朝焼けの悲劇
翌朝、アケはいつもよりも早く起きた。
ベッドから起きて窓を見ると月はまだ薄く空にあり、遠くの東の空は橙色に燃え上がっている。
あと、少しで日が登る。
アケは、寝巻きから茜色の着物に着替えて部屋を出ると浴室に向かう。
アケが暮らすようになって座敷童子が新たに設置してくれた場所だ。水どころかお湯まで出るようになっており、白蛇の国では出来なかった湯浴みをすることが出来るようになった。その時の衝撃と感動は今でも覚えている。まあ、ウグイスが"一緒にはーいろ!"と言って毎日入ってくるので寛いだことはないが……。
アケは、桶に水を入れて白い布に触れないように顔を洗い、歯を磨き、鏡を見て髪を整える。普段は自分の顔なんて見たくもないが、今日はどうしても気になってしまう。
せめて汚いと思われないように……と念入りに整える。
今日はやらなければいけないことが二つある。
一つはウグイス達の朝、昼、晩のご飯作り。
今日中には帰る予定だがそれでも一日不在になる。彼女らが飢え死にしないようたっぷり作らないと。
もう一つはツキへのお弁当。
いつも残り物しか食べない彼に今日作った物を食べてもらう。付き添ってくれるお礼でもあるがそれ以上に……。
(おツキ様……喜んでくれるかな?)
期待に胸を膨らませ、頬を赤くする。
彼のことを考えると身体と心がいつも熱くなる。昨日のことがあってから更に酷い。
熱い。
苦しい。
痛い。
嬉しい。
心地よい。
(私は、一体どうしちゃったんだろ?)
答えのない自問自答。
しかし、それよりも早く準備しないと。
もうすぐ日が昇ってしまう。
アケは、頭の中で献立を考える。
ご飯を炊く。
芋を使って味噌汁を作る。
オモチが獲ってきた岩魚を焼く。
一匹多めに焼いておにぎりの具にすればお弁当にも詰めれる。
瓜と茄子のお漬物も食べ頃だ。
卵焼きは甘めにしよう。たくさん作ってお弁当にも。
お昼は干し肉の甘辛丼。一品だけだけどお代わりをたくさん作れば文句もないはず。干し肉はお弁当にも使える。
そして夕飯は……。
そこまで考えてウグイス達に今日出かけることを言ってないことに気付く。
ツキに口止めされてたとは言え、舞い上がり過ぎて失念していた。いや、舞い上がってはいないんだけど、いつも通りなんだけど、とにかくまずい!アケがいないと気付けば心配どころか猫の額中を探しかねない。
(どうしよう……)
とりあえず置き手紙を残そうか?
いや、それじゃあ単なる家出だ。
何も言わずに行く?
元の答えに戻るだけ。
じゃあ、行かない?
絶対に嫌だ!
アケは、答えの出ない問答を頭の中で繰り返しながらとりあえずご飯を作ろうと現実逃避するように外に出ようとする、と。
「お嬢様」
背後から聞こえた声に心臓が飛び跳ねる。
恐る恐る振り返ると座敷童子が深妙な表情で立っていた。
(しまった……)
気まずさの申し訳なさが一気に襲ってくる。そして自分の迂闊さを心から呪った。
食堂の中なのだ。
こそこそ内緒でなんて出来るはずがないのだ。
「あ……あの座敷童子……」
アケは、悪戯を見つかった幼児のように声を裏返して弱々しく言う。
「あの……これはね……その……ね……」
アケは、必死に言い訳を考えるが何も思い浮かばない。
どうしよう……。
「出てはなりません」
座敷童子は、声を固く言う。
「いや……あの……座敷童子」
「出てはなりません」
家精は、見たこともない鋭い目でアケを見る。
「お出かけのこと……黙っててごめんなさい……でもちゃんと帰ってくるし……おツキ様もいるから……」
アケは、指をモジモジして言い訳する。
座敷童子の目が苛立ち、鋭さを増す。
怒られる、アケは肩を固く縮こませる。
「そこから離れて下さい!」
座敷童子が叫ぶと同時に窓が勢いよく閉まる。
「え?」
刹那。
窓の外が赤く染まり、轟音が食堂を揺らす。
窓ガラスが砕け飛散する。
天井が軋み、亀裂が走る。
壁が割れ、柱がひしゃげる。
アケは、何が起きたか分からず混乱し、反射的に耳を抑える。
「金曜霊扉」
床一面に白色の円が描かれ、複雑な文様が描かれる。
「解放」
座敷童子を中心に白色の光が血管のように走り、屋敷全体に広がっていく。
飛び散った窓ガラスが時を巻き戻すように塞がり、壁中の亀裂が消え、柱が姿勢正すように伸びていく。
それだけではない。
修復した美しい白い壁と温かみのある木製の天井と柱が無機質に冷たく輝く鉄へ変換する。アケからは見えないが外観も鉄色に変化し、無骨な要塞へと姿を変える。座敷童子の姿もメイド服から白い髪をポニーテールにし、銀色の清廉な鎧を纏った女戦士の姿になる。
「敵襲です」
座敷童子は、怒る目で重々しく告げる。
蛇の目が震える、
そして分厚くなった窓から見える景色を見て絶句する。
草原が焼けている。
美しい草花は炎の舌に飲まれ、黒く染まり、小川は形を変え、地面には醜い陥没が幾つも出来ている。
朝焼けに変化し始めた空から風を叩きつける音と腹の奥を震わせる雄叫びが聞こえる。
「飛竜?」
それは三十は裕に超える飛竜の群れ。
そして飛竜の背に乗るのは……。
アケは、息を飲む。
飛竜の背に乗るのは甲冑を纏った屈強男達……白蛇の国の武士であった。
"このジャノメが!"
