86 山下さんの場合、続き
映画館に到着すると、春休みシーズンが近づいていることもあり、割と混雑していた。バレンタインデーだからか、カップルも多い。私たちはオンラインで予約したチケットを引き換えて、開場時間まで待つことにした。
「ポップコーン買う?ドリンクもあるけど。」
「うーん。終わったらカフェに行くから、ここでは大丈夫かな。飲み物も飲んだら、トイレ近くなっちゃうからやめておくね。せっかくミステリー見るのに、犯人が分かる前にトイレに行きたくなったら嫌だから。でも陽介君がもし欲しいなら、全然買って良いからね。私のことは気にせず。」
「じゃあ買ってこようかな。お腹空いたし。もし食べたくなったら、食べて良いから。」
陽介君がポップコーンを買いに行っている間、売店でグッズを見ていると、
「あれ?山下さん?」
後ろから声をかけられたので振り返ると、同じクラスの田中君がいた。
「田中君、お疲れ様。」
「いつもと雰囲気違うから、最初、全然分かんなかった。髪の毛伸びたね。」
「そうなんだよね。受験勉強中に髪伸ばしっぱなしだったから。せっかくなら伸ばそうかなと思って。」
「そうだ、山下さん、Y県立医大合格したんでしょ?玉木先生が嬉しそうに話してた。おめでとう。すごいね。」
合格発表が出て、陽介君に報告した後、学校にも報告しに行き、玉木先生と2人で抱き合って喜びを分かち合ったのを思い出した。
「ありがとう。おかげさまでなんとか合格できました。田中君も、推薦で合格してたよね?Y大学の理工学部。おめでとう。」
玉木先生から私のクラスメートで、既に合格が決まっていた人たちの話を聞いていて、その中には田中君も入っていた。
「ありがとう、知ってたんだ。山下さんと大学も近くなったね。よろしくお願いします。」
そのまま雑談していると、
「...田中おつかれ。」
気づいたら後ろに陽介君が立っていた。明らかに威圧感のある態度で、田中君に話しかけている。
「あ、お疲れ様。」
少したじろいだ田中君は私と陽介君を交互に見ていた。
「じゃ、行こう、梓。」
陽介君は私の手を握って歩き始めた。なんだか力が強い。
「じゃあ、またね、田中君。」
陽介君に引っ張られながら、私は田中君に軽く会釈した。
「もう、開場時間だから、入ろう、中に。」
陽介君はスタスタ歩いていたので、私は引っ張られて少し早歩きになってしまった。
「うん、分かった。」
そのまま入場して、座席に座った。この時期は話題作が立て続けに上映されるので、私たちが見る予定の作品の客入りは多くなく、観客は全員合わせても7-8人程度だった。
「意外と空いてるね。みんな他の映画見るのかな。」
私がそう言うと、
「うん、そうだね...。」
なんとなく歯切れが悪い応えが返ってきた。スクリーンではこれから公開予定の映画の予告編が流れ始めていたので、そちらに集中してるのかなと思い、私もスクリーンを見ていると、
「...田中と何、話してたの?」
陽介君が質問してきた。
「...えーっと、声をかけられて、お互いに大学合格おめでとうって話してた。田中君、Y大学の推薦入試合格したって、玉木先生から聞いてたから。同じ学区だから、中学校から一緒だけど、大学も近いねって言ってた。」
「ふーん。」
聞いてきた割に、そこまで興味もなさそうだなと思っていると、
「...仲良いよね。田中と。文化祭の打ち上げの時も、あいつ、梓のこと送ろうとしてたし。」
確かにそういえばそんなこともあった。
「うーん。そう言われると男子の中では話す方かもね。ていうか、私に話しかけてくる人がそもそも少ないから、」
そう話してる途中で、陽介くんが私の手を握ってきた。少し驚いたけれど、正直手を握られることには慣れてきてしまっていた。ただ、なんだかいつもより力が強い気がする。
「...もう、正直に言うけど、俺、今ものすごい嫉妬してるからね。」
もしかしてそうなのかもしれないと思ったけど、はっきりと言われてドキッとした。
「...いや、文化祭の打ち上げのときも、今日も、たまたまだと思うし、本当に世間話しかしてないよ?」
「そうかもしれないけど、大学も近いでしょ?今後もたまたま会って世間話する可能性がある。」
「それはまぁ、そうかもしれないけど...」
私が男性と話すたびに嫉妬していたら、キリがないんじゃないろうか。
「別に、俺が嫉妬してるだけだから、梓に他の男と喋るなとは言わないよ。生活してて、そんなの不可能でしょ。ましてや医者になったら患者さんと話すのが仕事みたいなもんだろうし。」
他の男性と話さないでと言われなかったことに、ホッとしてると、顔を覗き込まれた。距離が近い。
「でも、他の男と話すときに、その間、俺がものすごい嫉妬しているんだってことは、覚えておいて。それはもうとんでもなく。あくまで心の中で俺が嫉妬するのは自由だし、それを梓に言っておくのも自由だと思う。俺が嫉妬してることを充分に分かった上で、梓がどう行動するかも自由。これはたぶん束縛じゃない。」
話としては筋が通っているかと一瞬思いかけたけど、これを知らされた以上、私は他の男性と話すときに、どうしても陽介君のことを気にしてしまうんじゃないだろうか。一方的に罪悪感を植え付けられている気がしないでもない。
「...束縛じゃないかもしれないけど、他の男の人と話すたびに、私、陽介君に申し訳なく思うようになっちゃいそうな気がするんだけど、」
そう話してると、軽くキスされた。
ちょっと、人前だよ?!
