第四十五話 カイルの想い
戴冠を経て、王宮の空気も、少しずつ落ち着きを取り戻していた。
カイルは、伯爵家の跡取りとして、そして新王アレクシスの側近的な立場として、日々の職務に追われていた。表向きは、いつも通りの、現実主義者らしい淡々とした態度を崩さなかった。
だが、一人になった時、その表情には、時折、複雑な陰が差すことがあった。
妹が、王の隣で、自分の意志で立っている。その姿を見るたび、カイルの胸には、喜びと共に、消えない何かが、静かに疼いた。
――お前を、庇いたかった。だが、動けなかった。
その後悔は、屋敷にいた頃から、ずっとカイルの中に、居座り続けていた。
「――お兄様」
声をかけられ、カイルは、我に返った。リリアーナが、静かにこちらを見つめていた。
「何を、考えていたの?」
「――何でもない」
カイルは、いつものように、はぐらかそうとした。だが、リリアーナの眼差しは、いつになく、真剣だった。
「お兄様は、まだ、あの時のことを、悔やんでいるの?」
その問いに、カイルは、しばらく答えられなかった。
リリアーナの《価値鑑定》が、直接、兄の心を暴いたわけではない。ただ、妹のまっすぐな眼差しの前で、これまで押し込めてきた言葉が、自然とこぼれ落ちていった。
「――ああ」
ようやく、カイルは、静かに認めた。
「お前を守れなかったことが、ずっと、俺の中に、残っている」
その声には、長年の後悔が、確かに滲んでいた。
「家を守る立場だからと、動かないことを選んだ。あの選択を、俺は、今でも、正しかったとは思っていない」
リリアーナは、黙って、兄の言葉に耳を傾けていた。
「――だが」
カイルは、少し、間を置いてから、続けた。
「今のお前を見ていると、それで、よかったのかもしれないとも、思う。あの時、俺が無理に動いていたら、今のお前には、なっていなかったかもしれない」
複雑な、しかし、確かに温かい感情が、その言葉には込められていた。
リリアーナは、静かに、兄の言葉を受け止めた。
「――お兄様が守ってくれなかったから、今の私がいる、というわけじゃないと思う」
リリアーナは、優しく、しかしはっきりと、そう言った。
「でも、お兄様が、ずっと、私のことを想っていてくれたことは、ちゃんと、伝わっていたよ」
その言葉に、カイルの目が、わずかに揺れた。
「――昔から、そうだった。お兄様だけは、私の《価値鑑定》を、役立たずだなんて、一度も言わなかった」
「――当たり前だろう」
カイルは、少し不器用に、そう答えた。
「お前の力の意味を、俺は、ちゃんと分かっていたつもりだった。ただ、それを、守るための行動には、繋げられなかった」
「それでも、十分よ」
リリアーナは、静かに微笑んだ。
「想っていてくれたことは、ちゃんと、私に届いていたから」
その言葉に、カイルの中の、長年の後悔が、完全に消えるわけではなかった。それでも、確かに、少しだけ、軽くなったように感じられた。
「――これから、俺は、どう関わっていけばいいと思う」
カイルが、ふと、そう漏らした。
「王家の外にいる立場として、お前たちを支えることも、できるはずだ」
「お兄様らしいわね」
リリアーナは、小さく笑った。
兄妹の間に、これまでとは違う、静かな絆が、確かに結び直されていた。
窓の外、王宮の庭には、穏やかな風が吹いていた。
次に動き出すのは、もう一人――長い間、仮面をつけ続けてきた少女の物語だった。