老人の叫び声が脳裏を駆け巡る。
「王の座す地を穢すとは……」
座敷童子は、窓越しに武士と飛竜を睨みつけ、怒りに震える。
「万死に値する」
普段、優雅に笑う座敷童子からは信じられない憎々しく歪んだ表情……。
「ぷぎゃぁぁぁ!」
大気を震わせる雄叫びが食堂を、草原を劈く。
皮膚を焼くような熱が鋼鉄の壁を越えて伝わってくる。
「アズキ?」
アケは、窓の外を見て呆然と呟く。
アズキが食堂の前に立ち、黒い目に怒りを激らせ、武士と飛竜を睨みつける。
飛竜達は、アズキを取り囲むように空を遊泳する。
飛竜と武士達は先程まで岩のように眠っていた背中の燃える巨大な猪が何事もなかったかのように起き上がったことに驚くも空の上にいると言う優位性の為か嘲るようにアズキを見下ろしていた。
「ここの住人か?」
一匹の飛竜が空の上に静止し、浮上する。
その背に乗るのは青い甲冑を纏った武士。
浅黒い肌に端正な細面、甲冑越しにもヒョロイことが分かる身体付きは武士というよりも文官のようであった。
アケは、彼の顔に見覚えがあった。
アケを猫の額に連れてきた武士の一人だ。
確か青い甲冑は隊士長と呼ばれる位のもので階級社会でも公家や豪族の血を引いた一握りの者だけがなれる大将の次ぐ地位を持つ者。
「喋れるのか?言葉を理解できぬか?」
隊士長は、馬鹿にするように言い、アズキを見下す。
それに続くように足軽と呼ばれる緑の甲冑を纏った下級武士も嘲笑する。
アズキは、唸り声の一つ上げず、怒る目で武士達を見上げる。
「ジャノメ姫はその鉄の屋敷の中か?」
ぴくんっ。
アズキの体毛が一瞬震える。
隊士長は、にやっと嫌らしく笑う。
アズキは、ふうっと鼻息荒く武士達を睨みつける。
「アレは我が国の所有物だ。返してもらう」
所有物……。
返せ……。
身体が震える。
蛇の目から涙が一筋落ちる。
「身勝手な……」
座敷童子の唇が歪む。
「自分たちが捧げたものを今度は返せと?」
座敷童子の声は外に聞こえているようで隊士長の目が食堂に向く。
「その方が貴様らにとっても都合が良いはずだ。知ってるか?ソレがここに捧げられた理由……」
隊士長の顔が嘲りに歪む。
アケは、カタカタと身体を震わせる隊士長を見る。
お願い……言わないで……。
「お前らの王を殺すためだ」
アケの身体から力が抜け、すとんっと座り込む。
(バレちゃった……)
一番知られたくないことを……。
大好きなみんなに……。
「でも。もう止めることにしたんで。引き取っていきますよ。厄介物を」
隊士長は、哄笑して言う。
それだけでそれが嘘だと分かる。
(ジャノメ姫を使って黒狼を殺す。あのクソガキを出し抜いてやる)
ここまで露骨な態度を示すのも黒狼以外の住民など眼中にないことの表れだ。
奴らを皆殺しにしてアケを手に入れ、黒狼を殺し……。
(俺が大将になる!)
