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契りと主人

「あら……お姫様どこか行っちゃいましたよ」

 髪に隠れた左半分の顔に触れて、女は、残念そうに朱の瞳を歪める。

「やはり追撃をかけた方がよかったではないですか?御大将?」

 そう言って女は振り返る。

 ナギは、刀を抜き、正眼の構えを取って虚空と向き合っていた。

 顔から、首から、鎧の隙間から汗が流れ、熱気となって舞い上がる。

「ダメだ」

 ナギは、女の方を向かず、虚空を睨みつける。

「今向かっても目的は果たせん。練度があまりにも足りない」

 ナギの右頬にすうっと赤い筋が浮かび、みみず腫れが出来る。

「この瞬間も数百の異なる意図の攻撃を受けた。命が幾つあっても足りない」

「集中力を抑えください。偶像(イメージ)で命を落としますよ」

 女は、呆れたように言う。

「私には貴方様が必要なのです。お忘れなきよう」

 ナギは、鼻を鳴らして無視し、虚空に向かう。

 顔に、首に、剥き出しの手にみみず腫れが幾つも浮かび、肩や腹が吹き飛びそうな程に揺れ、膝が何度も崩れ落ちそうになる。

 それでもナギは正眼の構えを解かず、虚空の先にいる敵と向かい合う。

「心配せずともアレは殺る」

 そう言ってナギは、自分の世界に埋没する。

 女は、じっとナギを睨みつけ、再び髪に隠れた左目の部分を押さえる。

「ああっ早くお会いしとうございます。御君」


 ツキは、アケを抱き抱えたまま迷うことなく森の中を突き進む。

「あの……おツキ様……」

 全身を鎖に縛られたアケはツキの腕の中で顔を真っ赤にして身悶える。

「なんだ?」

 ツキは、アケの顔を見ずにひたすらに真っ直ぐ歩いていく。

 その異様な光景に森を住処とする猫の額の住民達が木の影から葉の間から、草の中から二人を覗いていた。

「お願いです……もう下ろしてください……」

 アケは、声を震わせながら懇願する。

 男性に……しかも鎖に身体を戒められて抱き抱えられるなんてどんな羞恥行為(プレイ)だと言うのだろう。

 しかも……。

(お顔が近いぃぃぃ)

 ツキの野生味ある美しい顔が目の前に迫り、どこに視線を置いたら良いか分からない。

 アケは、右に左にと蛇の目を動かしなるべくツキの顔を見ないようにする。

「ダメだ」

 ツキは、切り裂くようにアケの懇願を拒む。

「離したらまた、自害しようとするであろう?」

 自害……。

 その言葉に心臓がバクンッと音を立てる。

 ツキは、黄金の双眸で冷たくアケを見下ろす。

「も……もう致しませんので……」

「信用ならぬ」

「短刀もございませんし……」

「其方ならそこらの毒のある草やきのこを見極めて口にすることも出来るであろう?」

 アケの心臓がどきりっと音を立てる。

「其方は、其方が思っているより聡明で優秀だ。我を出し抜くことなど造作もない。だから確証がない限り解放することは出来ん」

「ど……どうすれば信じてくださいますか?」

 アケは、震える目でツキを見る。

 ツキは、足を止める。

 黄金の双眸がアケを見下ろす。

 その美しい輝きにアケは目を反らすことが出来ない。

「我と繋がれ」

「へっ?」

 アケは、自分でも分かるくらい間抜けた声を上げる。

「あの……繋がれ……とは?」

「言葉通りだ」

 ツキは、真顔で言う。

「我と契りを交わせ」

 その瞬間、アケの脳裏が爆発した。

 朽ちた屋敷の本棚の更に奥に仕舞われていた幼いナギにはとても見せれなかった本達の記憶が一気に溢れ出る。

「え……そそそっそれって……」

 アケは、顔全体から湯気が吹き出しそうなくらい真っ赤になりながら声を絞り出す。

 繋がる……契り……交わる……。

(この美しい方と……私が!?)

 アケは、そっと地面に下ろされる。

 黒い鎖がアケの身体からスルスルと離れ、消えていく。

 しかし、鎖から解放されても嬉しくない。

 むしろ……。

 アケは、恐る恐る顔を上げる。

 ツキは、じっと黄金の双眸でアケを見る。

(私……本当に……?)

