第十三話 滲み出るもの
その日、市場の一角で、商人二人が言い争っていた。
「話が違う! この量で、この値段のはずだろう!」
「そっちこそ、納期を勝手に変えたのはお前だ! だから量を減らしたんだろうが!」
双方一歩も譲らず、周囲の人だかりも、遠巻きに見守るばかりだった。誰も、間に入ろうとはしなかった。
荷運びの手を止めて、アレクシスはしばらくその様子を眺めていた。
二人の言い分を聞くうちに、契約時の取り決めと、その後の変更の食い違いが、次第に見えてきた。どちらか一方が、完全に悪いわけではない。ただ、互いの認識が、途中ですれ違ったまま、放置されていただけだった。
気づけば、アレクシスは二人の間に立っていた。
「――少し、いいか」
突然の声に、二人が振り返る。
「最初の契約では、納期は今月の末だったはずだ。その後、あんたが」
アレクシスは、一人目の商人を見た。
「納期を早めるよう求めた。その代わりとして、もう一人は量を減らして対応した。ここまでは、双方の合意があったはずだ」
「あ、ああ……そうだが」
「問題は、値段の見直しをしなかったことだ。量が減った分の代金は、当然、調整されるべきだった。だが、どちらもそこには触れていない」
淡々と、事実だけを整理していく。声を荒げることも、どちらかに肩入れすることもなかった。
「量に応じた代金で、納期はそのまま。これなら、双方の言い分が両立するはずだ」
二人の商人は、しばらく黙っていた。それから、互いに顔を見合わせ、ばつが悪そうに頷いた。
「……まあ、それなら、こっちも文句はない」
「悪かったな、こっちも早合点した」
言い争いは、あっけなく収まった。
「兄ちゃん、そんなことまで分かるのか」
周囲から、驚きと感心の声が上がる。アレクシスは、少し戸惑いながら答えた。
「……大したことじゃない。ただ、話を整理しただけだ」
本人にとっては、特別なことをしたつもりはなかった。対立する意見を聞き分け、双方が納得できる着地点を見つける。それは、王太子として、幼い頃から日常的に叩き込まれてきた技術だった。
肩書きは失った。だが、その技術は、体の奥に、確かに残っている。
一部始終を、少し離れた場所からリリアーナが見ていた。
鮮やかというほどではない。ただ、静かで、揺るぎのない調整だった。声を荒げず、誰かを断罪することもなく、事実だけを丁寧に並べていく。
――王子だから、じゃない。
リリアーナの中で、何かが小さく像を結び始めていた。あの日、森で倒れていたアレクシスに《価値鑑定》を使ったとき、視界に浮かんだ言葉を思い出す。
この人は、まだ自分の価値を知らない。
あれは、地位でも能力でもなかった。今、目の前で見ているものこそが、その意味に近いのかもしれない。まだ、確信には至らない。それでも、輪郭だけは、少しずつはっきりとしてきていた。
その夜、アレクシスは一人、狭い部屋の隅で今日のことを振り返っていた。
王太子として学んできたことのすべてが、無駄だったわけではなかった。ただ、それを「地位を守るため」に使うのと、「目の前の誰かのため」に使うのとでは、まるで手触りが違った。
「王になるべきだから、じゃなく」
小さく、独り言のように呟く。
「これも、俺にできることの一つ、か」
まだ、答えの全部が見えたわけではない。それでも、以前よりわずかに、地に足のついた場所に立っている感覚があった。
翌日、市場の隅で、誰かがこんな立ち話をしているのが聞こえた。
「あの荷運びの兄ちゃん、なんか只者じゃないらしいぞ」
「へえ、どこの出だろうな」
その声は、アレクシスの耳には届かなかった。
だが、噂は、既に小さく町の中を巡り始めていた。




