第三十八話 王妃セシリアの重さ
アレクシスは、実母、王妃セシリアのもとを訪れていた。
これまでの、国王やマリアンヌとの対話とは、また違う緊張が、そこにはあった。実の親子であるからこそ、踏み込みにくい領域があった。
「――事件のことで、伺いたいことがあります」
アレクシスが切り出すと、セシリアは、静かに姿勢を正した。
「何でも、お聞きなさい」
その声は、王妃としての、揺るぎない模範的な響きを保っていた。だが、アレクシスは、その奥に、何かが隠れていることを感じ取っていた。
「――母上は、当時、何か、異変に気づいていましたか」
その問いに、セシリアの表情が、わずかに強張った。
「……何を、根拠に、そのようなことを」
「これまでの調査で、色々なことが見えてきました。母上が、何もご存知なかったとは、思えません」
アレクシスの声は、静かだったが、揺るがなかった。
セシリアは、しばらく沈黙していた。「完璧な王妃」という、長年身につけてきた仮面が、その沈黙の中で、少しずつ、剥がれ始めていた。
「――気づいて、いました」
ようやく、震える声で、そう認めた。
「王宮の空気が、少しずつ、不穏になっていくのを。あなたの周囲で、何かがおかしいということも」
「では、なぜ」
「――怖かったのよ」
セシリアの声が、初めて、本音の色を帯びた。
「あなたが、弱さを見せることを、私が、許せなかったのかもしれない」
その一言に、アレクシスは、息を呑んだ。
「完璧な王太子であるあなたを、私は、ずっと誇りに思っていた。だからこそ、あなたが困っている、あなたが揺らいでいる――そんな姿を、認めたくなかった。認めれば、私自身が積み上げてきたものまで、崩れる気がして」
セシリアは、そこで、深く息をついた。
「だから、異変に気づいていながら、見て見ぬふりをしてしまった。あるいは、対処を誤った。今にして思えば、そう言わざるを得ないわ」
アレクシスは、しばらく、何も言えなかった。
セシリアは、さらに続けた。
「私は、王妃として、責任感を持って、あなたを育てたつもりだった。でも、それは、いつしか、私自身の理想を、あなたに重ねていただけだったのかもしれない」
その言葉には、深い後悔が滲んでいた。
「マリアンヌ様とは、違う形だったかもしれない。でも、私もまた、あなた自身ではなく、『あるべき王太子の姿』を、見ていたのかもしれないわ」
その告白に、アレクシスは、複雑な感情を抱いた。
責める気持ちは、不思議と、あまり湧いてこなかった。むしろ、自分自身の変化と、重なる部分があった。
「――俺も、市井に出るまでは、自分がどうしたいかより、どうあるべきかばかり、考えていました」
アレクシスは、静かに言った。
「母上だけを、責めるつもりはありません」
その言葉に、セシリアの目から、静かに涙がこぼれた。
「――ごめんなさい」
その謝罪は、これまでの、どの言葉よりも、率直なものだった。
完全な和解には、まだ、程遠かったかもしれない。それでも、母子の間に、初めて、飾りのない言葉が交わされた実感が、確かに残っていた。
アレクシスは、静かに部屋を辞した。
これまでに集めた証言も、マリアンヌの告白も、レオンハルトの言葉も、セシリアの記憶も。
それぞれは、確かに一つの事件を指し示している。
だが、それらは、まだ一本の線には繋がっていなかった。