 ツキがゆっくりと膝を崩し、アケに身を寄せる。

 アケの心臓が激しく高鳴る。

 ツキの左手がアケの左手に触れる。

(でも……この方になら……)

 ツキは、愛でるようにアケの指を優しく触る。

 人差し指……中指……薬指……。

(最後に……)

 アケの小指を優しく撫で、自らの小指と絡め合う。

(全てを……)

「契りを……交わすぞ」

 ツキは、厳かに言う。

「……はいっ」

 アケは、ぎゅっと蛇の目を瞑る。

月曜霊扉(セカンド・ゲート)

 黄金の光がアケの顔を照らす。

 アケは、思わず蛇の目を開くと絡めあった二人の小指を覆うように黄金の円が展開し、複雑な紋様を描く。

解放(オープン)

 細い鎖が円から飛び出し、アケの小指とツキの小指に巻き付く。

「えっ?」

 二人の小指が黒い鎖で結ばれる。

 黄金の円が消える。

 二人に結ばれた黒い鎖も消える。

「これで我らの契りは結ばれた」

 ツキは、絡めたら小指を離し、立ち上がる。

「え?」

 アケは、蛇の目を大きく見開く。

「もし、其方が再び命を断とうとすれば我は直ぐに察知出来る」

「えっ……えっ?」

「命を断とうとした瞬間、鎖の契りにより再び雁字搦めにされて動けなくなる。何をしようと無駄だ。これで命を断とうだなんて……なんだその顔は?」

 ツキは、眉を深く顰めてアケを見る。

「何をそんなに憤っておる?殺意を込めた目で我を見る?」

「……なんでもございません」

 アケは、静かに立ち上がり、ぷいっと顔を反らす。

 ツキは、何が何だか分からず怪訝な顔をする。

「では……契りも交わした事だし、行くとしよう」

 ツキは、そう言って歩みを進めようとする。

 アケは、顔を顰めてツキを見る。

「行くって……どちらに?」

 アケが訊く今度はツキが顔を顰める。

「何を言っている?」

 そう言って細い指をアケの腰帯にぶら下がった巾着を指差す。

「それを探しに行く。そう約束したはずだ」

 蛇の目が大きく見開く。

「でも……」

 今更……そんなことをしても……。

「其方は、食堂の店主であろう?」

 黄金の双眸がアケを見据える。

「客が食べたいもの要望に答える。それが店主の務めだ。違うか?」

 店主の……務め……。

 アケの脳裏に黒い豆を無機質に齧る金色の黒狼の姿が浮かぶ。

 また、これを飲みたいと呟いた悲しげな黄金の双眸が過ぎる。

 アケは、腰帯に下げた巾着を握る。

「……わかりました」

 アケは、小さく、そして強く言葉を吐く。

「同行……よろしくお願いします」

 アケの蛇の目が強く光る。

「承った」

 ツキは、小さく口元を綻ばせる。

「その前に……」

 ツキは、長衣の中に手を入れると真っ赤に熟した林檎を取り出し、アケに渡す。

 アケは、蛇の目を丸くして林檎を見る。

「これは……」

「腹が減ってるであろう?」

 ツキは、黄金の双眸を細めて言う。

「すまぬが其方のように料理を作るような芸当は持ち合わせてないのでな。これで許してくれ」

「ありがとう……ございます」

 アケは、小さな声で呟き林檎を小さく齧る。

「……酸っぱい」

「すまぬな」

 ツキは、眉根を小さく顰める。

「男が女に林檎を渡す意味……ご存知ですか?」

 アケは、表情を変えずに訊く。

「食を与える以上の意味があるのか?」

 ツキは、怪訝な顔をして言う。

「雄が食物を獲るのは当然のことだ」

「……そうですね」

 アケは、そう呟くともう一度林檎を齧る。

「……酸っぱい」

「行こう」

 そう言ってツキは、背を向けて歩き出す。

 アケは、その背中のじっと見つめる。

 小指の鎖。

 真っ赤な林檎。

 まさかこんな望まぬ運(ジンクス)がたくさん訪れるなんて……。

「本当……私の人生ってなんなのかしら」

 まあいいか……。

 どうせこれが最後なんだし……。

 アケは、心の中で呟きながら林檎を齧る。

 ほんの少しだけ……甘酸っぱかった。


 あれから一時間歩き、森を抜けると小さな小川が姿を現した。

 誰も足を踏み入れたことがないであろう未開拓の森であったがツキが先に歩いて、草を踏み、蜘蛛を捌け、葉を避けてくれるので歩きづらいと言うことは一度もなかった。

 むしろそれだけの労働をしていると言うのに服を汚すことも疲れた様子もないツキに驚いた。