隊士長は、嫌らしく笑った。
アケは、震える蛇の目で座敷童子を見る。
座敷童子は、凍えるような目でアケを見下ろす。
心臓が千切れそうなくらい痛い。
目を逸らしたいけど出来ない。
「そう……」
座敷童子は、小さく、冷たく呟く。
アケは、ぎゅっと唇を噛み締める。
「だから……なに?」
座敷童子の冷たい目が隊士長を突き刺す。
アズキは、目を更に怒らせ、蹄で地面を蹴り上げる。
隊士長は、目を丸くする。
アケは、蛇の目を大きく見開く。
「座敷童子?」
「私は、三ヶ月間誰よりも間近でお嬢様を見てきました」
座敷童子は、優雅に微笑む。
「悩む姿も、悲しむ姿も、皆の為に頑張る姿も、嬉しそうにはにかむ姿も……」
蛇の目が大きく震える。
「上辺面野郎の埃みたいな言葉よりも私は私の見てきたお嬢様を信じます。ねっ」
そう言って可愛らしくウインクする。
それに同意するようにアズキも大きな声で泣く。
「座敷童子……アズキィ」
アケは、泣きそうな顔で、しかし嬉しそうに二人を見る。
隊士長の顔が苛立ちと怒りに歪む。
「化け物どもが……馴れ合いやがって……」
隊士長は、右手を上げる。
「殺れ」
足軽の一人が飛竜の首を蹴る。
飛竜は、大きな顎を開く。口蓋に赤い熱の塊が生まれ、放射させる。
熱線は、アズキの横を通り過ぎ、食堂の屋根にぶつかる。
爆音が鳴り響き,煙が巻き起こり、食堂全体を揺らす。が、鉄塊と化した食堂は傷一つつかない。
「見かけ通りの頑丈さだな。壊すのが面倒い」
隊士長は、右手をアズキに向ける。
「先にお前を殺すか」
隊士長は、残酷に笑う。
アズキの怒れる目が震える。
足軽達は、一斉に飛竜の首を蹴る。
飛竜達の顎が開き、熱が溜まる。
「残虐に殺し、アレが自ら命乞いに飛び出してくるように」
隊士長は、せせら笑う。
足軽達もニヤニヤと馬鹿にするようにアズキを見下す。
「アズキ!」
アケは、窓を開けようと手を伸ばすが、溶接でもされたようにびくともしない。
「座敷童子開けて!」
アケは、自分の身体を抱きしめる家精に懇願する。
「アズキが……アズキが……!」
しかし、座敷童子は、首を横にする。
そして安心させるように優しく微笑む。
「ご安心ください。お嬢様」
飛竜の熱が溜まる。
出てくる様子のないアケに隊士長にふうっと息を吐き、憐れむようにアズキを見下ろす。
「見捨てられたようだぞ。猪」
アズキは、唸り声上げず、武士達を見上げる。
「アレを恨んで死ね」
隊士長は、自分の飛竜の首を蹴る。
飛竜は口を開き、熱を溜める。
「悪く思うな。モタモタしてると奴が来てしまうのでな」
隊士長は、もう一度飛竜の首を蹴る。
熱が膨れ上がり、一斉に熱線が放射される。
「大将は……俺のものだ」
熱線がアズキの身体を包む。
草花が一瞬でも黒炭になり、地面が砕ける。
「アズキィィィィィ!」
アケの悲鳴が食堂の中を響き渡る。
刹那。
"火曜霊扉"
声のないアズキの声が静かに響く。
"解放"
熱が破裂する。
巻き起こった爆風に飛竜達は、浮上を保てず、空を散らばる。
食堂が激しく揺れ、土と石がぶつかる。
座敷童子は、アケを庇い、抱きしめる。
「大丈夫ですよ。お嬢様」
座敷童子は、優しくアケの髪を撫でる。
爆風が消える。
大地の抉れた中心にアズキが立っている。
燃え上がる背中に赤い複雑な紋様を描かれた円と雄々しい炎の翼を生やして。
アズキの変貌にアケは蛇の目を大きく見開く。
「カス如きの火遊びに火猪が遅れを取るはずがございませんから」
