第二十八話 セドリックの逡巡
自室に戻ったセドリックは、長椅子に腰を下ろしたまま、しばらく動けずにいた。
「あなた様ご自身の立場を、案じているだけです」
レオンハルトの声が、頭の中で何度も繰り返される。
あの言葉の裏に、打算があることは、セドリックにも分かっていた。侯爵が、本当にセドリック個人を案じているわけではない。あの家にとって都合のいい駒として、自分を見ているに過ぎないのだろう。
それでも、完全には拒絶できなかった。
打算だと分かっていても、あの言葉の中にある「あなたの立場」という響きが、今のセドリックには、ひどく心地よく感じられてしまう。誰かに、自分の立場を、自分の不安を、正面から見てもらえたような気がしたからだった。
――それが、打算からの言葉だとしても。
その事実に、セドリックは、自分自身に対する小さな失望を覚えた。
ふと、母の顔が浮かんだ。
「あなたなら、きっと認められるはずよ」
あの言葉も、間違いなく愛情から出たものだった。母を疑いたくはない。だが、その愛情は、いつも「王になること」を前提にしている。ありのままの自分を、ただ見てほしいと願うことすら、母に対しては、どこか罪悪感を伴った。
兄には、本音を話せない。
母には、愛情ゆえに、本音を話せない。
侯爵には、打算だと分かっていて、話す気にはなれない。
誰にも、本当のところを、話せずにいた。
セドリックは、静かに目を閉じた。
――兄でも、自分でもない、誰かになりたい。
その願いは、まだ、誰にも打ち明けたことがなかった。言葉にしてしまえば、何か大切なものが壊れてしまう気がして、ずっと胸の奥に、そっと仕舞い込んだままだった。
誰か一人でいい。損得抜きで、ただ「セドリック」という一人の人間として、話を聞いてくれる人がいたら。
そんなことを、漠然と願っている自分に、セドリックは気づいていた。だが、そんな人間が、この王宮のどこにいるというのか。想像すらつかなかった。
夕暮れの光が、部屋の中を橙色に染めていく。
セドリックは、長椅子に深く沈み込んだまま、その光をぼんやりと眺めていた。孤独は、静かに、しかし確かに、胸の内側に居座り続けていた。
その夜、一人の従者が、静かに部屋の扉を叩いた。
「セドリック様。アレクシス殿下より、お言伝てが」
セドリックの心が、わずかに揺れた。
「――何と」
「近いうちに、改めて、お話ししたいことがある、と」
その言葉に、セドリックは、しばらく答えられなかった。
拒絶したい気持ちと、どこかで期待している自分とが、同時に胸の中にあった。
兄が、また向き合おうとしている。
それが、救いになるのか、それとも、新たな重荷になるのか。セドリックには、まだ、分からなかった。




