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指定された火曜日の16時、俺は緊張しながら、進路指導室で受験対策が始まるのを待っていた。手持ち無沙汰なので、本を読んでいたものの、本の内容は全く頭に入ってこなかった。
そのとき、教室の扉が開いた。山下さんが立っていて、俺に気づいて、見ていた。ずっと気になっていた人と目が合って、自分の中ではとても長い時間に感じた。彼女は、
「お疲れ様です。」
と挨拶してくれた。俺は挨拶を返して、持っていた本を読むフリをしていたけれど、2年間、ずっと見ていた彼女が隣に座っているだけで、心臓はバクバクだった。俺は思い切って話しかけた。
「山下さんも、Y大医学部のAO入試受けるの?」
彼女は質問を返してくれて、会話ができていることが嬉しかった。そして数学の成績が良かったおかげで彼女が俺の名前を認識していたと知ったときは、内心ガッツポーズをしていた。
彼女と話していて驚いたのは、意外にも、彼女は、勉強がそこまで好きじゃないということだった。好きじゃないことを、ここまでストイックに取り組めることを素直にすごいと思ったし、周りに舐められないように勉強しているという発言が好戦的すぎて面白かった。
そして、思っていることを率直に言う姿勢も素敵だと思った。初めて話した俺にも取り繕わずに面と向かって話してくれているように感じて、嬉しかった。初めて見たときに感じた芯の強さは、間違っていなかったと思った。
何より、彼女には自覚が無さそうだが、1対1で話すとき、相手の目をじっと見るクセがあった。その目はとてもキレイで、吸い込まれそうだったし、いちいち緊張してしまった。
今思うと、初めて廊下で彼女を見たときに、一目惚れをしていたのだろうけど、初めて会話をしたこの日から、俺は彼女のことが好きだと認識した。
俺は勇気を出して、彼女を名字で呼び捨てすることにした。
受験対策で毎週2回、山下と顔を合わせられることがとても幸せだった。他愛もない会話ができるのが嬉しかったし、真剣に勉強をする彼女の横顔を見るのが好きだった。そして、彼女に数学を教えてほしいと言われたときは、心の底から数学が得意で良かったと思った。数学を教えているときの彼女は、無自覚だろうけど距離が近くて、こっちはドキドキしっぱなしだった。そして、問題が解けたときに見せてくれる満面の笑みが可愛くて仕方なかった。本当は自分の家と山下の家は反対方向だったけれど、家が近いふりをして、山下のことを家まで送っていた。正直、毎日浮かれていた。
そんな気持ちでダンスレッスンをしていると、
「…なんか、陽介ご機嫌だな。良いことあった?」
スタジオでトレーナーのリーダーをしている圭太さんに、聞かれた。
「…そんな風に見えますか?」
俺がそう返すと、
「うん。見える。なんかものすごいニヤけてるときあるよ。気持ち悪いくらい。」
圭太さんの奥さんで同じくトレーナーの玲さんに言われた。彼女はとても美人だが、口が悪い。
「気持ち悪いって…。」
玲さんにバッサリ斬られ、へこんでいると、
「彼女でもできた?」
地元の大学に通う、達也さんに聞かれた。ダンスは抜群に上手いが、基本的にチャラい。思いがけないことを言われて、俺は顔が赤くなってしまった。
「あー顔が赤い。さては本当に彼女いるな?」
圭太さんと一緒に、このスタジオを経営している広樹さんに追求され、
「いや、本当に勘弁してください…。」
なんとか話題を変えようとするが、4対1だと分が悪い。
「彼女じゃないです…俺がただ気になっているだけで、」
仕方なくそう答えると、4人は一斉にニヤニヤし出した。
「へぇー、陽介がねー、ダンススタジオに通ってる女子に声を掛けられても断ってるのにねえ。」
玲さんが楽しそうに俺を見ながら言った。
「声を掛けられたのなんて2回くらいしかないですし、それに狭い世界だから、ダンスやってる子と、くっついたり離れたりしたら面倒くさいじゃないですか。」
思ったことを素直に言うと、
「てめえ、狭い世界で付き合って、結婚までした私にそれを言うか。ぶっ飛ばすぞ。」
圭太さんは、玲さんが高校生でこのスタジオに通い始めた時に大学生でトレーナーをやっていて、それがきっかけで結婚まで至っていた。
「…すみませんでした。」
俺は素直に謝った。
「どんな子?どんな子?」
達也さんが聞いてきたので、
「…今、Y県立医大の受験をする生徒で集まって勉強してるんですけど、そこで一緒になった子で。」
2年近く片思いしていることは伏せておいた。
「へぇーじゃあ、頭良いじゃん。そっか、陽介も賢いんだった。」
広樹さんは思い出したように言っていた。
