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菜穂さんと最後に会った日以降、俺はまるで抜け殻のようだった。彼女にもう会えないことが、悲しくて、苦しくて堪らなかった。
「海斗、最近、元気ないけど大丈夫?」
ついに、おばあちゃんにまで、いつもと様子が違うことがバレてしまう有様だった。
「別に何もないよ。心配かけてるならごめんね。大丈夫だから。」
「そう?何かあったら、我慢せずに話してね。」
さすがにおばあちゃんに自分の恋愛話を言うのは憚られたので、いつものように笑顔で誤魔化した。
中学3年生に上がる春休み、久しぶりにお母さんが家に戻ってきた。いつものように唐突に。
「海斗、久しぶり。大きくなったねー。」
「...久しぶり。もうすぐ170cmになりそうだからね。」
3回目になると、この突然の帰宅にも、少し慣れてしまった。
「うわ!声変わりもしてる。えー、もう男子じゃなくて、男性って感じだね。」
いつものように人懐こい笑顔を見せるお母さんを見ながら、やっぱり菜穂さんとお母さんは似ていると思った。
おばあちゃんは、お母さんに対して、二、三、小言を言ったあと、いつものように家に受け入れていた。
お風呂上がり、リビングのソファーに座ってテレビを観ていると、お母さんが俺に話しかけてきた。
「海斗、本当にカッコ良くなったね。あと、大人っぽくなった。良い恋でもしたー?」
ニコニコと冷やかすように話すお母さんを見ながら、俺は菜穂さんのことを思い出した。
「...好きな人できた。しばらく会ってたけど、引っ越すから、この前会うのが最後だった。」
俺がそう言うと、お母さんは少し驚いた表情をしていた。
「へー。付き合ってたけど別れたの?」
「いや...付き合ってはもらえなかった。会ってくれてはいたけど。」
歯切れの悪い俺の回答を聞いて、お母さんは少し考えるような表情をしていた。
「なるほどねー。」
いつまでも、菜穂さんのことを引きずって、久しぶりに会う母親にそんな話をしている自分が情けなくなった。
「まぁ、いつまで引きずってるんだって話だよね。切り替えなきゃ。」
俺は苦笑いしながら言った。
「...別に良いんじゃない?無理して忘れなくても。好きなら好きで。無理して自分の気持ちに蓋しようとしても無駄だよ。これはお母さんの経験から言えることだけど。」
思いがけないことを言われて驚いて、お母さんの顔を見た。
「忘れたくなかったら忘れなきゃいいし、切り替える必要もないんじゃない?そんな風に、無理矢理、自分の本当の気持ちを見ないふりしようとする方が、ストレスだよ。たぶん、いつか、別の人を好きになったら、自然と、今好きな人のことは過去になると思うし。まぁ、自分の心に素直に従いなよ。お母さんみたいに。」
きっと、お母さんは今までたくさん恋をしてきて、その度に落ち込んでも、別の人を好きになって立ち直ってきたのだろう。無理矢理じゃなく自然と。だとしたら気が多すぎるとは思うし、お母さんみたいに行動するのは、あまりに自由すぎると思うけど、菜穂さんのことを好きな気持ちを無理矢理忘れる必要はないのだと思えた。
「...さすがに、お母さんほど自分の心に従って行動はできないかな。自由すぎるから。」
俺が笑いながら言うと、
「あらー、失礼な。自由は自由で大変なのよ。」
お母さんはそう言って笑っていた。その後、2ヶ月ほどでお母さんはまたどこかへ出て行った。
菜穂さんのことを好きな気持ち、どれだけ好きでも、付き合ってはもらえないという事実、もう会えないかもしれないこと、全部を受け入れて、それでも、彼女のことを忘れられないのだと認識すると逆にスッキリした。
今までは自分がどれだけ思っても、その思いが成就しないことが苦しくて、もう会えないかもしれないことが辛くて、それでも引きずっていけないのだと思い込んでいたのだ。
自分の感情を受け入れると、なんだか前を向けてはいるような気がした。
「私、林君のことが好きです。付き合ってもらえませんか?」
「ごめんなさい。俺、好きな人がいるので。」
告白されてもそんな風に断れるようになった。
中学3年生になり、菜穂さんのことを時々思い出しつつ、受験生として勉強にも力を入れ始めた。将来的に、音楽に携わる仕事ができたら嬉しいだろうけど、仕事として関わるより、趣味としてずっと続ける方が自分の性分に合っている気がしたので、なんとなく違う進路に進むのだろうと思った。
将来の職業の選択肢を増やすためにも、偏差値がそこそこの高校に入るべきだと考えて、自分の成績も考慮してS市立高校を志望することにした。目標を決めたら、ライブハウスで知り合った人たちとバンドを組んで活動する以外の時間は、基本的に勉強をしていた。そんな風に真面目に過ごしていた夏休みのある日。いつものように自分の部屋で勉強していると、メッセージが届いた。
菜穂さんからだった。
"久しぶり、元気?今戻ってきてるから、暇なら会わない?"