アズキは、雄叫びを上げる。
武士と飛竜は身体をびくつかせ、静止する。
アズキは、炎の翼を羽ばたかせ、空へと舞い上がる。
一瞬で飛竜達の中央を陣取ると激しく翼を動かし、身体を激しく回転される。
その姿はまるで炎の竜巻。
熱と炎。そして巻き上がる風に飛竜達の動きは完全に絡め取られる。
刹那。
竜巻が破裂する。
炎が武士とは飛竜を飲み込む。
武士の悲鳴と飛竜の叫びが重なる。
黒く焼け焦げた飛竜達が次々と地面に落下していく。
炎の竜巻が収まる。
アズキは、炎の翼を羽ばたかせ、空を遊海して、地面に降り立つ。
丸焦げになった武士も飛竜も生きていた。
息は絶え絶えで、甲冑グチャグチャに、鱗は消し炭となって全身を火傷に苛まれながらもそれでも生きていた。
「お優しいこと」
座敷童子は、眉を顰める。
「アズキ……」
アケは、両手をぎゅっと握りしめてアズキを見る。
炎の翼が消え、赤い円が消える。
アズキは、鉄塊と化した屋敷に、窓の向こうにいるアケに笑うように"ぷぎい"と鳴いた。
アケは、歓喜に蛇の目を震わせてアズキの名を呼ぼうとした。
刹那。
アズキの身体から血飛沫が舞う。
アケと座敷童子は、時が止まったように固まる。
強靭なアズキの体に裂傷が幾重も走り、血を吹き上がらせる。
「俺の配下が無礼した」
アズキの隣にいつの間にか男が立っていた。
「苦しめずに殺すのでそれで許して欲しい」
男は、赤い甲冑を纏い、雄々しく、血に濡れた太刀を右手に持っていた。
アズキは、口から血を吹き出しながら男を睨む。
金色の髪をした男を。
「えっ……」
男の金色の髪にアケの記憶が重なる。
姉様ぁ。
小さな男の子声がアケの耳に木霊する。
アズキは、身体を曲げ、背中の上に赤い円を展開する。
"火曜……"
血が吹き荒れる。
首筋から斬傷から飛び散った血が男の顔を濡らす。
「すまない」
男は、血塗れた目でアズキを見る。
「首を落としきれなかった。見事な体躯だ」
アズキの身体が崩れる。
「その強さ。誇りに思え」
男は、太刀についた血を振るい落とし、鞘に収めた。
アズキは、その場に横に倒れ、動かなくなった。
蛇の目から涙が溢れる。
「アズキィィィィィ!」
アケは、泣き叫ぶ。
その声が聞こえたように男は、屋敷に目を向ける。
男の顔に笑みが浮かぶ。
その顔に蛇の目の瞳孔が大きく開く。
「ナギ……」
アケは、呆然と呟く。
冷たく微笑む男の顔とアケの記憶の無邪気に微笑む可愛らしい顔が重なる。
男……ナギは、地獄の亡者の如く焼かれ、悶え苦しむ武士と飛竜に見向きもせず静かに食堂に向かって歩いていく。
「ナギ……」
アケは、分厚い窓に触れる。
「いけません。お嬢様」
座敷童子は、アケを窓から離そうとする。
その表情は先程までの余裕はない。
本能が告げる。
あの男は危険……だと、
ナギは、屋敷の前に立つ。
座敷童子は、アケをぎゅっと抱きしめる。
ナギは、静かに刀を抜く。
無駄のなく、ブレもない、美しい所作。
ナギは、刀を天を突くように振り上げ、切先を弓のように背部に下ろす。
線が走る。
ヒュンッと空気が悲鳴を上げる。
高く上げられていたはずの切先が地面に触れる寸前まで振り下ろされる。
刹那。
青いとんがり屋根の先が音を立てると同時に薄い線が下に向かって走る。屋根抜け、樋を抜け、窓を抜け、地面にまで届く。
「斬鉄」
落雷のような音と共に食堂が割れる。
鉄と化した表面に亀裂が走り、軸を失った地面が崩れ、冗談のように真っ二つに割れる。
