第二十一話 道中
夜明け前の街道を、三人は無言のまま歩き出した。
振り返れば、まだ町の明かりが小さく見えている。もう戻れない、という感覚と、これでいいのだという確信とが、アレクシスの中で静かに同居していた。
「王都までは、歩きと乗合馬車を乗り継いで、五日といったところだ」
カイルが、先頭に立って歩きながら言った。
「検問のある町は避ける。多少遠回りにはなるが、身元を問われずに済むルートを選ぶ」
その差配は、驚くほど手際がよかった。宿の選び方、身なりの整え方、荷物の持ち方一つに至るまで、無駄がない。伯爵家の嫡男として、政治の駆け引きに揉まれてきた経験が、こういう場面で活きているのだと、アレクシスは実感した。
「――随分と、慣れているな」
「家を継ぐ立場ってのは、綺麗事だけじゃ務まらない。裏の道の歩き方も、多少は心得てる」
カイルは、素っ気なくそう答えた。だが、その言葉には、伯爵家の人間として動くこと自体が、既にある種の危険を伴っているという自覚も滲んでいた。侯爵家が、リリアーナの兄の動向にも目を向け始めているとしたら、この旅そのものが、監視の対象になっていてもおかしくない。
二日目の夜、街道沿いの林を抜けようとしたとき、アレクシスはふと足を止めた。
「――どうかした?」
「……いや」
答えながらも、視線は背後の茂みに向いていた。何かが動いた、というほどはっきりした確証はない。だが、この数日、時折感じる「見られている」ような感覚が、また強くなっていた。
カイルも、同じ違和感を覚えていたらしい。無言のまま、周囲に鋭い目を配っている。
「先回りされているかもしれん。用心するに越したことはないな」
その一言に、三人の足取りは、自然と速まった。
旅の中で、リリアーナも変わりつつあった。
道中、体調を崩しかけたカイルに、迷わず薬草を調合して渡す。旅の途中で出会った、どこか様子のおかしい行商人に対しては、《価値鑑定》をさりげなく使い、警戒すべき相手かどうかを見極める。
かつて、誰にも頼られることのなかった力が、今は当然のように、三人の旅を支えていた。
「――お前、随分と頼りになるな」
カイルが、驚いたように言った。
「屋敷にいた頃は、そんな器用な真似、見せたことなかっただろう」
「見せる機会が、なかっただけよ」
リリアーナは、少し得意げに、そう返した。
その夜、野営の焚き火を囲みながら、三人は今後について話し合った。
「王都に着いたら、まず何が起こる」
アレクシスの問いに、カイルは淡々と答えた。
「門で、身元を問われる。今のお前の格好では、まず間違いなく足止めされるだろうな。そこで、どう名乗るかが最初の関門になる」
アレクシスは、しばらく火を見つめていた。
「――正体を隠したまま、忍び込むつもりはない。門で、はっきりと名乗る」
その声には、迷いがなかった。
「王になる、と決めたのなら、最初の一歩から、逃げるわけにはいかない」
カイルは、その言葉を、しばらく黙って受け止めていた。それから、小さく頷いた。
「――なら、俺も腹を括るとしよう」
焚き火の向こうで、リリアーナが静かにアレクシスを見つめていた。その眼差しに、不安と、それを上回る信頼が滲んでいた。
四日目の昼過ぎ、街道の先に、王都の城壁が、遠く霞んで見え始めた。
これまでの市井の暮らしとは、明らかに違う世界が、そこに待っている。
アレクシスは、その輪郭を見つめながら、静かに息を整えた。
もう、後戻りの道はない。
だが、不思議と、恐怖はなかった。
あの町で、自分が何者であるかを、初めて知ったからだ。
これから選ぶ名前は、誰かに与えられるものではない。
自分自身で、選び取るものなのだから。




