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第三話【 嗅ぎ回るハエと、飼い犬の遠吠え 】

「今夜は

 取り寄せた高級ワインでも開けて、

 ゆっくり映画でも見るか」


スマホに、経理部から

「特別手当の承認が完了しました」

との通知が入る。


俺は小さく口角を上げ、

午後の穏やかな街並みを眺めた。

高級タワーマンションのベランダで、

バルセロナ産の赤ワインを傾ける。


眼下に広がる夜景を眺めながら、

俺は極上の時間を噛みしめていた。


手元には、経理から振り込まれた

「特別手当」の通知。


過労死した前世の俺に

見せてやりたいほどの豪奢な日常──

これぞまさにヒュッゲだ。


だが、静寂は

スマホのけたたましい振動によって

破られた。


画面には『吉沢美幸』の表示。


出ると同時に、

いつもの高圧的な女社長の仮面が

剥がれ落ちた、

焦りを含んだ声が聞こえてきた。


「秘書課長……っ!

 今すぐ会社に来なさい……!

 大変なことになったわ!」


「社長、

 私の終業時間は過ぎておりますが。……

 それとも『おしおき』のご所望ですか?」


「違うわよ!

 いえ、それもしたいけど今はダメ!

 週刊誌の記者が……

『吉沢不動産が手がけた

 リノベマンションの耐震偽装』について、

 決定的な証拠をつかんだって

 おどしてきたのよ!」


俺はワイングラスを軽く揺らし、

冷ややかに口角を上げた。


「ジャーナリストですか。

 まあ、あれだけ雑に鉄筋を抜いて

 誤魔化していれば、

 いつかは嗅ぎつけられますよ」


「他人事みたいに言わないでよ!

 明日の朝イチでスクープとして

 ネット記事に出すって警告されたの!

 株価は大暴落して、

 国交省の強制捜査が入るわ……!

 私、逮捕されちゃう……っ!

 お願いご主人様、助けて……!」


受話器の向こうで、

プライム上場企業のトップが

半泣きで必死にすがってくる。


俺を過労死させた元凶のくせに、

自分の危機になると実にみじめで、

可愛いらしいペットだ。


「落ち着きなさい、美幸」


俺は声を一オクターブ下げ、

ドSな

「ご主人様」のトーンに切り替えた。


「ひっ……! は、はい……っ!」


「お前が逮捕されたら、

 俺の快適な生活が終わるだろうが。

 無能な飼い犬が余計な迷惑をかけるな」


「ご、ごめんなさい……!

 でも、どうすれば……!

 記者は

 『施工業者からの内部告発メールを

 持っている』って言ってるのよ!?」


「その記者の名前と所属は?」


「『週刊新流』の東条っていう男よ。

 今、うちの応接室で

 ドヤ顔で示談金と独占インタビューを

 要求してきてるわ……!」


東条。

なるほど、

金とスクープに汚いことで有名な

ゴシップ記者か。


「美幸、応接室の

 防犯カメラの録音を入れておけ。

 そして、東条に

 『示談金として五千万円払うから、

 証拠のデータをその場で見せて

 削除してほしい』と持ちかけろ」


「えっ……? 渡すの?

 資金洗浄した裏金から出すとしても、

 五千万円なんて……」


「払うとは言っていない。

『提示させて録音・録画する』んだ。

 相手が提示してきた瞬間に、

 恐喝罪と不正アクセス罪のトラップを

 仕掛ける。

 施工業者からのデータなら、

 営業秘密の不正取得だ。

 それに……東条が持っている

 『証拠』とやらは、本物じゃない」


美幸が息をのむのが伝わった。


「えっ……本物じゃない……?」


「本物の耐震偽装データと

 内部告発の原文は、

 俺がお前の隠し金庫から抜き取って、

 俺だけの

 暗号化クラウドに保管してある。

 外部に漏れ出るはずがないんだよ。

 東条が持っているのは、

 うちを強すりつけるための

 ハーフブラフ(ハッタリ)だ」


前世で過労死するまで

この会社の泥臭い裏工作を

叩き込まれた俺だ。


この程度の小細工、

手のひらの上で転がすのに十分すぎる。


「あ……あぁ……っ!」


電話越しに、

美幸の荒い吐息が聞こえてきた。


「すごい……ご主人様……!

 私の危機を全部見抜いて、

 裏で完璧にコントロールしてる……っ!

 ああ、恐ろしい……好き……っ!」


「黙れ、牝犬。

 余計な興奮をしてないで、

 言われた通りに演技してこい。

 交渉が終わったら、

 東条を

 警察に突き落とす資料を作ってやる」


「はい……っ! はい、ご主人様!

 すぐに行ってきます……!」


電話が切れた。


俺は残りのワインを飲み干し、

ふっと息を吐く。


「やれやれ、せっかくの

 ヒュッゲな夜を邪魔しやがって」


俺の快適なスローライフと、

可愛いペット(女社長)を脅かす奴は、

誰であれ容赦なく叩き潰すまでだ。


©2026 [風風風]. All rights reserved.

翌朝──

『吉沢不動産』本社ビル、VIP応接室。


「いやあ、吉沢社長。英断ですよ。

 これで御社のプライム市場での立場も、

 明日の株価も守られたわけだ」


下品な笑みを浮かべ、

革張りのソファで深く脚を組むのは……。


明日、18:10 に、第4話を投稿します。

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