第71話
その声に弾かれるように、傀はふらつきながら後ろを振り返る。
そこには眉を顰めた桜月さんがいた。
美智也を引き摺ろうと シャツの肩部分を掴んでいる傀は 美冬を見て 少しぼうっとすると、すぐにその手を離した。
「あの、これはっ!」
変な脂汗が傀の毛穴という毛穴から溢れ出す。
此の状況をどうにか上手く説明しようとしても上手く言葉が出ない。
空回る頭と舌を一生懸命に動かす。
「…大丈夫ですよ、判ってますから。取り敢えず、私も手伝いますから濱田さんを保健室に運びましょう?」
動揺している傀とは打って変わって、美冬は眉を下げて微笑む。
「あ、ありがとうございます…」
美冬の掛け声に合わせて 二人で美智也の腕を肩に回し、半分引き摺るような形で保健室までの道のりを辿る。
校舎と体育館をつなぐ渡り廊下に隣接している入り口から入り、真っ直ぐ下駄箱がある方へ向かうと、中央階段の手前の保健室の扉を叩き、中へと入る。
ベッドに寝かせようとベッドの方を見ると、既に先客でベッドが埋まっていた。
どうやら、沼田君が既に寝かせていたらしい。
しかし、沼田君の姿が見えないことに首を傾げ、まずは桜月さんと長いソファーに美智也を寝かせる。
「先生、呼んできますね」
傀はただ漠然とその言葉に胸を撫で下ろし、首を縦に振ろうとした。
しかし その瞬間、動かしかけた首を止め、先生を呼びに行こうと駆け出した美冬を 傀は呼び止める。
「僕が行きますからっ!」
膝がガタガタと震え、立っているのもやっとだった傀にとって、その言葉は喉から手が出るほど欲しいものだった。
しかし、彼女の善意に全て頼ってしまおう とした自分を叱りつける。
そして、自らが行こうと一歩踏み出すと、膝から崩れ落ちる。
こんなに疲弊していたなんて。
「道永さんも怪我をしてますから、ゆっくり休んでいて下さいね」
鈴の音の様な声に、何処か胸が暖かくなる。
そして、白い手に支えられ、美智也の寝ているソファーの対にあるソファーに座らせて貰う。
瞬間、バンっと扉が勢いよく開かれた。
その唐突な激しい衝撃音に、二人は肩を揺らす。
「怪我は大丈夫?!」
扉を激しく叩きつけたのは、シワシワな白衣を身につけた女性だった。
フェイスラインに掛かる程度に切り揃えられた髪を乱し、息を切らした先生は、いつもなら優しげに垂れた目を心配そうに細めている。
「怪我をしたのは 道永くんと濱田くん、前田くんと佐川くんで合ってるっ?」
「はいっ」
「桜月さんっ、道永くんの手当お願いできる?」
「大丈夫ですよ」
混乱しているらしい保健室の先生である 中野先生は、息を整えると、まずは 未だ気絶している3人の怪我の状態を見ていく。
「沼田くんからある程度は聞いたけど…、この三人は意識を失っているだけみたいね 良かった…」
「けど、頭を打ったって言ってたから 救急車を…。けどそんなに強く打ったわけじゃなさそうだし…」
どうするべきかと、わたわたと忙しなく右往左往する中野先生を他所に、桜月さんが置いてある手当てセットを取ると、手際良く傀の手にいつの間にか出来た擦り傷に消毒液を付けた綿で拭う。
血が出ていたらしい傷口に絆創膏を貼り付けて貰うと、中野先生の方もどちらにするか決め終わったらしい。
「よしっ、3人が起きたら病院に行くか聞いてみることにしましょう!」
そう呟き、小さくガッツポーズをする先生に傀は驚くが、対して美冬は見慣れているのか大して驚いていなかった。
「あ、道永くん、何があったのか聞いてもいい?今、沼田くんも向こうでお話を聞いてると思うんだけどね…」
「だ、大丈夫です」
「そ、そんなに緊張しなくっても大丈夫よっ?」
「は、はいっ」
動揺した二人の会話が始まる。
傀が3人に呼び出されたこと、争いあったっ結果、二人がぶつかって気絶してしまったこと、薫がカッターに見立てたおもちゃで襲ってきたこと。
話しているうちに傀の担任の先生が来て、何度か同じことを話すことにもなったが、話終わる頃には5限目の授業の終わりが近づいてきており、途中で目を覚ました3人は学年主任の先生に別の部屋に連れて行かれた。
結果的に、傀は ”何かあったら先生を呼ぶ様に” と叱られはするものの、お咎めはなしということになった。
同じく話を聞かれ、一旦待っているようにと言われた桜月さんと二人、静まった保健室で待つ。
迷惑をかけてしまったと、俯きがちに 手を何度も握りなおす。
チラリと桜月さんを見れば、綺麗な姿勢で外を見ていた。
沈黙が続く。
傀は、暇を潰すように 首に掛けていたドッグタグにそっと触れる。
ティラの羽と同じ山吹色の石が日に当たってきらりと光った。
「あれ、そのドッグタグ、…さっきまでしてました?」
美冬がポツリと溢す。
「え、あ、はい…、ずっとしてましたよ?」
突然な美冬の言葉に傀は驚く。
何故なら あの日から毎日ずっとドッグタグを首に掛けていたからだ。
だから、さっきまでしていなかったということはないし、ずっと掛けたままだった。
しかし、このドッグタグのことを誰も触れないから 学校に付けてきても何も問題がないと思っていたが…。
「道永くーん、桜月さーん、一旦話聞き終えたから、あと6限目から授業受けて来て良いって!時間いっぱい掛かっちゃってごめんね!」
扉から中野先生が飛び出してきた。
「あの3人はまだ学年主任の先生達のお説教中だから、放課後までかかりそうだったよ!」
「特に前田くん、カッターのおもちゃの件でね〜」
「じゃあ、あとは各々授業受けに行ってきてね!」
中野先生は机に置いていた書類を取ると、二人に手を振り、再び扉の外へと飛び出していった。
残された二人は 顔を合わせる。
「取り敢えず…、授業、受けに行きましょうか」
「そう、ですね」




