温泉旅行 上
竜一が完全復調してしばらく、季節は初夏になっていた。
修平が一人暮らしを始めて以来、三人が集まるのはもっぱら竜一の家となっている。
今日も三人で思い思いに腰を落ち着けて、呼び出した春明から話を聞いていた。
「O県の山奥で結界のお引越しするらしくてさ、中の様子も一応見て来てって言われてるんだけど、何人でも日給出してくれるって言うからさ、二人とも温泉旅行行かね?」
パソコン机の椅子の背もたれを抱えるようにした春明が差し出したスマホ、地図を前に示されたのはO県の北部。
「めっちゃ山奥じゃん」
修平の言う通り、ダム湖のそばのわずかな温泉地以外は緑に囲まれている。
「昔はかなり有名な温泉地だったらしいよ、今でも結構人は来てるんだってさ。んで、どっちがいい?」
再び差し出されたのは宿泊地の候補らしい。
「ん~、あ、こっちバイキングだ。俺、こっちがいいな」
「僕はどっちでもいいかな、あ、でも温泉はちょっと気になる。河原にあるんだろ?」
竜一は場所を見て先ほどから向かっていたパソコンで検索をしていたらしく、興味を引いたようだった。
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宿について初日は宿の中を探検し、売店の有名な団子を見てお土産に買おうと決意した三人は、夕食のバイキングを堪能してから若干人の少なくなった河原の大浴場へと突撃し、温泉を満喫したのであった。
翌日、予約してあった観光タクシーへと乗り込み、お願いした行先へと運転手のおっちゃんは首をかしげながら向かってくれた。
わずかに山道を入った先、すぐに見えた少しだけ広い砂利のスペースと、その先に続く砂利道。そして関係者以外立ち入り禁止の立て看板。
「いやいや、あの、俺たち仕事で頼まれてきてるんです、怪しくないです!」
「仕事って、君らまだ学生さんじゃないのか?……あ、うーん、確かにそれっぽい」
慌てて春明が取り出した書面を眺め、ようやく納得顔をしたおっちゃんに、竜一が用意していた缶コーヒーとお茶のペットボトルを渡す。
「よかったらどうぞ」
「お、悪いね」
快く受け取ってくれたおっちゃんへと修平が頭を下げた。
「ちょっと時間かかるかもしれないから、退屈だと思うんだ。車の中でせっかくいろんな観光先とか教えてもらったのにごめん」
おっちゃんは慌ててダッシュボードへと飲み物を置き、手を振った。
「いいのいいの、むしろいつもとちょっと違うから楽しんでるくらいだよ。君らが戻ってくるまで昼寝でもしちゃおうかな~?」
そんなちょっとおどけたような返しを春明が茶化す。
「戻ってきたときに寝てたら、しゃがみながら窓叩いて脅かすから、存分に寝てていいよ」
「こっわ!?最近の子は怖いこと考えるな~、ま、行ってらっしゃい、お仕事頑張ってな」
砂利道をたどって十数分、一見同じような砂利道と森が続いている景色の手前で春明が立ち止まる。
ぴし
乾いた枝を踏んだような音が響く。
「あ~、うん。正常に維持されてることを確認。問題はなさそうってか、音からしてかなり最近手入れされてんな」
そんな春明のつぶやきに、後ろで二人がささやきあった。
「竜、わかった?俺、音聞いても全くわからん」
「僕もさっぱりだ。最近少しかじってみたけど、結界術は専門性が強すぎて生中じゃ理解できないことが分かった」
そんな二人へと振り返り、春明が何でもないように言い放つ。
「んじゃ、中はいるぞ、一応すぐに出られるようにはするから何かあったら即撤退な」
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人が通れるほどの薄さまで結界の一部をいじり、頷きあった3人は、竜一を先頭に禁足地へと足を踏み入れた。
「空気が重いな」
周囲へと気を配りながら、竜一がポツリと呟き、フードを被った修平が首を傾げた。
「そうか?あ、今回は上着に念入りに遮断の呪してたんだった」
身を守るためとはいえ、外の異変すら一切感じなくさせるという、危機感があるのか無いのかわからない完全防備を誇らしげに示す修平。
今回の文字は会心の出来らしい。
いつでも退路を潜れるように、結界を念入りに固定していた春明が振り返り、2人の軽口に参加しようとしたところで、修平のパーカー、その文字がジュッと音を立てて焼き焦げた。
「ぁ……」
その場でかくりと膝をつき、うつ伏せに倒れかけた体を春明が慌てて駆け寄って抱き止める。
「竜!撤退だ!!」
そう、声をかけた途端、ソレは樹上から降ってきた。
能面のように無表情な女の顔、二対の腕のうち一対は折れた木の枝を両手で掴み、竜一の棍へとむやみやたらと叩きつけていた。
もう一対にはそれぞれ石を握り込み、同じく交互に叩きつけている。
下半身の途中からは長い蛇の尾となって、頭上の枝に巻き付けられていた。
ちょうどひらがなの『し』のような状態だ。
「竜!」
「無理、手は?」
「合図したら全力で弾き飛ばせ」
短いやり取りで意思を通じ合い、竜一は目の前の怪異へと集中し、春明は小さな切り出しを手に取ると、修平の腕を掴み上げた。
「後で謝る」
そう、短く告げながら、す、と縦に刃を引いた。
傷口を上に向け、ある程度血液が盛り上がったところで大声出す。
「竜!今!!」
どごっ!!
同時に鈍い音と共に妖魔の身体が頭上の尾を軸に遠ざけられた。
だが、このままではブランコのように勢いをつけて戻ってくる。
春明は修平の腕を勢いよく地面へと振り払い、草と土の上に赤の一線が引かれた。
「畏み、畏み申す!垣延命!ごめん、緊急事態!10秒防いで!!」
修平へと加護を与えている、顔馴染みの神へのなりふり構わない懇願。
それぞれの腕を振り上げながら再び襲いくる怪異、その身体が線の上、何も無い宙空へと叩きつけられた。
がりがりと石を擦り付けて引かれた境界をこじ開けようとする妖魔。
修平を抱え上げた春明を先頭に、竜一が結界の穴をくぐる。
ぱん
最後に春明が手を打ち鳴らし、封印は閉じられ、妖魔の姿は見えなくなった。
「っはぁ……」
どちらのため息か、ようやく空気が弛み、再び引き締まる。
春明は背負っていたバックから白い布を取り出して修平の腕へと固く幾重にも巻き付ける。
意識を手放し、制御を失った状態での神気が満ちた血液が、急速に修平を蝕み始めていた。
折れた棍を支えにして息を整えていた竜一がスマホを取り出し、すぐ戻るからエンジンをかけて待っててくれとタクシー運転手へと電話を掛ける。
処置を済ませた春明は、布の上から片手で強く押さえつつ、もう片方の手で1番近くの心霊科のある病院を探し始めた。




