第二十二話 最初の名乗り
王都の城門が、目の前に迫っていた。
石造りの門をくぐる人の列は長く、荷馬車や旅人が絶えず行き交っている。見慣れた光景のはずだった。だが、こうして護衛もなく、その列の一人として並ぶのは、アレクシスにとって初めての経験だった。
「――名前と、用向きを」
門番の声は、機械的だった。カイルが先に進み出る。
「ヴァルシュタイン伯爵家の者だ。急ぎの用向きがある」
家名を告げると、門番の態度がわずかに変わった。だが、それも一瞬のことだった。
「連れの二人は?」
その問いに、門番の視線が、アレクシスとリリアーナへ向く。
ごまかす道は、いくつかあったはずだった。適当な身分を騙る。裏道を使う。カイルの伝手で、検問そのものを迂回することもできたかもしれない。
だが、アレクシスは、その道を選ばなかった。
一歩、前に出る。
「――俺の名は、アレクシス・フォン・ヴァレンティア」
その名を知らない者は、この王都には一人もいなかった。
その一言に、門番の動きが止まった。
「かつて、王太子であった者だ。今日、自らの意志で、王都へ戻った」
声は、静かだった。だが、迷いのない、はっきりとした響きだった。
市井で「アレク」と呼ばれてきた自分と、生まれ持ったこの名前とを、初めて、同じ口で、同じ場所で引き受ける瞬間だった。
門番は、しばらく言葉を失っていた。それから、弾かれたように動いた。
「――れ、廃太子殿下!?」
その声が、周囲にも届いたのだろう。列に並んでいた人々が、次々とざわめき始めた。
「本物か? 本当に、廃太子様が――」
「護衛もつけずに、自分から名乗り出るなんて……」
困惑と驚きの声が、瞬く間に城門周辺に広がっていく。
衛兵たちが、慌ただしく駆け寄ってきた。何人かは剣の柄に手をかけたが、明確な敵意というよりは、混乱と警戒が入り混じった動きだった。
「動くな! ――いや、その、失礼、しかし」
現場の判断だけでは、どう対応すべきか決めかねているようだった。無理もない。廃太子が、護衛もなく、自らの足で戻ってくるなど、誰も想定していなかった事態だった。
アレクシスは、逃げも隠れもせず、その場に堂々と立ち続けた。
王宮にいた頃であれば、こうした場面で気負いを見せることが、王太子としての威厳だと思っていた。だが今、アレクシスの中にあったのは、気負いとは違う、もっと静かな落ち着きだった。市井での日々が、いつの間にか、その芯を作っていた。
「――王宮に、使いを走らせろ。国王陛下に、報告を」
衛兵の一人が、そう指示を出す。慌ただしく、一人の兵が城内へと駆けていった。
「殿下は……いえ、あなたは、ここでお待ちいただくことに」
「構わない」
短く答え、アレクシスはその場に留まった。
隣には、リリアーナとカイルが立っていた。
「――大丈夫?」
小声で尋ねるリリアーナに、アレクシスは小さく頷いた。
「ああ」
その一言だけで、十分だった。一人で背負っているわけではない。その実感が、これまで感じたことのない種類の強さを、アレクシスに与えていた。
王宮からの返答を待つ間、城門周辺には、緊張した静けさが満ちていた。
もう、引き返すことはできない。
その事実を、アレクシスは静かに受け止めていた。




