♯69 旅の途中 ―間抜け獣人のバラッド
一歩一歩足を進める毎に強くなる不快な臭いに顔を顰めながら、この後どうするかを考える。
頭目の机に置かれた紙の一枚に書かれていた内容から、多少の希望を持ちながら歩いているけれど、ここまで漂ってくる悪臭を鑑みるに余り期待は出来なさそうだ。
「参ったなぁ‥‥本当‥‥」
机上の山になった書類の中で、少し上質な一枚の紙面に綴られた一文は綺麗な文字でこう記されていた。
『奴隷の半数が綺麗な状態であれば、一人頭金貨1枚で買い取る』
とのこと。
貨幣価値は一応教えて貰ったけど、この辺りでは銀貨500枚で一年困りごと無く暮らせるらしい。
また、銀貨は1000枚で金貨1枚と両替が出来るらしい。
単純に換算して、1年間の生活費を200万円くらいとすると、金貨1枚で400万円くらいの価値がある事になる、のかな?
そう考えると、わざわざ妙な条件は付けているみたいだけど破格の値段と言える。
のかなぁ‥‥?
人一人分の値段って考えると、高いのか安いのか判断出来ない。
六呂の調べによるとこの件にはフォロール家の誰かが一枚かんでいるらしく、野盗と貴族の繋がりについてはそのまま六呂が突きとめてくれている。
で、悪意というか呪いの塊みたいなモノであるからこそ、人の後ろ暗い部分がとても良い栄養になるみたいなので、こういった場面での調査結果はまず間違いの無い物だと判断できる。
問題は公爵家の誰が主犯で、他に共犯は居るのか?とか、色々と気になる事は多いのだけど‥‥
「なんというか‥‥」
こんな事、考えた所で答えなんてどうせ出ない。
「ホント、なんでこんな事になるかなぁ‥‥」
外套のフードを目深に被り一人虚空に心中を吐露して、頑丈そうな木製の扉に手をかけた。
右手に大きな鎌を携えて。
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不快な擦過音を立てながらゆっくりと開く扉の中は、恐らく人間の目では只の暗闇にしか見えなかっただろう。
今の僕は虎人なので、本来なら完全夜行性の動物とは違いここまで暗いと余り見えない筈なのに確りと細部までを確認出来た。
気ばかり焦って失念していたけれど、暗がりや物影からの不意打ちを考えれば、少しうかつだったかな。
今の、夜目が非常に効く状態は非常に喜ばしい事なので、次からは気をつけねば‥‥。
それにしても、今回ばかりは部屋の中なんて、ましてや中に居る人間なんて、見えない方が良かった。
僕が侵入しようと開いた扉の中、牢獄としか言えない石造りの壁と鉄格子の嵌った獄内には十人以上が押し込められていて、誰もかれもが殆ど全裸の様な恰好だったから‥‥。
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此方に視線を向けて身を小さくする者、無感動に何処かを眺め続ける者、冷たい石床に力なく寝転がる者、独りで悦楽に耽る者、誰の目も曇って淀んでいた。
本当に‥‥、ドイツもコイツも‥‥‥。
「『会話のできる人は居ますか?』」
短く告げる僕に、帰ってくる言葉は無い。
室内に響くのはか細い呻き声か、短い嬌声、掠れた呼吸音だけで、恐らく皆が皆生きる事を諦めたのだろう‥‥。
と、暫く待って返答が無い事に肩を落とした僕が鉄格子の扉に向かおうとした瞬間、声が聞こえた。
隠そうとして隠しきれなかった怯えが震えとして出てしまっただろう涙声で願う声。
「‥‥妹を‥‥、オレの妹を助けて下さい‥‥」
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見るからに手遅れの、性別すらどちらか判別できない痩躯の子供を抱きかかえた恐らく人間種の一人。
自身も大分肉が落ち、頬も目の周りも落ち窪んでいる。
念の為に幾つか作っておいた薬は、精々が疲労回復と病気治癒の効能しか無い。
失われた生命力は戻ってこないし、砕け果たした心なんて論外だ。
静かに鉄格子を切り取って牢獄に侵入した僕に向けて、恐る恐る掲げ上げられた子供の体はすでに随所が傷み切っていて、微かに耳障りな呼吸音を立てるばかり‥‥。
「お願いします‥‥。オレはどうなっても良いから‥‥妹だけでも‥‥」
既に枯れ果てたであろう涙を振り絞ったかのような人間の声に、胸が締め付けられた。
『‥‥助け‥‥られるのか‥‥?』
一月と少し前にレーネさんに対して行使した式神のスキル、イタミワケとカタガワリ。
イタミワケは精神的にも肉体的にも、ダメージが有れば僕と対象とで等分する事が出来る。
カタガワリは、僕が指定する範囲の付加効果をそのまま僕に移す形。
どちらとも、今使用してしまえば朝一の行動に支障を来たす上、周りに居る虜囚達の目も有る‥‥。
何より、こんなレベルのダメージとなると、防衛本能等が原因でカタガワリどころかイタミワケも発動しない恐れが有った。
「‥‥無理ならせめて、‥‥ッせめて、楽に‥‥!!」
まぁ、仕方ない。
言われなくても、ここで立ち止まれば昼間の公女さん達が危険なのだ。
優先順位は別に無いけれど、先に請け負った事を片づける方が自然だと思うし、ここで会ったも何かの縁。せめてひと思いに楽にしてあげよう。
ほんと、こんな所でスキルを使ってしまう間抜けが居る訳が‥‥。
種族:人種 人間 11才
名前:アルルア Lv, 2
職業:[奴隷] 村人Lv,1
HP 5/20 MP 1/4
攻撃力 1
防御力 1
素早さ 1
耐久力 2
知力 20
魔力 10
称号:要救護者 搾取される者 感染者
状態異常:病気 衰弱 感染
『六呂[カミオロシ]発動、雀禍[カタガワリ]発動』
数秒ごとに減っていくHPを見てしまうと、手を出さざるを得なかった。
熱い手のひら返しかも知れないけれど、義を見て為さざるはなんとやら、だ。
僕は断じて間抜けじゃない。
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状態異常の病気と衰弱は容赦なく僕の体力を奪っていく。
感染については今のところ特に大きな問題を起こしては様だけど、この辛さを考えると今後何か有ってもおかしくは無い。
数秒に数パーセントとは言えHPが減っていき、脂汗と冷や汗が同時に噴き出して全身に倦怠感と悪寒が駆け巡る。
『ぬ、ぬぉぉぉぉぉ‥‥‥』
ガクガクと笑うヒザに鞭打って、取り敢えずやせ我慢と
『[輪煌結界、破塵・圓]‥‥、ふぅぅぅぅぅぅ‥‥‥』
鳥船の治癒にも使える結界を発動して、なんとか事なきを得た。
脂汗は引き、倦怠感を堪えながらなんとか持ち直したステータスを確認しながら、二人を眺める。
周りに構わず泣きじゃくりながらアルルアさんを掻き抱く様を見て、何かの絵か写真を思い出した。
寝息が静かになり、顔色も幾分マシになり胸を撫でおろす。
「他に、治療が必要な人は声を出すか手を上げて下さい」
気分が落ち着いた僕の声は元通りになったけれど、思考回路はやられてしまったのかも知れない。
僕はどうやら、だいぶ間抜けだったらしい。




