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植物博士モチオののんびり遺跡フィールドワーク ~歌姫カリーナと二人の木の精霊に囲まれて、伝説の果実を育てることになりました~  作者: ゆうぎり
第5話:観察小屋の朝ごはんと、消えた霧

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遠くまで見える森と、新しい予感

 嵐の後の静寂とはまた違う、あまりにも透き通った光が観察小屋を満たしていました。


 窓から差し込む陽光は、もはや霧というフィルターを通した柔らかな拡散光ではありません。

 一つひとつの光子が意志を持って直進してくるような、鋭く、それでいて清浄な輝きを放っています。


 モチオくんは、星瞬草セイシュンソウが吸い込み、そして自らの輝きへと変換して吐き出した「純化された空気」を、肺の奥深くまでゆっくりと吸い込みました。


 一ドロップの湿り気も混じっていないその空気は、驚くほど軽い。

 そしてどこか遠くの氷河を渡ってきた風のような、微かな甘みを帯びていました。


「……みんな」


 モチオくんは窓の外を見つめたまま言いました。


「ちょっとテーブルにお茶を持ってきてくれないか。この『新しくなった世界』を、一節いっせつの間だけでも、じっくりと、心の隅々まで眺めておきたいんだ」


 穏やかな声でした。

 けれど、その奥には確かな興奮が隠れていました。


 カリーナちゃんが淹れたての温かなハーブティーを運んできます。

 アイベリーちゃんは、この変容の主役である星瞬草の鉢を、まるで王冠でも扱うかのような手つきでテーブルの特等席へ戻しました。


 四人は肩を寄せ合い、窓の外へと一斉に視線を投げます。


「わあ……!」


 最初に声を上げたのはカリンベリーちゃんでした。


「あたし、あんなに遠くにお山があるなんて、一グレインも知らなかったよ!」


 窓ガラスに鼻を押し付けそうな勢いです。


 彼女の小さな瞳には、これまで霧の壁に阻まれて決して届かなかった、世界の「続き」が映っていました。


 霧が完全に晴れ渡った森の向こう。


 そこには、普段なら深い緑の深淵に隠されている景色が広がっていました。

 伝説や古地図の中にしか存在しないはずだった世界が、一リーグ、また数リーグと距離を伸ばしながら、恐ろしいほど「パキッ」とした輪郭で姿を現していたのです。


 北の空の果てには、万年雪を頂いた峻険な峰々。

 それはまるで、精巧な銀細工のように鋭く光を弾き返していました。


 そして森の切れ目、南西のなだらかな丘の上。


 そこには――


 風化した石造りの「古い塔」。


 その先端が、一ドロップの陽光を鏡のように反射して輝いていました。


 それは、モチオくんの調査範囲を遥かに超えた、未知の領域の入り口でした。


「……あの塔」


 カリーナちゃんが小さく息を漏らしました。


「南の遺跡のさらに先にある場所よ。公式の地図にも載っていないところ」


 彼女のティーカップから立つ湯気は、霧に溶けることなく、まっすぐ天井へと昇っていきます。


「霧が晴れただけで、世界がこんなに広くなるなんて」


 そしてモチオくんを見ました。


「モチオ。あなたが見つけたこの子は、ただの珍しい植物じゃないわ」


 星瞬草に目を向けます。


「わたしたちの瞳から、恐れや迷いという霧を払ってくれる“鍵”だったのよ」


 モチオくんは、日誌に書いた「星瞬草」という名を静かに見つめました。


 学術的に言えば。

 これは急激な環境改変かもしれません。

 生態系への予期せぬ介入とも言えるでしょう。


 本来なら、植物博士として警鐘を鳴らすべき出来事です。


 けれど――


 透明な世界を見つめる仲間たちの瞳には、一グレインの恐怖もありませんでした。


 そこにあるのは、ただ一つ。


 まだ見ぬ世界への、純粋なわくわく。


「……そうだね」


 モチオくんは小さくうなずきました。


「この子が、ぼくたちの世界の霧を晴らしてくれたのかもしれない」


 モチオくんはカボチャの甘みが溶け込んだスープを、最後の一ドロップまで飲み干しました。


 そして静かに立ち上がります。


 見えすぎることには、少しの戸惑いがあります。

 未知がはっきり姿を見せるということは、自分たちの無知を突きつけられることでもあるからです。


 けれど。


 この光り輝くパートナーと、

 それを「きれい」だと笑い合える仲間がいる。


 それだけで、一節ごとの歩みに迷いはありませんでした。


「さて」


 モチオくんは窓の外の古い塔を指先でなぞるように見つめました。


「霧が晴れて遠くまで見えるようになったのはいいけれど……」


 少し笑います。


「空気が少し乾燥しすぎているね」


 カリーナちゃんが首をかしげました。


「乾燥?」


「うん。ぼくたちの肌も、この子の葉っぱも、少し新しい環境に慣れるための潤いが必要だ」


 モチオくんは、茶目っ気たっぷりに言いました。


「午後は、ずっと使っていなかった『離れの湯屋』を片付けようか」


 カリンベリーちゃんの目が輝きます。


「お風呂!?」


「アイベリーちゃん、森の奥から香りの強い香草を摘んできてくれるかな」


 モチオくんは続けます。


「今夜はみんなで、ハーブの香りのお風呂だ」


 そして窓の外を見ました。


 遠くの塔。

 広がる森。


「新しいお散歩の続きを考えるのは、そのあとでも遅くない」


「わーい! お風呂!」


 カリンベリーちゃんが羽音を立てて跳ねました。


「あたしカリーナちゃんの頭の上で泳ぐ!」


「ちょっとカリンベリー! それはやめて!」


 カリーナちゃんの笑い声が小屋に響きます。


 その声は、以前の湿った空気の中よりもずっと遠くへ飛んでいきました。

 もしかしたら、あの古い塔まで届くのではないかと思えるほどに。


 そのとき。


 テーブルの上の星瞬草が――


「チカッ」


 と、力強く瞬きました。


 昼の光の中でも失われない、小さな黄金の輝き。


 それは、これから始まる安らぎと、

 その先に続く果てしない冒険を予感させる、穏やかな光でした。


 一グレインの曇りもない青空の下。


 モチオくんは、使い古された湯屋の鍵を手に取ります。


 そしてハーブの香りが待つ午後の光の中へ、

 確かな一歩を踏み出したのでした。

調査ログ:補足事項


【物理の理】


一ドロップ:遠くの塔の先端で反射し、モチオくんの瞳に飛び込んできた、針の先ほどの光の粒。


一グレイン:世界が広くなったと知った瞬間、モチオくんの心から消えていった「無知」という名の重み。


一リーグ:霧が晴れたことで、これまでの数倍の解像度で把握できるようになった森の広がり。


【刻の理】


一節いっせつ:霧のない景色を眺めながら、四人の心が「新しい冒険」に向かって静かにそろうまでの時間。

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