第四十三話 戴冠
戴冠式の朝、アレクシスは、静かに身支度を整えていた。
かつて、王太子として当然のように受け入れていたはずの儀式だった。だが今、その重みは、以前とはまったく違うものとして、アレクシスの肩にのしかかっていた。
控えの間に、リリアーナが姿を見せた。
「――緊張してる?」
「少しだけな」
アレクシスは、正直に答えた。
「王太子として育てられた頃は、これほどの重みを、感じたことはなかった気がする」
「それは、きっと」
リリアーナが、静かに続けた。
「あなたが、この国に生きる人たちの顔を、ちゃんと知ってしまったからよ」
その言葉に、アレクシスは、小さく頷いた。
その後、カイルとセドリックも、それぞれ、短い言葉を残しに訪れた。多くを語る必要はなかった。ただ、それぞれの立場から、静かな激励が、アレクシスのもとに届けられた。
やがて、時が来た。
荘厳な大広間に、王国中から集められた重臣、貴族たちが、居並んでいた。
国王から、正式に王位が譲られる。長い儀式の言葉が、朗々と読み上げられていく。
その形式的な響きの中で、アレクシスの脳裏には、市井で過ごした日々の記憶が、静かに重なっていった。
荷運びの現場で流した汗。薪を割った手応え。「兄ちゃん」と呼ばれた、あの気安さ。名もない人々の、日々の暮らし。
それらすべてが、今、この重い冠を受け取る自分の、確かな土台になっていた。
「――誓いの言葉を」
その時が来た。アレクシスは、定められた宣誓の言葉に続けて、自分自身の言葉を、静かに付け加えた。
「俺は、王になるべきだから、この場に立っているわけではありません」
その一言に、大広間が、わずかにざわめいた。
「この国で生きる、一人ひとりの暮らしを守るために、王でありたいと思います。地位のためではなく、この目で見てきた人々のために」
その言葉には、これまでのどんな宣誓よりも、確かな重みがあった。
居並ぶ人々の中に、アレクシスは、大切な顔ぶれを見つけていた。
リリアーナ。カイル。セドリック。少し離れた場所に、セレナの姿もあった。マリアンヌと、セシリアも、それぞれの表情で、この瞬間を見守っていた。
直接この場に招くことは叶わなかったが、アレクシスの脳裏には、あの町で世話になった、薬屋の店主や、宿の女将の顔も、確かに浮かんでいた。
冠が、静かに、アレクシスの頭上に置かれた。
その重みを、アレクシスは、しっかりと受け止めた。
もう、逃げるべき重さではなかった。自分自身の意志で、選び取った重さだった。
戴冠の儀は、静かに、しかし確かに、幕を閉じた。
新しい王として、アレクシスは、これから歩む道への、静かな期待と共に、その第一歩を踏み出そうとしていた。
けれど、リリアーナ自身も、まだ知らなかった。
《価値鑑定》という力が、本当は何を見ているのかを。
その答えを知るのは、もう少し先のことだった。