一気に体温が上がった気がして、心臓も跳ねた。私が見回すと、私と陽介君が座っている席より前にしか人はおらず、かなり距離も離れていたので、誰も気づいてはいなさそうだった。
「さすがに、誰かが見てる前ではしないよ。梓、嫌でしょ。ちゃんと周り見てから行動してるから。」
「っいや、でも、見られる可能性が0じゃないところは、良くないんじゃ、」
私がしどろもどろになりながら抗議すると
「じゃあ、2人きりなら良いんだ。」
そう返されて、返答に詰まってしまった。
「...時と場合による。」
なんとか絞り出すように答えると、陽介君は軽く笑ってから、背もたれに背中をつけて座り直した。
ちょっと、なんか、すごいなこの人。
「...俺は重いんだよ。それも覚えておいて。」
そう言われて、また心臓が跳ねた。
そのまま、映画の本編が始まったけど、私は映画の内容に集中できるまでに少し時間がかかった。
映画を見終わった後、前から行きたいと思っていた、紅茶が美味しくてスコーンが有名なカフェに入った。
「なんかすごかったね。あんな豪華なキャストでほぼ全員死んでなかった?」
「分かる。あまりにもみんなどんどん死んでいくから、誰も残らないんじゃないかと思った。」
今日見た映画は、嵐で誰も近づけなくなった孤島で連続殺人事件が起こるという古典的なストーリーだったが、他のドラマや映画で主演を務めるような豪華なキャスト陣がどんどん殺されていき、探偵役だと思っていたキャストが終盤で殺され、助手役だった若い男性が実行犯で自殺し、最後に全てを操っていたのは遠く離れた病院で寝たきりになっている老人だったと言うオチだった。最後はその老人が残した遺書で全てのストーリーがひっくり返るという、大どんでん返しで、色々あって、序盤は映画に集中できていなかったけど、途中からあっという間に引き込まれていた。
「すごい面白いのに、なんであんなにお客さん少なかったんだろう。もったいない。」
閑散とした劇場内を思い浮かべて、少し寂しい気持ちになってしまった。
「梓みたいにミステリー好きな人なら興味持つかもしれないけど、アクション映画みたいに何も考えずにひたすら楽しい映画が好きな人も多いから、そういう人はあんまり興味持たないのかもね。俺も梓に誘われなかったら観てないタイプの映画だし。」
「そうなんだ。普段あんまりこういう映画観ないなら、今日の映画ちゃんと楽しめた?」
「普通に面白かったよ。観られて良かった。」
私が観たくて選んだ映画だったので、陽介君が楽しめたか、気になっていたのだ。
「それなら良かった。」
「それに、映画を観てる間の梓の表情が面白かった。驚いてたり、怒ってたり、本当に思ってること、表情に出やすいよね。」
陽介君に笑いながら言われて驚いた。
見られていたとは。恥ずかしくて顔を伏せた。
「...映画館来たんだから、映画を集中して観なよ。もったいないよ。」
「映画も観てたけど、梓も見てたよ。だって可愛いから見ちゃうよ。仕方ない。」
この人は全く...。
おそらく顔が赤くなっていた私がジト目で睨むと、
「うん、赤くなってその目で睨んでるのも可愛い。」
ダメだ。勝てる気がしない。
気を取り直して紅茶を飲んでいると、陽介君が私の目の前にリボンの付いた箱を置いた。
これは、もしかして。
「梓、誕生日おめでとう。開けてみて。」
「すごい、ありがとう。」
開けてみると、中にはシルバーのバングルが入っていた。シンプルなデザインだけど、とてもおしゃれで可愛く見えた。何より、好きな人が自分のために選んでくれたプレゼントだ。嬉しくないわけがない。
「可愛い...。ありがとう、嬉しいです。」
私がお礼を言うと、陽介君は嬉しそうに笑顔になった後、カバンの中に手を伸ばして、私がもらったものと同じ箱を取り出した。その箱を開けると、中身は同じデザインでサイズ違いのシルバーのバングルだった。
これって、もしかして...。
「お揃いにしました。なるべくつけてね。俺も外さないようにするから。」
彼の顔を見ると、少し赤くなっていた。
「うん。分かった。...陽介君、意外とお揃い好きだよね。水族館のペンギンのキーホルダーもお揃いで買ってたし。」
