第十二話 初めて、助ける側になる
その日、薬屋の店先に、いつもの子供の姿がなかった。
「あの子、今日は熱を出して寝込んでるみたいだよ」
常連客の一人が、そう教えてくれた。リリアーナの胸が、小さく騒いだ。
「悪いんだが」
薬屋の店主が、奥から顔を出した。
「今日は仕入れで手が離せない。リリアーナ、代わりに様子を見てきてもらえないか」
「――はい」
迷わず頷いた自分に、リリアーナは少しだけ驚いた。頼られることに、こんなにも自然に応えられる自分がいるとは、思っていなかった。
子供の家に着くと、母親が困り顔で出迎えた。
「熱がなかなか下がらなくて……。あの子、うちの人が仕事で家を空けてるから、看病もままならなくて」
リリアーナは、子供の額に触れ、喉の様子を確かめた。単なる風邪の熱にしては、少し長引いている。だが、命に関わるほどのものではない。
持ってきた薬草の中から、熱冷ましと喉に効くものを選び出し、丁寧な手つきで調合していく。屋敷にいた頃、誰にも見せる機会のなかった知識だった。父も兄も、その力を「役に立たない」と切り捨てていた。
だが今、この小さな部屋では、その一つ一つの判断が、目の前の誰かの安心に直結していた。
「これを、一日三回。あとは、体を温かくして、よく眠らせてあげてください」
「本当に、助かったよ。ありがとう」
母親の言葉に、身分も肩書きも関係なかった。ただ、まっすぐな感謝だけが、そこにあった。
その頃、アレクシスは、子供の家の裏手で、別のことに気づいていた。
積まれているはずの薪が、底を突きかけている。父親が家を空けているという話から察するに、薪割りの手が回っていないのだろう。
誰に頼まれたわけでもなかった。だが、荷運びの仕事で覚えた段取りの良さで、アレクシスは黙って斧を手に取った。
剣を握るのとは違う、単純で、地道な作業だった。それでも、積み上がっていく薪の山を見ながら、アレクシスは奇妙な満足感を覚えていた。
王子として、これほど単純な作業に手を出すことなど、これまで一度もなかった。誰かのために、目に見える形で、直接、何かを成し遂げる。国を治めるという抽象的な使命とは違う、確かな手触りが、そこにはあった。
薪割りを終えて戻ったアレクシスを、母親は何度も頭を下げて見送った。
「兄ちゃんまで、こんなに……本当に、ありがとう」
その夜、狭い部屋で夕食を取りながら、二人は今日のことを話し合った。
「今日、頼られて動いたの、初めてだった気がする」
リリアーナが、ぽつりと言った。
「屋敷にいた頃は、頼まれることなんて、なかったから」
「今日のあの人たちは、お前に何を返せるかなんて、考えていなかっただろう」
「――うん」
リリアーナは、小さく頷いた。
「必要とされることと、見返りを期待されずに動くことは、違うのね。今日、初めて分かった気がする」
その言葉に、アレクシスも静かに頷いた。
「俺も、同じだ」
国を思う。民を守る。それは、これまでずっと、自分の使命として掲げてきた言葉だった。だが、それはどこか、遠くにある抽象的なものだった。
今日、薪を積み上げながら感じたのは、もっと近くて、もっと単純なものだった。目の前の誰かのために、直接、手を動かす。その手応えは、王太子として学んできたどんな理念よりも、確かなものに思えた。
「王子だから、じゃなくて」
アレクシスは、独り言のように呟いた。
「アレクだから、役に立てたんだな」
リリアーナは、その言葉に静かに微笑んだ。
窓の外では、月明かりが、静かに町を照らしていた。
二人の中で、「価値」という言葉の意味が、少しずつ、確かに変わり始めていた。




