お薬飲めたね
「本当にこちらでよろしいんですか?」
男の前に置いた御膳をアケは不安そうに見る。
男に出した御膳に乗っているのは鹿肉の炙り焼き、岩魚の塩焼き、じゃがいも鹿肉出汁……昨日の残り物。しかも、金色の黒狼が手をつけず、もったいないから後で時間のある時にアケが食べようと思っていたものだ。
「構わぬ」
男は、黄金の双眸をアケに向ける。
アケは、あまりにも美しい黄金の瞳に見られ、身体が熱くなるのを感じた。
瞳だけではない。
野生味のある整った顔立ち、金糸で花の刺繍の描かれた長衣の上からも分かる細く、鍛えられた身体、そして内側から滲み出る洗練された気配と威厳……。
その全てが彼を美しく際立たせていた。
しかし・・・。
(どこかで……会った気ような……)
どこだかは分からない。と、言うよりもあの子以外の男性と触れ合う機会なんてほとんどなかった。
それなのに……。
黄金の双眸がアケを見る。
アケの心臓がばくんっと鳴る。
「ど……」
アケは、震える声で何とか言葉を紡ぐ。
「どうされましたか?」
「これはどう食せばいい?」
「えっ?」
男は、再び視線をアケに向ける。
「手掴みして良いのか?」
男の言葉の意味を理解し、アケの表情が青ざめる。
「し……失礼しました」
アケは、慌てて食器棚から複数の棒を取り出して男に渡す。
「これを使ってお食べください」
「これは?」
男は、眉を顰めてアケを見る。
「箸です。白蛇の国の食器です」
「こんな物があったのか?」
「座敷童子が作ってくれました」
どう言う理屈か分からないが彼女は想像した物を作れるらしく、昨夜アケが伝えた物を翌朝には全て作ってくれていた。
この食堂もそうだ。
「そうか」
男は、箸を握ってじっと見る。
「こう使うんです」
アケは、念のために持ってきたもう一膳の箸を右手に持ってカチカチと動かす。
男は、アケの箸の動きをじっと見て真似しようとするが……上手く出来ず何度か落としてしまう。
アケは、少し困ったように眉を顰め、自分の箸をテーブルに置くと、男の右手に両手を添える。
男は、黄金の双眸を大きく開いてアケを見る。
「こう使うんです」
アケは、箸を握った男の手をそっと動かす。
「親指と人差し指で挟むように動かすだけ。中指は落ちないように添えるだけで平気です」
男は、アケと自分の手を交互に見ながら箸を握った指を動かす。
「・・・こうか?」
男は、箸を動かす。
「はいっお上手です」
男は、頷く。
アケは、口元を綻ばせる。
男は、アケに手を添えられたまま箸の先で肉を一切れ摘み、口に運ぶ。
黄金の双眸が大きく見開く。
「美味い」
男の言葉にアケは、ほっと胸を撫で下ろす。
そして今更ながらに彼の手を握っていたことに気づき、頬を苺のように赤らめる。
(私ったら……なんて……)
大胆なことを!
しかし、男はそんなアケの心境など知らずにアケに手を握られたまま器用に箸を使って肉を摘み、魚の身を解し、じゃがいもを口に運んだ。
「面白い物だな」
男は、すっかり箸を気に入ったようだ。
アケは、手を離すタイミングが取れず、頬を赤らめて俯いている。
「機会があったら他の者にも教えてやってくれ」
「は……はいっ」
男は、黄金の双眸でアケを見る。
「少し落ち着いたか?」
「えっ?」
アケは、弾かれるように顔を上げる。
「ここに来て落ち着いたか、と聞いている」
そう言って肉を一切れ口に運ぶ。
「いえ……まだ……」
色んなことが起こりすぎて正直、頭の中は散らかり放題だ。
「猫の額はキャラこそ濃いが気の良い輩が多い。気兼ねなく接するが良い」
キャラ?と言う言葉は良く分からなかったが、男の言いたいことはなんとなく分かる。確かにウグイスもオモチもアズキも座敷童子もとても優しく、アケを気遣ってくれる。そう言ったものに触れたことがなかったアケはどうすれば良いか分からず戸惑ってしまう。
それに……。
アケは、男から手を離し、小さく俯く。
「みなさん……本当は嫌がっているのではないでしょうか?」
黄金の双眸がアケに向く。
「何故……そう思う?」
「皆様……捧げ物を凄く楽しみにしているご様子でした」
しかし、捧げ物としてやってきたのは貧相で食べられる訳でもない、たたただ醜い自分。
それなのにこれだけ優しく接してくれるのは……。
「皆様……お優しいから私を可哀想に思ってこんな"ごっこ"遊びをしてくれてるんです」
本当は、嫌なのに。
このジャノメが!