アケは、信じられない思いで薄い朝焼けに血を流したように映る左右に分かれた食堂を見る。
「おじょ……さま」
掠れるような声が背後から聞こえる。
アケは、蛇の目を向ける。
脳面のように表情のない座敷童子が震える唇を動かす。
「お逃げ……ください……おじょ……さま」
座敷童子の体に線が浮き出る。
頭の先からアケの身体を抱きしめる身体の下まで縦に直線を引くように。
「王のところに……お早く」
ピシッ。
「お早く……おじょう……」
刹那。
座敷童子の身体が真っ二つに裂ける。
「……っ!」
アケは、声にならない悲鳴を上げる。
二つに分かれた座敷童子の身体が左右に崩れ、霧散する。
「座敷童子ィィィィィ!」
アケは、叫ぶ。
食堂が元の木造りに戻り、音を立てて崩れ落ちる。
「いやだ!いやだ!座敷童子!アズキィー」
ジャリッ。
背後から足音が聞こえる。
アケは、涙に濡れた蛇の目を向ける。
赤い甲冑を着た武士……ナギが立っていた。
「久しぶりだね。姉様」
そう言ってナギは優しく微笑んだ。
ナギは、アケの前で膝を落とすと、両腕を伸ばしてアケを優しく抱きしめた。
「遅くなってごめん……姉様」
ナギは、耳元でアケに囁くように言う。
その声、血の中に隠れた匂い、抱きしめる腕から伝わる熱。
どれも覚えてる。
知っている。
「ナギ……?」
アケは、消え入りそうな声で言う。
「ナギ……なの?」
「うんっ」
ナギは、頷くかわりにぎゅっとアケを抱きしめる。
「俺だよ。姉様」
ナギは、優しく言って、小さく笑う。
蛇の目が震える。
涙が再び流れる。
両手がナギの身体を抱きしめようと伸びて……止まる。
「……違う」
アケは、伸ばした両手でナギを突き飛ばす。
ナギは、目を丸くする。
アケは、涙に濡れた蛇の目でキッと睨みつける。
「貴方はナギじゃない!」
蛇の目が怒りに燃える。
「ナギが私の大切な友達を傷つけるわけない!」
アケの叫びにナギは驚いた顔をし……ぎゅっと悲しげに顔を歪める。
その顔が叱られて泣きそうになった時の記憶にある男の子の顔と重なる。
アケの胸がぎゅと締まる。
(まさか本当に……)
線が走る。
ナギの刀が目にも映らぬ速さで抜かれ、空を裂く。
パキンッ。
何が砕ける音と共に煌めく粉が地面に落ちる。
(氷?)
アケは、地面に落ちて溶けゆく透明な粒を見る。
「貴様……」
ナギの目が殺意を宿して何もない空間を睨みつける。
景色にヒビが入る。
いや、違う。
周りの風景を投影した透明なナニかにヒビが入った。
鏡のように透明な氷の膜だった。
氷の膜が砕ける。
波がかっった黒髪の着物を着崩した妖艶な美女が姿を現す。
「よく……お分かりで。御大将」
女は、喉をの転がすように笑う。
「気配は覚えた。二度と先は取られん」
「さすが"朱"のナギ」
女は、賞賛を紡いで妖艶に笑う。
"朱"?
"御大将"?
アケは、朱の甲冑を纏ったナギを見る。
「姉様に何をしようとした?」
「ちょっと面倒そうだったので固めようかと」
女は、人差し指を立てる。
指先が凍てつき、煌めく粒が旋風のように舞う。
「本番になったら溶かしますので。よろしいですか?」
「言い訳あるか」
ナギは、怒りの形相で女を睨む。
「二度と姉様に手を出すな。その瞬間、その首身体と永遠に袂を分つと思え」
「あらーそれは……」
女の目がアケを見る。
「残念」
朱の瞳がアケを映す。
凍てつくような怒れる瞳。
アケは、背筋が慄くのを感じながらも……。
(この人……どこかで……?)