ずっと忘れられなかった相手からの連絡が嬉しくて、俺はすぐに返信した。
翌日の夕方、指定されたファミリーレストランに行くと、テーブル席に彼女が座っていた。
「海斗!こっちこっち!」
菜穂さんは前と変わらない笑顔で俺に手を振っていた。俺は彼女の座るテーブル席まで歩いて行った。
「お久しぶりです。」
「久しぶりー、元気だった?なんかまた背大きくなったんじゃない?大人っぽい。」
もう会えないかもしれないと思っていた大好きな人に会えて、俺は顔がニヤけていたと思う。
「なんだか、すごい良い笑顔だね。そんなに私に会いたかった?」
「はい、会いたかったです。連絡が来て、嬉しかったんで。」
「きゃー、素直でよろしい。私も会いたかったよ。」
菜穂さんはそう言うと、俺の頭を撫でた。
あぁ、やっぱり俺はこの人のことが好きなんだ。
その日は、菜穂さんの近況をずっと聞いていた。今は看護学校に通っていて、忙しいらしい。両親からは、東京に行くことを許し、学費を出す代わりに、夏休みと冬休みに実家に戻ってくることを条件として提示されてるらしい。
「正直、実家に帰るのはすごい嫌なんだけど、それ以外は自由にさせてもらってるし、まぁ、言うこと聞いておくかって思ってね。それに、地元の皆に会えるのは楽しいし。もちろん海斗にもね。」
看護学校は3年間なので、菜穂さんが卒業するまでの期間は、夏休みと冬休みに会えるのかもしれない。俺は内心テンションが上がった。
その日は門限までファミリーレストランで菜穂さんと話せて、幸せだった。
会えていない間に、彼女のことを思い出す頻度は減っても、連絡が来るとすぐに会いに行って、実際に会うと、彼女のことが好きなのを実感させられる。そんなことを繰り返していた。
ふと、自分がどれだけ菜穂さんに囚われているのだろうと心配になることもあったけれど、結局、その心配よりも彼女に会える喜びが勝っていた。
俺は、無事に志望していたS市立高校に進学し、高校生になった。学外のバンド活動を優先するために、部活には入らなかったので、自然と帰宅部の人たちと一緒にいるようになった。
その中に、笹井陽介はいた。
目つきが悪くて、怖そうに見えるけど、話すと素直な良いやつだった。
彼は、本格的にダンスをやっており、一度、運動部の同級生に、ふざけてその場で踊るように言われ、実際にキレッキレのダンスを見せて黙らせていた。その負けず嫌いな姿は面白かったけど、それ以上に自分がやってきたことにプライドを持っていてカッコ良いなと思った。
そしていつ頃からか、陽介があるクラスの前を通る時だけ、ゆっくり歩きながら、中の様子を窺っていることに気づいた。何を見てるのだろうと思い、彼の視線の先を探ると、山下梓がいた。彼女はいつもテストで学年一位を取っている、真面目で優秀な生徒だった。背が低くて華奢で、色白であり、黒目がちの瞳が可愛らしく、おそらく彼女のことを良いと思う人もそこそこいそうだけど、あまりにもいつも真面目に勉強していて、近寄りがたいオーラがあるようだった。
こんなにいつも見てるってことは、好きなんだろうな彼女のこと。
山下さんは常に真面目に勉強をしていたけど、たまにクラスメートと話していると、笑顔を見せており、そんな彼女の姿を見ることができた陽介の顔が少し赤くなっているのが分かった。
あまりにもピュアすぎる反応が微笑ましくて、俺もついニヤけてしまった。
自分と菜穂さんの関係の始まり方が、ピュアとは程遠かったので、その分、陽介の山下さんへの恋心が、眩しく見えて仕方なかった。