老人の叫び声がアケの頭を劈く。
お前さえいなければ!
天命を果たし、罪を償え!
死ね!
死ね!
死ね!
(誰も……私なんて必要としてない)
アケは、そっと白い鱗の布に触れる。
指先が布を引っ掛け……。
「……何と言う?」
「え?」
アケは、顔を上げて男を見る。
「食べ終わった後、白蛇の国では何と言う?」
アケは、男の御膳を見る。
いつの間に魚の骨を残して全て綺麗になっていた。
「えっと……手を合わせて……ごちそうさま……です」
そう言ってアケは、自分の両手を合わせて見本を見せる。
「そうか」
男は、箸を置いて両手を合わせる。
「ごちそうさま」
「お粗末さまでした」
アケは、小さく頭を下げる。
男は、ゆっくりと立ち上がる。
その動作にすらどこか気品が漂う。
「相手がどう思っているか……」
男が唐突に発した言葉にアケは熱に触れたように顔を上げる。
「嫌がってるか嫌がってないか……」
黄金の双眸がアケを捉える。
アケは、身が固くなるのを感じた。
「そんなのどうでもいいだろう?」
アケは、男の言っている意味が分からなかった。
どう思われてもいい。
嫌われてもいい。
男は、そう言っているのか?
「少なくても我は其方の作る食事を美味いと感じた。箸の使い方を面白いと思った。必要と感じた。また、食べたいと思った。お前が嫌がってもな」
「そんな……嫌がるなんて……」
アケは、首を横に振る。
「他者の目ではなく、其方自身が何をしたいか、どうしたいかを考えよ。さすれば……」
男は、アケの前を通り過ぎる。
「其方の道が見えてこよう」
道……?
アケは、振り返って男の背中を見る。
(私の……道?)
「それはどう言う……」
「また来る」
男は、扉から出る。
振り返ることなく草原を歩き、森へと向かっていった。
アケは、自分の両手を見る。
微かに花の香りがする。
「……またのお越しをお待ちしております」
アケは、花の香りをゆっくりと吸い込んだ。
「ジャノメー!」
空の上から声が聞こえる。
アズキの燃える背中に置いた真鍮の羽釜の具合を見ていたアケは空を見上げる。
太陽に照らされ、翡翠のように鮮やかに輝く緑色の翼腕を大きく広げたウグイスが満面の笑みを浮かべてアケの上を旋回する。その後ろを大きな水の両手が重なり合って荷馬車のように付き従う。
「お客さん連れてきたよー!」
ウグイスの言葉にアケの背筋に緊張が走る。
ウグイスは、空の上をゆっくりと翼を羽ばたかせながら着地する。
水の両手もウグイスの隣に並び、ぱあんと飛沫を上げて弾ける。
あれだけ大量の水で形成されてるのに地面も濡れてなければ水飛沫もかからないのが何とも不思議だ。
(そういえば私も少しも濡れてなかったな)
今更ながらに気付く。
弾けた水の両手の中から現れたのは全身を小麦色の長毛にに覆われ、どんぐりのように膨れ上がった生き物だった。背はアケの胸辺りまでしかなく、顔と思われる部分に大きな丸い二つの目が付いている。 しかも三人もいる。
「この子たちは?」
アケは、三人を見て、ウグイスを見る。
ウグイスは、にっと笑って一人の頭を撫でる。
「ゴブリンだよ」
「ゴブリン?」
「確か・・白蛇の国の言葉で小鬼だったかな?」
「小鬼!?」
アケは、思わず声を上擦る。
それは白蛇の国に伝わる御伽話に必ず出てくる存在だった。
緑膿の肌、瞳のない濁った目、子どものような体格に曲がった背筋、性格は残忍で狡猾、生き物を殺すのが大好きで服や食べ物、財宝を奪うことを生き甲斐にした残虐非道の化け物……。
それが小鬼。
小鬼であるはずだったが……。
アケは、ウグイスの目の前に立つ毛むくじゃらのどんぐりのような生き物をマジマジと見る。
可愛い。
思わず抱きしめたくなるくらい可愛い。
「本当に小鬼……なんですか?」
「そうだよ。なんで?」
ウグイスは、首を傾げる。
アケは、白蛇の国に伝わる小鬼の話しをウグイス達にする。
ウグイスは露骨に顔を引き攣らせ、ニ体の小鬼は抗議するするように小さな手を振り上げて飛び跳ねる。
「国が違えば伝承も違うんだね」
ウグイスは、しみじみと言う。
「そう……ですね」
アケも思わず頷いてしまう。
本物を見たことがなかったことによる残念な変換なのかそれとも違う生き物が小鬼として伝承されてしまったのか?