恐怖に震えながらも蛇の目は女から目を離せなかった。
女もそれに気づいて口元を釣り上げる。
「あら……今の私を知ってるの?記憶力がいいのね」
「え?」
「まだ、小さかったのに……」
女は、髪に隠れた左目の部分に手を当てる。
「お祝い出来なくて残念でしたわね。お姫様」
女の言葉にアケの思考が止まる。
「貴方は……」
表情がサアッと青くなる。
「その節は失礼しました」
女は、戯けたように笑う。
「罪は償えました?ジャノメ姫?」
アケは、身体をガタガタ震わせながら女を見る。
「なんで……なんで邪教が……ナギと……」
アケは、後退りながは女を睨む。
「今度は……今度は何を企んでるの⁉︎」
「企むだなんて……」
心外と言わんばかりに女は肩を竦める。
「ただ、お招きしたいだけですよ。御君を。貴方の目を使って……ね」
そう言って涙袋をトントン叩く。
アケの顔が更に青ざめる。
「俺とこいつは仲間じゃない」
ナギは、じっと女を睨む。
「ただ利害関係の一致で協力しあってるだけさ」
「利害……関係?」
アケは、声を震わせる。
ナギは、小さく頷く。
「姉様を救う為」
「私……を?」
「うん……だから……ごめんね」
光が走る。
はらりっとアケの顔から何かが落ちる。
無意識に蛇の目が落ちた物を追う。
それは……アケの目のある部分を包んだ鱗柄の白い布であった。
「あらっ」
女は、口元に手を当てる。
「強引でステキ」
そう言って妖艶に微笑む。
白い布が無くなったアケの顔。
本来なら目のある部分。
しかし、そこに目はない。
ただ、ただ深い闇の穴がそこにあった。
「少し待っててね。姉様……」
ナギは、優しく微笑み、刀を構える。
「すぐ終わるから」
アケは、ぽっかりと開いた目の部分に触れる。
「あ……あっ」
アケの身体が震える。
「いや……いや……いや……っ」
ぽっかりと開いた目から白く長いものがにょきっと現れる。
それは幽鬼のような……この世ならざる人差し指……。
「御君」
女は、うっとりした声で言う。
「お会いしとうございました」
「いやぁぁぁぁぁっ!」
アケは、二つの穴を押さえる。
しかし、ぽっかりと開いたからは次々と指が現れる。
指は、アケの手を押しのけ、五本、十本、二十本と無限に増え、掌が現れ、手首が現れ、そして腕が現れる。
無限の腕が。
「いや、来ないで……やめて……やめて……!」
アケは、腕を押し戻そうと踠く。
無駄だった。
無数に現れた腕はアケの腕を押さえ、頭を固定し、身体を縛っていく。
ナギは、苦しみ、嘆き、踠くアケを唇を噛み締めてじっと見る。
腕は、一本、また一本と生え、伸び、絡み、編み、形を成していく。
それは巨大な樹木のようであり、巨大な人形に変わっていく。
「さあ、そのお美しい姿をお見せください」
女は、恋焦がれる乙女のようなアケを……無限の腕を見る。
「阿修羅様……」
無限の腕が絡み合いながらアケの身体を飲み込んでいく。
刹那。
「月曜霊扉」
アケの足元に巨大な黄金の円が現れ、複雑な紋様を描く。
「解放」
黄金の円から無数の漆黒の鎖が逆になった雨のように吐き出される。
ナギの顔に驚愕が浮かぶ。
女は、憎々しく顔を歪ませる。
漆黒の鎖は、それぞれが意思を持つ生物のように縦横無尽に動き、無限の腕に絡み巻きついていく。
「腕が高い」
心臓を握りつぶされるような怒りと威厳に満ちた声が響く。
「ひれ伏せ!」
ぐぎゃんっ!
漆黒の鎖が一気に蠢き、締め上げる。
無限の腕の肉が爆ぜ、青い血が飛び散らせる。
爆ぜた無限の腕からアケの解放される。
漆黒の鎖がアケを包み込むように受け止める。
鎖の表面から糸のように細い鎖が黒い穴の目に縫い上げていく。
女は、悲鳴を上げる。
ナギは、反射的に顔を向ける。
二つの月が浮かぶ。
吸い込まれるような滑らかな黒い体毛に覆われた巨軀、柱のような雄々しい四肢、氷柱のような白く鋭い牙、凛々しくも恐ろしい貌、そして月のように輝く黄金の双眸。
「金色の……黒狼……!」
黒狼は、鼻頭に皺を刻み、黄金の双眸に怒りを乗せて二人を睨む。
「貴様ぁぁ!」
女が怒りに顔を歪め叫ぶ。
「よくも御君を!」
女の左手に冷気が集う。
「死ねえ!」
冷気が塊となって放たれる。
刹那。
カラカランッ。
女の近くに黒い種が落ちる。
「木曜霊扉」
子どものような甲高いが声が響き、黒い種の回りに小さな円が現れ、複雑な紋様が描かれる。
「解放」
黒い種が芽吹き、育ち、樹木へと成長する。
樹木の中心が音を立てて開き、巨大な口となる。
女の顔が驚愕に歪む。
刹那。
硬いはずの幹が軟体動物のように柔らかく動き、ばくんっと女を食べた。
