第三十三話 再調査、始動
謁見の間での発表から数日後、アレクシスは正式に、廃太子事件の再調査に着手していた。
「記録の閲覧許可は、下りた。だが、簡単には進まないだろうな」
カイルが、山積みにされた書類を前に、そう言った。
実務の段取りは、すべてカイルが取り仕切っていた。記録庫への立ち入り、当時の関係者への非公式な聴取。政治の駆け引きに慣れた彼の存在が、こういう場面で頼りになった。
だが、実際に記録を読み進めていくうちに、アレクシスは、ある種の違和感を覚え始めていた。
当時の公式記録は、驚くほど整理されていた。事件の経緯、処分の理由、いずれも体裁の整った、簡潔な説明で締めくくられている。
だが、アレクシス自身の記憶と照らし合わせると、いくつかの部分が、不自然なほど単純化されているように感じられた。
「――ここ、妙だな」
ある一文を指差し、アレクシスは呟いた。
「あの日、俺が倒れた経緯について、この記録では『政争による突発的な事故』としか書かれていない。だが、あれほどの騒動が、こんな一言で片付くはずがない」
カイルも、その記述を覗き込んだ。
「――誰かが、都合よく処理した形跡があるな」
その一言に、二人は、しばらく黙り込んだ。
「性急に犯人捜しをするのは、危険だ」
カイルが、静かに釘を刺した。
「今のお前の立場は、まだ盤石じゃない。下手に誰かを名指しすれば、王宮内の対立を、さらに煽ることになりかねない」
「――分かっている」
アレクシスは、静かに頷いた。
「これは、裁くための調査じゃない。ただ、知るための調査だ」
その言葉を、自分自身に言い聞かせるように、アレクシスは繰り返した。
その様子を、隣で聞いていたリリアーナは、ふと、目を細めた。
いつもの《価値鑑定》とは、何かが違っていた。
これまでなら、その人が持つ技術や知識、物の価値などが、感覚として浮かんでくるだけだった。だが今、迷いながらも決意を固めていくアレクシスを見ていると、それとは違う何かが、かすかに伝わってきた。
――この人は、何を大切にして、この道を選ぼうとしているのか。
そう思った瞬間、ふわりと、これまで感じたことのない感覚が、指先に灯った。
リリアーナは、戸惑いながら瞬きをした。
自分でも、うまく説明がつかなかった。だが、《価値鑑定》が示すものは、地位や技術、物の価値だけではないのかもしれない。その人が、何を大切にしているのか。何を守ろうとしているのか。そこにまで、触れられる可能性がある。
それは、これまで一度も意識したことのない、《価値鑑定》の、新しい側面だった。
その夜、リリアーナが、思いがけない申し出をした。
「――《価値鑑定》を、この調査に使えないかしら」
「お前の力を?」
「地位や罪状を、見極める力じゃない。でも、その人が何を大切にしていたか、何を守ろうとしていたか――そういう本質なら、見えるかもしれない」
自分でも、まだ確信は持てていなかった。だが、先ほど感じたあの手応えが、確かに背中を押していた。
リリアーナの言葉には、確かな手応えがあった。証言の裏にある人の心情を読み解くことは、彼女の力が最も活きる領域かもしれなかった。
アレクシスは、その申し出に、感謝の思いを抱いた。だが同時に、わずかな躊躇いも覚えた。
「――お前を、これ以上、危険な政治の渦に、深く巻き込みたくはない」
「それは、私が決めることよ」
リリアーナの声には、迷いがなかった。
「私は、私の力で、あなたを支えたい」
その言葉に、アレクシスは、それ以上何も言えなかった。
数日後、二人は、事件当時、末端で働いていた女官の一人に、非公式に話を聞く機会を得た。
女官の証言は、断片的で、確信の持てないものだった。
「――あの日、いつもとは違う人の出入りが、あったような気がします。ただ、はっきりとは、覚えていなくて」
それだけの、曖昧な証言だった。だが、アレクシスとリリアーナは、その一言を、注意深く胸に刻んだ。
一つ一つは、小さな違和感に過ぎない。だが、それが積み重なれば、いつか、何かが見えてくるかもしれない。
地道な調査の、最初の一歩だった。
その先に、何が待っているのか――まだ、誰にも分からなかった。