「まあ、それは置いといて……」
ウグイスは、話しの筋を戻す。
「この兄妹に料理を振る舞ってあげて欲しいの」
ウグイスが言うと三体の内の二体が大はしゃぎして飛び跳ねる。
その仕草が可愛すぎて白蛇の国の小鬼と結びつかない。
「この子達、いつも森の外れで遊んでて赤い木の実や森に生えてる木の子とか食べてるんだけど、綺麗なお姉ちゃんが美味しいご飯を作ってくれるよって言ったら喜んで付いてきたの」
綺麗なお姉ちゃん!?
ウグイスの言葉にアケは飛び上がる。
どこをどの角度からどう一周したら自分が綺麗に見えると言うのだ!?
アケは、動揺を抑えながら小鬼達を見る。
「な……何が食べたいのかな?」
アケの質問に二体は目を輝かせて「キュキャキュキャ」
と声を上げ、一体はぼおっとアケを見ている。
他の二体に比べて静かな子だな、とアケはぼおっとしている小鬼を見る。
ふっと違和感を感じた。
二体の小鬼に比べて少し目が赤い気がする。
「この子、雌なのよ」
アケの視線に気づいたウグイスがぼおっとした小鬼の頭に触れる。
「兄と弟に挟まれた真ん中っ子でね。やんちゃな二人を止めたり、世話焼いたりとてもしっかりした子なのよ」
ウグイスは、優しく彼女を撫でる。
彼女は、ぼおっとした赤い目でウグイスとアケを見る。
そうか……だから他の二体に比べて大人しいのか。
そう思いつつもアケは心に湧いた違和感を拭えなかった。
その間も兄と弟は「キュキャキュキャ」とアケに叫ぶ。
恐らくお腹が空いたと言ってるのだろうが・・。
「この子達、雑食だから何でも食べれるよ」
アケが困っているのに気付いたウグイスがにこやかに笑って助け舟を出す。
しかし……。
「何でも……」
それが一番厄介なのだ。
神様でもなければ一流の料理人でもないのに何でもなんて作れるわけがない。
アケは、頭の中の本を開いて献立を探す。
今、アズキの上で炊いてる物はもうすぐ出来る。
昨日、黒狼が狩ってきた鹿乃残りは昨日のうちに燻して座敷童子の用意していた貯蔵庫に仕舞ってある。
(昨日みたいに単純に焼いて塩で味付けする?骨で出汁を取って汁物にする?)
恐らくウグイス達はそれで十分に喜ぶだろう。
しかし……。
アケは小鬼達を見る。
実際は年は不明だが恐らくまだ小さな子どもだろう。
そんな子どもが単純に肉を焼いた物だけで喜ぶだろうか?
(あの子は嫌がってたな)
アケの記憶にいる男の子。
大きくなってからはお肉を焼くだけで十分に喜んでたが小さい頃はとても嫌がって献立に苦労した。
「どうしよう……」
アケは、心底悩んで頭を抱える。
「ただいまー!」
子どものような高い声が飛んでくる。
オモチが名前通りの鏡餅のように膨らんだ身体で軽やかに飛び跳ねながらやってくる。
「食材摂ってきたよー!」
オモチは、赤目を輝かせて大きな両手にたくさん葉物や根菜が抱えており、その中で目に引いたのは……。
「果物?」
それは驚くほど熟した真っ赤な木の実だった。太陽の光を充分に吸ったのか身はパンパンに膨れ上がり、朝露に濡れて珊瑚のように輝いている。
アケは、見たこともない真っ赤な実に蛇の目を奪われる。
しかし、ウグイスの反応は違った。
「あんたなんても採ってきたのよ」
ウグイスは、うっげっと可愛い舌を出す。
小鬼の兄弟たちも表情は分からないが目が強く拒否している。
「トマトなんて食べれる訳ないじゃない」
(トマトって言うんだ)
アケは、マジマジとトマトを見る。
「えーっ!そんなことないよ!」
オモチは、表情こそ変わらないがトマトのような赤い目を向けて抗議する。
「僕、これ大好きだよ!」
「それはあんたが馬鹿舌なのよ!」
二人は、睨み合って言い合いになる。
その際にオモチの手からトマトが一つこぼれ落ち、アケの足元に転がる。
アケは、トマトを拾う。
(そんなに不味いのかな?)
