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【完結】悪役令嬢の役立たずスキルで、婚約破棄された王子様を拾いました  作者: ましろゆきな
第二部:名前で生きる季節 

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第十六話 違和感

 その朝、いつもと同じ道を歩きながら、アレクシスはふと足を止めた。


 何がおかしいのか、はっきりとは言えなかった。ただ、通りの向こう、露店の陰に立つ男の視線が、少しだけ長く自分に留まっていたような気がした。


 振り返ったときには、もう誰もいなかった。


「――どうかした?」


 隣を歩いていたリリアーナが、不思議そうに尋ねる。


「……いや。何でもない」


 そう答えながらも、アレクシスの中で、小さな警戒の芯が再び灯っていた。


 王太子として培われた感覚は、平穏な日々の中でも、完全には消えていなかった。具体的な証拠は、何一つない。それでも、「見られている」という感触は、これまでの人生で幾度となく味わってきたものだった。


 気のせいだと思いたい。だが、この感覚を無視してはいけないことも、経験として知っていた。


 その日一日、荷運びの合間にも、アレクシスは何度か周囲に目を配った。はっきりとした尾行の影は見えない。だが、いつもとは違う、微かな空気の淀みのようなものが、確かにあった。


 夕方、宿に戻ってから、アレクシスは迷った末に、リリアーナに切り出した。


「――最近、誰かに見られている気がする」


 リリアーナを不安にさせたくない、という気持ちと、隠しておくべきではない、という気持ちが、胸の中でせめぎ合っていた。結局、正直に、しかし努めて静かな声で伝えることにした。


 リリアーナは、一瞬息を呑んだ。それから、記憶をたどるように視線を落とした。


「……そういえば」


「何か、あったのか」


「先週、店に来たお客さんの中に、妙に町のことを詳しく聞いてくる旅人がいたの。薬屋の場所とか、私たちがいつからここにいるのかとか」


 その時は、ただの世間話だと思っていた。だが、今こうして思い返すと、確かに引っかかる。


「気のせいかもしれないけど」


「いや」


 アレクシスは、静かに首を振った。


「その手の違和感は、大抵、気のせいでは終わらない」


 二人は、その夜、いつもより注意深く町を見渡した。だが、これといった確証は得られなかった。ただ、これまでと違う何かが、町の端々に漂い始めていることだけは、二人とも肌で感じ取っていた。


「――この生活、終わるのかな」


 リリアーナが、ぽつりと呟いた。声に、隠しきれない不安が滲んでいた。


「兄ちゃんとか、リリアーナさんとか。ここでの呼び名も、居場所も、全部」


 アレクシスは、すぐには答えられなかった。


「大丈夫だ」


 結局、それだけを口にした。根拠のある言葉ではなかった。それでも、今は、それしか言えなかった。


 リリアーナは、小さく頷いた。完全に安心したわけではない。それでも、隣にアレクシスがいることが、わずかな支えになっているようだった。


 その夜、アレクシスは一人、狭い部屋の窓辺に立ち、暗い通りを見つめていた。


 口では「大丈夫だ」と言った。だが、内心では、もう分かっていた。


 失うものなど、もう何もないと思っていた。


 王太子の座を追われたあの日、自分にはもう、何一つ残っていないのだと感じていた。


 だが、違った。


 今のアレクシスには、この町があった。荷運びの仕事があり、「兄ちゃん」と呼んでくれる人たちがいた。そして――隣には、リリアーナがいる。


 守りたいものができたからこそ、この違和感は、これまで感じたどんな脅威よりも、恐ろしかった。

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