに躊躇いもある。何より、彼女の安全が保証できない。
「危険だぞ 何が待っているか分からん」
「だからこそ 私が現場に行かなければなりません」
陰陽師の意思は固かった。ギルドマスターはしばらく彼女の目を見つめ、やがて小さく頷いた。
「分かった では 勇者とお前で採掘場の調査と 原因が確認できた場合はその排除を頼む ただし 深入りは禁物だ 少しでも危険を感じたら すぐに撤退するんだぞ」
「承知しました」
陰陽師は恭しく一礼した。その目には覚悟の色が宿っている。ギルドマスターは彼女の肩を軽く叩いた。彼もまた複雑な心境だろう。だが、決断を下した以上は後戻りできない。
◇ ◇ ◇
俺と半獣人の少女は、魔王城の部屋で待機していた。窓辺には、薄い雲に濾された穏やかな光が差し込んでいる。
「おはようございます 朝食をお持ちしました」
扉を開けて入ってきたのは魔動猫だった。いつもの無表情で部屋に入ってくる。銀盆の上には、朝食が乗せられているようだ。
「おはよう 猫さん 今日もいい天気だね」
「本日の天候は 晴れのち曇り 降水確率は10%前後 日中 大きな天候の崩れはないものと推定されます」
「ふーん ま 雨じゃないならいいや」
半獣人の少女は興味なさそうに返した。俺は窓の外へ目を向ける。空には雲が目立つものの、雨の気配はない。
魔動猫が銀盆をテーブルに置く。その上に乗っているのは、スライスしたパンと生野菜。そして、やはり唐揚げだった。昨夜と同じく、魔王特製の唐揚げだ。揚げたてらしく、皿の上からまだかすかに湯気が上がっている。
「うわっ 朝から唐揚げか! 豪華だな!」
半獣人の少女が歓声を上げた。朝から揚げ物は少々重たい気もするが、昨夜の唐揚げは絶品だった。これなら喜んで食べられる。魔動猫は無表情のまま、事務的に説明を続ける。
「朝食の後 採掘の仕事へ出ていただきます」
魔動猫はそう言って、布に包まれた荷物をテーブルの端に置いた。大きさと形状から見て弁当箱のようだ。
「これは……弁当!?」
半獣人の少女は目を丸くして、包みを手に取った。布の隙間から、ほんのりと香ばしい匂いが漂ってくる。
「魔王軍の携帯食です 仕事中にエネルギー切れが発生しないよう 食料が支給されます」
「へえ〜 そういうことか! 魔王さんの唐揚げ弁当かな?」
「そうです」
これまで半獣人の少女の昼食と言えば、干し肉か、捕まえた獲物をそのまま食べるか、せいぜいそれくらいだった。こんなふうに弁当を持たされて出勤するなんて、至れり尽くせりだ。これだけ待遇が良いのなら、魔王軍で働くのも悪くないかもしれない。
しかし、昨夜も唐揚げ、今朝も唐揚げ、昼食も唐揚げと聞いて、さすがに疑問が湧いてくる。
「ねぇ 猫さん ここ 唐揚げばっかり出てくるけど なんでこんなに唐揚げばっかりなんだ?」
半獣人の少女も俺と全く同じことを思っていたようだ。なぜ魔王の城で、魔王自らが唐揚げを作るのか。その理由が知りたい。
「主様にとって唐揚げは特別なものです」
魔動猫が、淡々とした口調で話し始めた。
「主様は幼い頃 ご家族で異世界へ旅行に行かれました そこには この世界とは異なる文化や料理があり 主様はそこで唐揚げを召し上がられたのです」
異世界転移。かつて、古い時代にはそれが可能だったという話を聞いたことがある。まさか本当に実在したとは。
「主様はその味の虜になりました 戻ってきてからは その味を 再現しようと試みておられますが 異世界の食材や調理法を 完全に再現するのは困難で 現在も試行錯誤の最中です」
「へぇ……異世界って 別の世界のこと? そんな場所に本当に行けるのか?」
「可能です ただし 時空外転移機能を持つ 特定の転移装置を使う必要があります」
「なるほどなぁ……」
半獣人の少女は、感心したように呟いた。魔王の唐揚げへの執着は、そんな壮大な背景があったのか。ただの美食家というわけではなかったのだ。とはいえ、毎食唐揚げなのはどうなのか。偏食気味ではないだろうか。
「魔王さんはまたその世界に行けないの? 唐揚げが恋しいなら 行けばいいのに」
「それについては 主様も検討されています ただし 転移には莫大な量の魔石が必要となりますし そもそも 時空外転移機能のある転移装置は現在全て使用不能です」
「なんで使えないの?」
「かつて大陸を灰と溶岩で覆った災厄により 埋没しております 転移装置は領地内にいくつも設置されていましたが その多くが地中に埋もれてしまっています」
たしかに、呪術師が移動に使った転移装置も、掘り起こさなければならなかった。装置自体は頑丈に作られているため、長年地中にあっても機能は失われていないらしい。
「そうか じゃあ 転移装置を 見つけたら 魔王は喜ぶのか?」
半獣人の少女が尋ねると、魔動猫は静かに頷いた。
「はい もちろん 主様は喜ぶでしょう それでは 本日は転移装置の探索をお願いします 魔石の採掘も重要な仕事ですが 転移装置が使えれば 長距離移動が容易になり 業務効率も上がるでしょう」
「了解! 前にもやったことあるし どんどん掘り起こしてやるよ!」
半獣人の少女は自信満々に請け負った。呪術師が使った転移装置も俺たちが見つけた。同じことをすればいいだけだ。
「それでは起動テスト用の魔石をお渡しします 装置の操作手順書はこちらになります」
魔動猫は銀盆の横に小さな布袋と羊皮紙を置いた。布袋の中には拳大の魔石が入っている。羊皮紙には、文字や図形が細かく記されていた。恐らく、起動手順が記されているのだろう。しかし、半獣人の少女に任せて大丈夫なのだろうか。彼女の知的水準はよくわからないが、それほど高くはないだろう。
「うん 任せておいて! 青いのがいれば 何とかなるよ!」
半獣人の少女は、俺をぽんと軽く叩き、自信満々に笑った。俺は内心でため息をついた。掘り起こすまでなら良いか、起動テストは少々荷が重いのではないだろうか。
「よろしくお願いします 装置が発見できなくとも 夕食までには帰城してください」
魔動猫はそう言って部屋を出て行った。
「よーし 絶対見つけるぞ!」
半獣人の少女は拳を握って意気込む。何事もなく終わればいいが。俺は一抹の不安を覚えながら、唐揚げの欠片を吸収した。魔王の唐揚げは、やっぱり美味い。