こんなに美味しそうなのに。
匂いを嗅ぐ。
臭くもなければ良い匂いもしない。
アケは、少し悩んでから思い切ってトマトに齧りつく。
赤い汁が溢れ、口の中一杯に広がる。
青臭い。
見た目は果物なのに野菜のようだ。
それに酸味も強い。
「でも、美味しい」
固い皮の下に隠れた柔らかい実、トロッとした舌に乗る感触、強い酸味の中に隠れた甘味。
アケは、一口でトマトを気に入ってしまった。
「でも……子どもは苦手かも」
アケは、オモチに抗議するウグイスと小鬼達を見て苦笑する。
(これは使えないかな……)
後でこっそり一人で食べよう。
そう思いかけた時……。
アズキの上に乗った羽釜が笛のような音が上がる。
その音にウグイス達は振り返り、アズキは目を覚ます。
「ようやく炊けた……」
アケは、羽釜に目を向けた。
刹那。
弾けるように天啓が舞い降りる。
アケの表情が輝く。
「決まった……」
アケの声にウグイス達が振り返る。
「献立、決まりました!」
そこからのアケの行動は早かった。
保存庫の鹿肉を必要な分だけ切り取って運び、まな板の上に乗せてサイコロ状に切る。
オモチの収穫したものから見覚えのある丸い葱……玉葱をみじん切りする。
この短刀は本当に良く切れる。
自害に使わなくて良かった。
さあ、トマトの出番だ!
(この皮の感じだと……)
アケは、頭の中に浮かんだトマト調理法を実演する。
トマトのヘタを取る。
トマトのお尻に十字の切れ目を入れて沸騰したお湯に浸ける。
するとトマトの皮の切れ目の先が小さく捲れ上がる。
お湯から抜き取ると用意しておいた冷水に浸す。
切れ目から丁寧に剥いていく。
あまりにも気持ち良く綺麗に皮が剥がれるので隣で見ていたオモチの赤目が大きく開き、ウグイスは蛙が内臓を吐き出したのを見たように青ざめる。
全部のトマトの皮を剥がすと珊瑚のような輝きは失せ、その代わりに鬼灯のような艶やかな赤に変わる。思わず見惚れてしまい、料理するのが勿体無く感じる。
しかし、覚悟を決めなくては!
「アズキお願い」
アケは、手持ちの付いた鉄板をアズキの燃える背中に置く。
アズキが小さく鳴くと火力が上がり、鉄板が熱させる。
アケは、鉄板が熱くなるの確認し、鹿の脂を投入する。
脂の焼ける甘い香りが鼻腔を打つ。
アケは、刻んだ玉葱とサイコロ状にした鹿肉を鉄板の中に放り込み、木べらを使ってかき回す。
それだけで匂いが香りに変わる。
ウグイスの顔が蕩ける。
オモチの鼻がヒクッと鳴る。
小鬼達は、食い入るように覗き込む。
肉に焼け目が付き、玉葱が飴色に変わる。
肉の玉葱に塩を振り、捧げ物にあった砕いた胡椒を入れる。
そして……。
「げっ!」
ウグイスは、悲鳴を上げる。
アケは、皮を剥いたトマト全てを鉄板に投入し、あろうことか木べらで潰していく。
赤い汁が飛び散り、果肉が熱に溶けていく。
その悍ましい光景にウグイスと小鬼達だけでなく、楽しそうに見ていたオモチすらも恐怖に鼻をヒクヒクさせる。
アケは、一心不乱に果肉を潰していく。
捧げ物にあった醤油を足し、お酒を足し、鹿の脂を溶かした物を足し、そして煌びやかな白い粉を足す。
変化が起きる。
血の池地獄のようだった鉄板の中が酸味の強い甘い香り漂う泉に変わる。気泡が昇り、破裂する度に香りが増し、胃袋を刺激する。
それはトマトを好物とするオモチだけなくあれだけ嫌がっていたウグイスや小鬼達まで目を輝かせる。
ここだ!