「ふうっ」

 アケは、小川に近寄り、膝を落とす両手を入れて水を掬い、口に付ける。

 ……美味しい。

 冷たい水が身体の中に染み渡っていく。

「疲れたであろう?」

 ツキもアケの隣に座り、右手で水を掬い、口に運ぶ。

「案内役が来るまでしばし休もう」

「案内役……ですか?」

 アケは、蛇の目を大きく見開く。

「ああっしばし待て」

 そう言ってツキは、もう一口水を掬う。

 アケもそれに倣うように水を掬って飲む。

「ここに来るのは初めてか?」

「はいっ森に入るのも抜けるのもここ(猫の額)に初めて来た時に主人の背中に乗った時だけです」

「そうか」

「主人は、森のどこかでお休みになられているのでしょうか?」

「さあな。雌と遊びに出かけてるやもしれぬぞ」

 黄金の黒狼が女性と遊びに出かける?

 アケは、スキップしながらウキウキと女性と一緒に駆けていく黒狼の姿を思い浮かべ、思わず吹き出しそうに言う。

「貴方様も……そんな冗談言われるんですね」

「冗談?」

 ツキは、露骨に顔を顰める。

「別に冗談というわけではなかったのだが……」

 そう口にしたツキの顔は少し拗ねているように見え、それがまた可愛らしく見えた。

「一つ訪ねても良いか?」

「……なんでしょうか?」

 アケは、弱々しく返す。

「何故……主人と呼ぶ?」

「えっ?」

 アケは、肩を震わせる。

「白蛇の国の目上に対する呼称について詳しい訳ではない」

 ツキは、形の良い顎を摩る。

「それでも主人と言う言い方には違和感がある」

「私は、主人に、猫の額に捧げ物として送られました。つまり所有物。奴隷と変わりません。主人と呼ぶのは当然では?」

「それなら姑獲鳥(ハーピー )達にも主人と言わなければ可笑しいであろう?我にもな。なのにお其方は黒狼にしか主人とは言わん。何故だ?」

 ツキは、じっとアケを見る。

 アケは、蛇の目を小さく震わせてツキを見て、そして視線を落として小川には映る自分を見る。

「私……ここに来る時に白無垢を着させられたんです」

「白無垢?」

 ツキは、黄金の双眸を上に向ける。

「女性が男性の家に嫁ぐ時に着る純白のお着物のことです」

「嫁ぐ?」

「猫の額の言葉で言うなら(つがい)と言う意味です」

 アケの言葉にツキは得心が言ったらしく黄金の双眸を大きく見開いてアケを見る。

「父には……彼らには私に白無垢を着せたことにそんな大きな意味はないと思うんです。主人に美味しそうに見せようとか、少しでも豪華に見せて目を惹かせようとかそんな程度のことだったと思います。でも……」

 アケは、濡れた両手を重ねて握りしめる。

「私は……絶望しました」

 そう言ってアケは下唇を噛み締める。

「何故?」

「殿方には分からないと思います。女にとって白無垢を着ると言うことがどれだけ重いことなのか……」

 アケは、攻め入るようにツキを見る。

「私は……自分が誰かと結婚できるだなんて思ってません。人並みの幸せを得られるなんて考えたことがありません。でも……憧れていたんです。花嫁というものに……結婚というものに」

 朽ちた屋敷に置かれた子育てや料理、そして物語を描いた本。その何処かには仲睦まじく寄り添う男と女の描写があり、白無垢を着た美しい女性の姿が描かれていた。

「いつか……いつか私も着たい。素敵な殿方と一緒になりたい……ウグイスみたいですよね」

 そう言ってアケはくすりっと笑い……また悲しい顔に戻る。

「彼女ならはいつか叶う。素敵な殿方と出会ってずぅと可愛いらしい笑顔を浮かべてる。でも、私にはそんな未来は訪れない。でも描いてしまったんです。貴方の言う……淡い夢を」

 白無垢を着て出会うことのない殿方と一緒に並んで幸せな道を歩む自分を。

「だから……絶望しました。幸せの象徴であるはずの白無垢が死装束となってしまったことに」

 金色の黒狼を殺す。

 自分の命を断つ。

 ただ、その為だけに着させられた死装束(白無垢)

 それなら……。

「金色の黒狼に嫁ごう」

 アケは、ぽそりっと言う。

 黄金の双眸が震える。

「彼に身も心も捧げよう。尽くしに尽くそう。そして共に心中しよう。夫婦なら何にも可笑しいことじゃない。だから私は彼を呼ぶことにしたんです主人()と。そうすれば……私は幸せになれるって……」