「!」
ナギは、刀を抜き、女を食べた樹木へと斬りかかる。
「水曜霊扉」
上空から女の声が聞こえる。
ナギは、空を仰ぐ。
緑翼の腕を大きく広げた少女……殺意を込めた目でナギを見下ろす。
ウグイスの胸元で水色の複雑な紋様の描かれた円が輝き、無数の水滴が彼女の周りに浮かぶ。
「解放!」
水滴が蛍のように漂いながら結合し、百を超える水の拳となる。
「死ね」
刹那。
百の水の拳が流星となって落下し、ナギを襲う。
ナギは、刀を垂直に構える。
水の拳がナギに激突する。
それはまるで滝壺のよう。
砕けた瓦礫を流し、地面を穿ち、地形を変える。
見えるのは水の壁、聞こえるのは水の落ちる轟音のみ。
水が全て落ちる。
地面に染み込みきれなかった水が溜まり、小さな泉と化す。
その中心にナギは立っていた。
その身体は水気でびしょ濡れになりながらも怪我どころか甲冑すら凹んでいない。
迫る水の拳は全て彼の剣撃で出来た壁によって塞がれ、弾かれ、砕かれた。
ナギは、変わらぬ姿勢で空を見る。
ウグイスは、いない。
視線を下に戻し、アケを見る。
いない。
金色の黒狼の方を見る。
いた。
金色の黒狼の顎の下でアケをぎゅっと抱き抱えて怒りの形相でナギと女を睨みつける。
ウグイスの横のずんぐりとした巨大な白兎……オモチも赤い目でじっと二人を見据える。
ナギは、刀を構える。
「いつまで遊んでる?出ろ」
女を飲み込んだ樹木が白く変色する。
樹木に中の水分が凍てつき、音を立てて砕け落ちる。
「残念」
衣服の殆どを溶かされ、豊満な身体を晒した女が大きくため息を吐く。
「もう少し蛇に飲まれる女の気持ちを味わいたかったのに……」
そう言って不満げに唇を尖らす。
「引くぞ」
ナギは、女を相手にせず、黒狼を睨みつける。
「アレは想像以上に分が悪い」
女は、金色の黒狼と、ウグイスに抱えられたアケを見て、朱の目を鋭く激らすも直ぐに冷徹に戻る。
「畏まりました。御大将」
女は、自分のお腹を殴る。
おえっと口の中から白い球を剥ぎ出し、舌の上で転がし、前歯で砕く。
氷の霧がナギと女の身体を飲み込む。
「姉様……」
ナギは、目をきゅっと細める。
氷の霧が消える。
二人の姿は……もうなかった。
「王……」
オモチは、黒狼を仰ぎ見る。
「深追いするな」
黒狼は、熱い吐息と共に威厳ある声で言う。
「あの人間は其方と言えど手に余るやもしれん」
オモチの鼻がヒクッと動かし、ずんぐりとした自分の手を見る。
黒狼は、ウグイスに目を向ける。
「其奴はどうだ?」
「気を失ってるだけ」
ウグイスは、泣きそうな顔でぎゅっと意識のないアケの顔を見る。血の気を失った蝋のような白い肌、ぽっかりと開いた暗い目の穴は漆黒の鎖で縫われ固く閉じられている。
「ごめん……ごめん……ジャノメ……」
ウグイスは、ぎゅっとアケを抱きしめる。
「遅くなって……ごめんね」
アケの頬にウグイスの涙がぽたりっぽたりっと落ちる。
黒狼は、顔を上げ、血溜まりに沈むアズキと、断ち割られ、瓦礫と化した食堂を見る。
「月曜霊扉」
黒狼の足元に黄金の円が展開し、複雑な紋様が描かれる。
「解放」
黄金の円なら無数の漆黒の鎖が飛び出し、アズキと食堂に向かう。
アズキの太刀傷に入り込み、傷口を素早く縫っていく。
食堂の壁を穿ち、左右を飛びかって長靴の紐のように交差すると、一気に引っ張って瓦礫を起こし左右を縫い合わせてくっつけ、食堂の形を無理やり作る。
日が昇る。
黄金の円が消える。
黒狼の身体から強い花の香りと共に白い煙が昇る。
「王」
「限界のようだ」
自らの身体から昇る煙を見て人ごとのように言う。
「後は託す」
「御意」
オモチは、ずんぐりとした右手を左肩に当てて頭を下げる。
黒狼は、アケをちらりっと一度だけ見て……森へと去っていった。
柔らかい。
フワフワする。
誰かが泣きながら自分を呼んでる。
アケは、目を覚ます。
ぼんやりとした蛇の目の前に涙に濡れたウグイスの顔が飛び込んでくる。
「ジャノメぇぇぇぇ!」
ウグイスは、緑色の翼腕を広げてアケを強く抱きしめる。
「良かったぁ、良かったょぉぉ。ジャノメェ!ジャノメェェェッ!」
ウグイスは、涙と鼻水で汚れた顔をアケの胸に沈める。
アケは、頭がぼうっとして何が起きてるか分からなかった。
「良かった。ジャノメ」
頭の上から声がする。
蛇の目を上げると赤い目の大きな白兎、オモチの顔だけが見えた。なんで顔だけなんだろう?と思ったら胴体はアケの背中、アケはオモチの大きな身体と柔らかい白毛に身を沈めて寝ていたのだ。
(でも、なんで……)
なんでウグイスは泣いてるの?