アケは、左手で羽釜の蓋を開く。
閉じ込められていた甘くてふっくらとした香りが草原に広がる。
羽釜の中には白いご飯が宝石のように輝いていた。
捧げ物の中に大量のお米を発見したアケがどうしても食べたくて朝から準備していたのだ。
最後にどうしても食べたくて。
そのふっくらと炊けた白いご飯が液体になったトマトの中に放り込まれる。
アケは、素早く、刀で切るように木べらを使い、ご飯とトマトの汁を混ぜていく。
白いご飯が赤く染まる。
二つの香りが混じり合って破裂する。
ウグイス達の胃袋が鳴り響く。
涎が流れて止まらない。
「座敷童子」
「はいっお嬢様」
屋敷の中から座敷童子が白い大皿を投げ、アケの左手にすっぽり収まる。
アケは、大皿を鉄板の上に乗せるとそのままひっくり返す。
「出来ました!」
鉄板を開ける。
夕日に染まったお山のようなご飯が輝く。
完成!
鹿肉と玉葱のトマトご飯。
「どうぞ召し上がれ!」
アケの顔は、トマトのように真っ赤に輝いていた。
大皿を抱えて食堂に戻ると座敷童子か用意してくれた取り分け用の小皿に均等に分けていく。
オモチと小鬼の兄、弟は椅子に腰掛け、待てをする犬のように涎を垂らして自分の分の小皿を睨みつける。ウグイスは、相変わらず青ざめた顔で引き気味に見て、小鬼の長女は元気なさそうにちょこんっと座る。
アケは、長女が気になりながらもトマトご飯をよそっていく。
「これを使って食べてください」
そう言ってアケが五人に渡したのは座敷童子が作ってくれた木製の匙だ。
「こうやって食べるんです」
そう言って匙の使い方を五人に見せる。
「なんでそんなの使わないといけないの?」
オモチが鼻をヒクッと鳴らして訊く。
「機会があったら教えるようにお願いされましたので」
アケは、口元を綻ばして言う。
その口調はいつも通り柔らかいが拒否を許さない強さがあった。
オモチと小鬼兄、弟は渋々、匙を手に取る。
「いただきます」
不器用にご飯を掬って口に運ぶ。
刹那、
歓喜の雄叫びが雷鳴となって食堂に轟く。
「美味ーい!」
「キュキャキュキャ!」
「キュキュキャ!」
一分前の疑問なんてどこへやら、オモチと小鬼兄、弟は初めてとは思えないくらい器用に匙を使って夢中になってトマトご飯を駆け込み、顔中を真っ赤に汚していく。
アケは、三人の食べっぷりに呆気に取られながらも口元を緩めてしまう。
自分の作ったご飯を美味しそうに食べてくれるのは本当に嬉しい。特に今回は初めて見た食材を使ったので正直、美味しく出来なかったらどうしようと不安だっただけに喜びもひと塩だ。
「うーんっうーんっ」
ウグイスは、目の前に置かれたトマトご飯を唸りながら睨みつける。
「やっぱりトマトはダメですか?」
「いや、絶対に美味しいのは分かってるんだけど・・」
ウグイスは、泣きそうな顔をする。
「まだ抵抗が・・」
可愛い。
ウグイスの困り顔が可愛い過ぎる。
アケは、頬が緩んでしまうのを何とか堪える。
「無理に食べなくてもいいですよ。まだご飯も残ってるし他の物でも・・・」
しかし、ウグイスは大きく首を横に振る。
「ううんっ食べる!せっかくジャノメが作ってくれたんだもん!」
ウグイスは、匙を掴むと仇を打つようにトマトご飯に突っ込み、勢いよく口に運ぶ。
アケは、思わず唾を飲み込む。
ウグイスの目が大きく見開く。
頬が蒸気し、顔の筋肉の全てが緩む。
「美味しーい!」
ウグイスは、甘露の声を迸らせる。
「これ本当にトマト!?」
ウグイスは、信じられないと言わんばかりに目を震わせる。
「全然、青臭くない!」
「色んな具材と調味料で煮込みましたから。味と匂いが変化したんです」
それでもこんなに甘味が増して濃厚になるなんて思わなかった。アレを足して正解だった。
「ねえ、やっぱりジャノメって魔法使えるんじゃないの?」
ウグイスの言葉に小鬼の兄、弟も大きく頷く。
「そうじゃないとトマトが美味しくなる理由が分からないよ」
「それが料理なんです」
アケは、はにかんで言う。
「どんな食材でも美味しく喜んで食べられる。それが料理なんです」
アケは、自分の作ったトマトご飯を見る。
トマトご飯が嬉しい、嬉しいと輝いている。
「そうなんだ」
ウグイスは、トマトご飯を頬張る。
「ジャノメが来てくれて本当に良かった」
えっ……。
アケは、蛇の目を震わせて美味しそうに食べるウグイスを見る。
私が来て良かった……?