「そうだよなー。陽介、大学生になるんだもんなー。次の大会が最後だもんなー。寂しくなるな。」
圭太さんはしみじみと話していた。この大会が終わったら、ダンススタジオを辞めることは既に話していた。しばらく黙っていた広樹さんは口を開いた。
「陽介は、絶対プロで通用すると思うけどな。俺と違って、コレオもできるし。でも不安定な職業だからなー。仕方ないか。勉強頑張れよ。」
広樹さんはプロのダンサーもしており、兼業でスタジオを経営していた。ダンス1本で食べていくのが大変なのは広樹さんから教えられた気がする。でも一方でダンスしているときの広樹さんは、とても楽しそうだった。
本当はダンスが好きでたまらなくて、ずっと続けたかったし、プロにもなりたかった。自分が作ったコレオグラフィーを、アーティストが踊ってくれるのを想像しただけで、楽しかった。
でも、現実は厳しい。それに、両親のことを考えると、進学せずに夢を追いかけるのには抵抗があった。
3年生に進級すると、初めて山下と同じクラスになれた。俺は再び内心ガッツポーズをした。
山下は噂通り、休み時間も勉強していることが多かったので、話せることはあまりなかったけど、自分の席から山下の姿を見ることができるのは幸せだった。
進級してから2週間ほど経ったある日の放課後、3年生でも同じクラスになった海斗と話していると、彼と同じ美化委員の矢崎に声を掛けられた。
「笹井ってさ、いつもあずにゃんのこと見てるよね。」
そう言われて、俺は驚いて目を見開いた。もしかして、海斗が何か言ったのかと思い、海斗を見たが、
「あぁ、別に林から何か聞いたわけじゃないよ。普通に気付いた。だって、あれだけ、じーっとあずにゃんのこと見てたら、気付くでしょ。」
思い出したけれど、矢崎は山下の前の席だった。彼女に指摘されて俺はうなだれた。やっぱり俺は、山下のことを見過ぎなのか。
俺の様子を見た海斗が笑い出した。
「ほらー、気付くでしょ?俺も1年生の時すぐに分かったもん。」
ケラケラ笑う海斗と俺の様子を交互に見ていた矢崎が、再び聞いてきた。
「それだけ見てるってことは好きなんだよね?あずにゃんのこと。」
ここまでばれていたら仕方が無いと思った。
「…そうだけど…。」
我ながらふてくされていたと思う。でもそこで1つの可能性に気がついた。ここまで俺が山下を見ていることがバレバレなら、山下本人も気付いているのではないだろうか。
「…山下って、俺が山下のこと見てるの、気付いてるかな?」
俺がそう言うと、
「いや、絶対気付いてない。あずにゃん、勉強中ものすごい集中してるから、私が話しかけても気付かないこともあるくらいだし、周りの視線とか絶対気にしてないと思う。」
即座に矢崎が答えてくれたのでほっとした。
「で、どうするの?告白しないの?見てるだけじゃ、気持ちは伝わらないよ。エスパーじゃないんだから。言葉にしないと。」
矢継ぎ早に矢崎に言われて、俺は狼狽えてしまった。
「いや…まだ…山下の勉強の邪魔したくないし、受験生だし、同じ進路で、もしフラれたら気まずいし…。」
我ながらウジウジしていたと思う。
「ふーん…。まぁ良いけど。ただ、1つ言っておくと、たぶん笹井以外にもあずにゃんのこと好きな人、出てくると思うよ。ていうかもう既にいるかもしれない。」
そう言われて俺は再び驚いて、目を見開いた。
「…なんでそう思うの?」
「だって、同じクラスになって仲良くなるまで知らなかったけど、あずにゃん、素直で良い子だもん。成績良いことだけしか知らなかったから、取っ付きにくいのかなーって勝手に思ってたけど、話しかければ、普通に話してくれるし、仲良くなったら、すごい笑顔見せてくれるし。あと色白で華奢で、黒目がちでアザラシの赤ちゃんみたいな目をしてて可愛い。いわゆる守ってあげたくなる系?確かに勉強ばっかりしてるから話しかけづらい雰囲気はあるけど、勉強ができるからってプライドも高くないし。こっちが引け目を感じなければ、何の問題も無い。想像以上に良い子で私は大好きになりました。で、あずにゃんは良くも悪くも、分け隔てなく皆と接するから、これは好きになる人いるだろうなーと思ったんだよね。笹井みたいに。」
矢崎に丁寧に説明されて、俺は何も言えなくなってしまった。
俺は元々一目惚れをしていて、初めて話したその日にもう好きになっていたのだから、確かに同じように山下に接する男子がいれば好きになっても仕方がないと思った。
そのまま黙り込んでいると、
「まぁ、これは私のお節介だし、私はあずにゃんが幸せでいてくれればいいから、無理してすぐに告白しなよとかは言わないけどさ。油断してたら、誰かに取られる可能性は考えておいた方がいいんじゃない?」
そう言われて、さらにとどめを刺された気がした。




