第三十五話 セドリックの記憶
「――事件当時のことを、お前の口から、改めて聞かせてほしい」
アレクシスは、静かにそう切り出した。
二人きりの部屋だった。あの庭園でのやり取りから、少しずつ築かれてきた対話の糸口。だが、事件そのものに正面から触れるのは、これが初めてだった。
セドリックは、しばらく答えられずにいた。
「――正直に、申し上げます。俺が、何を知っていて、何を知らなかったのか。今でも、よく分からないのです」
その言葉は、言い訳でも、はぐらかしでもなかった。むしろ、セドリック自身、これまで一度も、きちんと向き合ってこなかった記憶なのだと、その戸惑った声が物語っていた。
「――思い出せる範囲でいい」
アレクシスは、急かさずに、静かに促した。
セドリックは、目を伏せ、少しずつ、記憶を辿り始めた。
「事件が起きる少し前、母上から、何度か言われたことがあります。『機会があれば、しっかり見せなさい』と」
「――見せる、とは」
「その時は、深く考えませんでした。ただ、努力を怠るなという、激励の言葉だと思っていました」
セドリックは、そこで、一度言葉を止めた。
「事件当日のことも、思い出そうとすると……妙に、曖昧なのです」
「曖昧、とは」
「自分がどこにいて、何をしていたか。断片的には覚えています。ですが、肝心なところになると、記憶が、まるで霧がかかったように、はっきりしない」
その言い方に、アレクシスは、わずかに眉をひそめた。
セドリックは、さらに記憶を辿り続けた。話しているうちに、彼の中で、ある疑念が、少しずつ形を持ち始めていった。
「俺は……もしかしたら」
声が、かすかに震えた。
「事件の中心にいたはずなのに、実際には、多くのことを、知らされていなかったのではないか。そんな気が、してきました」
その言葉は、これまでセドリックが、直視することを避けてきた可能性だった。
「俺は、ただ、流れに乗せられていただけだったのかもしれません」
その一言を口にした瞬間、セドリックの表情に、これまでにない何かが浮かんだ。恐れとも、安堵ともつかない、複雑な色だった。
アレクシスは、それを、静かに受け止めていた。
責めるつもりも、慰めるつもりもなかった。ただ、弟が今、初めて向き合おうとしている事実を、そのまま受け止めることだけを、心がけた。
「――お前も、被害者の一人だったのかもしれないな」
断定はしなかった。まだ、そう言い切るには、材料が足りない。だが、その可能性を、はっきりと言葉にすることには、意味があった。
セドリックは、しばらく黙っていた。
これまで、自分は「兄から立場を奪った者」なのか、それとも「何かに巻き込まれただけの者」なのか、その狭間で、ずっと揺れ続けていた。
だが今、初めて、「自分もまた、何かに巻き込まれていた」という位置に、立てたような気がした。
それは、単純な安堵ではなかった。だが、確かに、これまでとは違う何かだった。
「――母上は」
セドリックが、ぽつりと呟いた。
「母上は、当時、何をご存知だったのでしょうか」
その問いに、アレクシスは、しばらく答えられなかった。
母マリアンヌ。その名前が、事件の輪郭の中に、もう一段、深く関わっているのかもしれない。
まだ、全貌は見えない。だが、次に向き合うべき相手が、誰であるかは、はっきりとしていた。