 アケは、ふうっと息を吐く。

「滑稽でしょ?」

 アケは、悲しげに口元を綻ばせる。

「痛い女と笑ってください」

 ツキは、何も言わず黄金の双眸をアケに向ける。

 アケは腰帯に下げた巾着に触れる。

「私がこれに拘るのも主人()が望むものを叶えてあげたい……そんな押し付けからです」

「押し付け?」

「だって、そうでしょ?契りを交わした訳でもないのに勝手に夫認定して、一方的に尽くしてるんですよ?望まれてもないのに。愛してる訳でも愛されてる訳でもないのに。そんなの自分勝手な押し付け以外のなにものでも……」

 アケは、言葉の続きを話すことが出来なかった。

 ツキがアケを抱きしめたのだ。

 温かな温もりと花のような香りがアケを包み込む。

「え……あの……えっ?」

 アケは、混乱する。

 何が起きたのか分からず思考が停止する。

「すまなかった」

「えっ?」

「自分勝手だったのは我だ」

 ツキは、ぎゅっとアケを抱きしめる。

「其方の心の奥底を読み取ろうとせず、分かったふりをして馴染めだの、夢を持てなどと軽はずみなことをいった。本当にすまない……」

「いえ、おツキ様が謝ることなんか……」

 本当に何が起きてるの?

 なんでこんなことになってるの?

 心臓がうるさすぎて何も考えられない。

「名前……」

「えっ?」

「其方の本当の名前……やはり教えてくれないか?」

 ツキは、黄金の双眸をアケに向ける。

 そこには真摯な感情が溢れていた。

 アケは、蛇の目を震わせる。

 目を反らすことなんて少しも出来ない。

 アケの唇が震えながら開く。

「私は……」

「キュイイイッ!」

「キュイキュイ!」

「キューイ!」

 明るく、可愛らしい声が小川には響き渡る。

 その声にツキは、露骨に顔を顰める。

「空気の読めぬ奴らめ」

 ツキは、アケから離れると黄金の双眸を声の方に向ける。

 そこにいたのは小麦色の長毛に覆われたどんぐりのような体型の三体の生物……小鬼(ゴブリン)兄妹だった。

「貴方たち!」

 アケは、驚きのあまり両手で口を覆う。

 小鬼(ゴブリン)三兄妹はツキと……アケの姿を見つけると嬉しそうに踊り出す。

「彼らが案内役だ」

 ツキは、音も立てずに立ち上がる。

「黒い豆の原料である赤い実は小鬼(ゴブリン)達の主食でな。彼らしか場所を知らん」

 アケは、蛇の目を大きく見開き小鬼(ゴブリン)達を見る。

「案内を頼むぞ」

 ツキが言うと小鬼(ゴブリン)達は、ピンっと背筋を伸ばして右腕を左肩に当てて頭を下げる。

 どこかで見たことのある仕草にアケは小首を傾げる。

「何をしている?」

 ツキは、黄金の双眸でアケを見下ろす。

「行くぞ」

 ツキは、左手を差し出す。

 小指同士を見えない漆黒の鎖で結んだ左手を。

「……はいっ」

 アケは、そっと左手に背を添え、立ち上がる。

 小鬼(ゴブリン)三兄妹は、ニヤニヤしながら二人を見る。

「では、よろしく頼む」

「へっ?」

「キューイ!」

「キュイキュイ!」

「キュキューイ!」

 小鬼(ゴブリン)三兄妹は、大きく手を上げて返事をするように声を上げる、と当然アケの周りを囲む。そして見かけからは考えられない力で持ち上げてアケを担ぎ上げたのだ。

 まるで長兄が前に立ち、長女と次兄が後ろで並んで立ち、腕を椅子にしてアケを乗せる。

 まるで神輿のように。

「えっえっえっ?」

 アケは、戸惑い、小鬼(ゴブリン)三兄妹を見回す。

「キューイッ」

 長兄が声を上げ、その場で足踏みする。

 それに合わせて長女と次兄も足踏みする。

 そして……アケを乗せたまま一斉に走り出す。

「きゃあああああっ!」

 アケは、あまりの激しい揺れと速度に悲鳴を上げる。

 小鬼(ゴブリン)達は、お構いなく走り出す。

「振り落とされるなよ」

 ツキは、勢いよく走り去っていく四人の姿を見て口元を綻ばせる。

「少しは元気になったか」

 ツキは、ぼそっと呟き、自身も走って後を追いかけた。

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