第十話 働くということ
「あんたたち、まだ仕事決まってないんだろう」
翌朝、宿の女将がそう声をかけてきた。
「うちの常連に、荷運びの人手を探してる商人がいるよ。あんた、体は動くんだろう?」
女将の視線が、アレクシスへと向く。
「――ああ、動く」
「そっちの子は……薬草に詳しいんだったね。表の薬屋、猫の手も借りたいって、いつもぼやいてるよ」
こうして、その日のうちに、アレクシスは商人の荷運びを、リリアーナは薬屋の手伝いを、それぞれ得ることになった。
荷運びの現場は、アレクシスにとって初めての経験だらけだった。
力仕事自体は、剣術で鍛えた体力で問題なくこなせた。だが、荷の積み方、運ぶ順番、荷馬車への声のかけ方――そうした段取りの一つ一つに、アレクシスはことごとく戸惑った。
「そこじゃない、こっちだ! 邪魔だ、どけ!」
現場の商人から、遠慮のない怒声が飛ぶ。これまで、誰もアレクシスにそんな口をきいたことはなかった。王太子として、周囲は常に言葉を選び、態度を選んで接してきた。
怒鳴られた瞬間、屈辱を感じるかと思った。だが、実際に込み上げてきたのは、意外にも別の感情だった。
――誰も、俺の顔色を窺っていない。
叱られても、機嫌を取られない。取り繕われない。ただ、目の前の仕事のやり方だけを、まっすぐに指摘される。それが、これまで感じたことのない種類の、奇妙な心地よさを伴っていた。
一方、薬屋でのリリアーナは、水を得た魚のようだった。
「これは傷薬に? それとも解熱に使うの?」
店主の問いに、リリアーナはよどみなく答えていく。薬草の見分け方も、調合の加減も、屋敷にいた頃から独学で身につけてきた知識だった。誰にも披露する機会のなかったそれが、ここでは当たり前のように役に立った。
「あんた、詳しいね。どこで覚えたんだい」
何気ない一言だった。だが、リリアーナの胸の奥に、じんわりと温かいものが広がった。
「役立たず」ではなく、「詳しいね」。
その違いを噛みしめながら、リリアーナは一日、薬草の束と向き合い続けた。
夕方、宿の前で落ち合った二人は、それぞれの一日を報告し合った。
「今日は、何度も怒鳴られた」
アレクシスが、疲れの滲む声で言った。王宮であれば決して口にしなかったであろう弱音が、自然とこぼれ落ちる。
「段取りが分からなくて、足を引っ張った」
「お疲れさま」
リリアーナは、それ以上のことは言わなかった。慰めもせず、励ましもせず、ただその一言だけを返した。何でもないやり取りのはずなのに、アレクシスにはそれが、思いのほか染みた。
その夜、アレクシスは、初めて自分の手で稼いだわずかな銅貨を、手のひらの上で見つめていた。
誰かに与えられたものではない。自分が働いた分だけ、対価として返ってきたもの。それだけの、単純な理屈だった。だが、その重みを実感として知ったのは、生まれて初めてのことだった。
「明日も、同じ仕事か」
「みたいね」
「……悪くない」
ぽつりとこぼれたその一言に、アレクシスは自分でも驚いた。
同じ毎日が続くことに、これほどの安心を覚えたことは、これまでの人生になかった。狭い部屋の片隅で、疲れた体を休めながら、アレクシスは静かにそう思っていた。