なんでオモチのお腹で寝ているの?
なんで外にいるの?
なんでお日様が上に昇っているの?
なんで……なんで……なんで……。
惚けた頭で何度も自問する内に霧が少しずつ晴れていく。そして全ての点が線となって記憶が出来上がった時……。
アケは、蛇の目を大きく見開き、身体を起こす。
ウグイスがびっくりして大きな目を丸くする。
「アズキ……!座敷童子!」
アケは、辺りを見回す。
少し離れたところに黒く焦げた地面に寝そべるアズキを見つける。そして漆黒の鎖で縫われてくっついた食堂も……。
「二人とも生きてるよ」
オモチが鼻をピクピクさせて言う。
「アズキは、王が傷口を縫った後に治り草をたっぷり塗りこんで血を作る治り草をたくさん飲ませた。さすが火猪は頑強……と言いたいところだけど一歩遅かったらヤバかったかも」
オモチは、食堂に目を向ける。
「座敷童子には元々、死の概念がないからね。直すことさえできれば時間をかけて元に戻っていく。流石に人形も取れなければ意識もないけど」
オモチの質問にアケは、カタカタと歯を鳴らす。
悲しみと恐怖が同時に襲い、身体が震える。
私の……私のせいで……二人が……。
「ねえ、ジャノメ……」
ウグイスは、目を大きく見開きアケを見る。
「あいつらって……武士って奴らだよね?」
「……はいっ」
アケは、ぎゅっと己のが身を握りしめる。
「白蛇の国……武士です」
「赤い甲冑……っだっけ?それを着た金色のも?」
「……ナギです」
「ナギ?」
オモチは、小さく首を傾げる。
「弟です……私の」
アケの言葉にウグイスとオモチは顔を見合わせる。
「あの赤い甲冑は……白蛇様の目の色……朱を指したもの。つまり白蛇の国で最も名誉ある武士……大将の証です」
「大将……」
ウグイスは、ボソリっと呟く。
「道理で強いわけだ」
オモチは、納得したように鼻をヒクッとさせる。
「あの女は?武士には見えなかったけど?」
「……邪教です」
「邪教?」
ウグイスは、聞いたこともない言葉に眉を顰める。
「彼女に……私は目を奪われたんです」
アケは、漆黒の鎖に縫われた目の部分に触れる。
「そして……父も……母も……全ての幸せを奪われました」
アケの指が鎖に食い込み、ジャランッと音を立てる。
ウグイスは、アケの肩を優しく握りしめる。
「それってあのゾワゾワァと蠢く白い腕のこと?」
ウグイスの言葉にアケの蛇の目が震える。
「ねえ、教えてジャノメ」
ウグイスは、真剣な目でアケを見る。
「あんたは、白蛇の国にいた時、邪教に何をされたの?なんで捧げ物になったの?」
アケは、ウグイスの顔をじっと見る。
「私は……」
アケは、言い淀む。
ウグイスは、形の眉を寄せ、そっとアケの手を握る。
「言いたくないなら言わなくてもいい。私に話すのが嫌ならオモチでも、小鬼でも、八尺に話してもいい。みんなジャノメの話しをちゃんと聞いてくれる」
ウグイスは、ギュッとアケの手を握りしめる。
温かい……とても温かい……。
「でも、これだけは知って。これだけは覚えておいて。あんたが何者であったとしても……どんな生き方をしてきたとしても……私はあんたが好き。あんたは……私の大事な友達だから」
アケの蛇の目から涙が一筋、また一筋と落ちる。
こんなに真剣で、こんなに憂いと、心から心配するウグイスを見たのは初めてかもしれない。
(ああっダメだ)
アケは、心の中で呻く。
もう……もう嘘なんてつけない。ついちゃいけない。
「私は……殿下に……父上様に命じられてここに来ました……」
アケは、ぽつり……ぽつり……と話し出す。
「主人を……金色の黒狼を始末するように……と」
アケの独白にウグイスの目が大きく震え、オモチは、鼻を震わせる。
「私の目の穴に棲む巨人を使って……」