私が笑いながら言うと、
「今まで、カップルがお揃いの物使うのなんでかなって思ってたけど、彼女ができて分かった。これは独占欲です。この人には俺という彼氏がいますっていう。」
独占欲という強い言葉を言われてドキッとした。
「本当は指輪にしたかったけど、サイズ分からなかったし、1発目のプレゼントにしては重すぎると思って、バングルにしました。」
確かに、指輪は嬉しいけれど、初めてのプレゼントでもらったら、ちょっと色々考えすぎてしまうかもしれない。
「...そこまで色々考えてくれてありがとう。」
もう一度お礼を言うと、
「...いつか、指輪渡すから、心積りしておいてね。」
そう言われ、私はまた顔が赤くなっていたと思う。
早く、私も渡さないと。
「陽介君。これどうぞ。バレンタインデーなので。」
そう言って、バッグの中から紙袋に入ったクッキーを渡した。紙袋を出した瞬間、陽介君の目が輝いたのが分かった。私もだけど、陽介君もかなり感情が顔に出るタイプだと思う。
「嬉しい。ありがとう。」
そう言って、紙袋の中を覗いた。
「トマトバジル味のクッキーで、しょっぱいから、甘いの苦手でも食べられると思う。」
私が説明している間、陽介君は愛おしそうにクッキーを見ていた。
「なんか、もったいなくて食べられなさそう。家宝にするか。」
「変なこと言わないでよ。そんなに日持ちするやつじゃないから、早めに食べてください。」
「じゃあ噛み締めて食べます。ありがとう。」
喜んでもらえて良かった。
そう思って、残りの紅茶を飲んだ。
カフェを出てからは、手を繋ぎながら、私の家まで歩いて帰った。しばらく話していたけど、陽介君が急に静かになったので、どうしたのかと思い、彼の顔を見てると、
「...この前、ごめん。俺の部屋で。無理矢理だったと思って、反省した。」
あの時の、陽介君の苦しそうな顔が思い浮かんだ。
「...えーっと...。」
なんと答えて良いか分からず、言葉を探していると、
「本当にごめん。俺、梓が嫌がることは絶対したくないって思ってたのに、梓が、俺だけじゃなく、俺の家族のために、色々考えて行動してくれて、なんか、もう愛おしくてたまらなくて、こんなに誰かを好きになったことなかったから、苦しくなって、止まらなかった。でも、これは本当に言い訳。だからって許されるわけじゃないから、俺のこと怒っていいから。」
そう話す陽介君はとても、辛そうで、彼がどれだけ自分を責めているかが分かった。
「...怒ってないよ、私。嫌だったんじゃなくて、怖かったというか、」
「ごめん、怖がらせて、」
「違う、陽介君が怖いんじゃなくて...あれ以上先に進むこと自体が、本当に良いのか分からなくて、怖くなったというか、陽介君が嫌なわけじゃなくて、いつかはとは思うけど、それが今なのか分からないというか。」
話せば話すほど、彼を傷つけてしまいそうで怖かった。
「私、本当に陽介君のこと好きだから、それは信じてほしい。もう謝らないで良いから。」
もう、陽介君に自分を責めてほしくなくて、私は彼をまっすぐに見つめながら伝えた。
「...ありがとう。」
陽介君はとても切なそうな目をしていた。
家に到着すると、陽介君は名残惜しそうに私のことを見ていた。
「梓が、俺のこと好きなのは分かってる。
でも...多分俺の方が梓のことを好きすぎるんだと思う。元々一目惚れして、憧れてて、好きで、話せるようになって、夢を応援してもらって、本当に大好きになって、誰にも渡したくなくて、頑張って付き合えるようになったのに、梓の良いところをどんどん知っていって、日に日にどんどん好きな気持ちが強まってて、本当に怖い。このままじゃ、その気持ちが暴走して、いつか傷つけちゃうんじゃないかって思う。」
自分が、こんな風に、誰かに強く思われる日が来るなんて思っていなかった。ましてや、自分が好きな人に。
私は彼の言葉を聞いて、胸が苦しくなった。
「本当に好きだよ、梓、大好き。」
彼はまた切なそうに笑いながら私に言った。その表情を見て、私は泣きそうになってしまった。