それは……。
「ほん・・」
本当ですか!?とアケは言葉に出すことが出来なかった。
蛇の目の視界に小鬼の長女が映る。
小鬼の長女は、トマトご飯に手を付けていなかった。ぼおっとして右へ左へ身体を揺らしている。それに……。
(さっきより目が赤い)
嫌な予感が走る。
ウグイスも小鬼の長女に気付いて声をかける。
「どうしたの?食べないの?とっても美味しいよ」
そう言って小鬼の長女の肩に触れる、と小鬼の長女は、椅子から崩れるように落ち、床に転がる。
何が起きたか分からず呆然とするウグイス。
椅子から思い切り立ち上がるオモチ。
悲鳴のような叫び声を上げる小鬼の兄、弟。
そんな中、アケが誰よりも早く小鬼の長女に駆けつける。
「大丈夫!?」
アケは、長女に呼びかける。
長女は、苦しげに唸り、お腹に手を当てて、身体を震わせている。
アケは、長女の毛の中に手を入れて首筋に手を当てる。
熱い。
基礎体温がどのくらいかは分からないがそれでも高い。
「この子……具合が悪いみたいです」
食堂に動揺が走る。
兄、弟が両目に涙を溜めて叫ぶ。
「苦しい?どこか痛い?」
アケが聴くと長女は「キュキュ」と苦しげに呻いてお腹を摩る。
「ごめんね」
アケは、謝りながら少女の両手の下の腹部を押す。
「くべっ!」
少女は、苦鳴を上げ、唾液と一緒に込み上げていた消化しきれてない嘔吐物を見る。
(きのこ?)
それは噛み砕かれた赤色のきのこだった。
アケは、もう一度お腹を押す。
(固い)
まるで石が詰まってるみたいだ。
普段の身体の固さはわからないけどこれは恐らく……。
アケは、恐らく耳があると思う部分に口を近づける。
「貴方……出てる?」
アケの言葉を理解出来るかはわからないが……。
長女は、恥ずかしそうに首を横に振った。
蛇の目が強く光る。
「座敷童子!」
周りが驚くほどの大きな声でアケが叫ぶ。
「はいっ。お嬢様」
蝋燭の炎のように朧げにメイド服を着た白髪の美女が現れる。
「身体を被せるくらいの大きな布を」
「畏まりました」
座敷童子は、軽やかに微笑む。
「金曜霊扉」
座敷童子の足元に白い円が浮かび、複雑な紋様が描かれる。
「解放」
ポンッ。
小さな煙を上げて白い円の真ん中に綺麗に畳まれた上質なシーツが現れる。
「ご自由にお使い下さい」
座敷童子は、スカートの端を摘んで優雅に頭を下げる。
アケは、シーツを大きく広げると長女の背中に押し込み、転がしながら綺麗に広げ、土産物のように包み込む。
「ウグイス!」
「はいっ!」
アケの強い声にウグイスは反射的に返事する。
アケは、長女の両足をシーツごと上に持ち上げる。
「この子の足を掴んで何があっても離さないでください。シーツも落ちないように」
なんで!?とウグイスは疑問を持つもアケの迫力に訊くことも出来ず頷く。
「ごめんね」
アケは、申し訳なく謝りながら少女のお尻を弄る。
突然のアケの行動にウグイスは青ざめ、長女は小さな悲鳴を上げる。
「あった!」
アケは、人差し指を立てる。
「息を吐いて……力抜いて……」
刹那。
アケの人差し指が長女の肛門に突き刺さる。
長女は、悲鳴が上がる。
ウグイスは、絶叫する。
次の瞬間、盛大な音と共に香ばしい臭いが食堂の中を充満した。
「水曜霊扉」
ウグイスの右手に水色の円が展開し、複雑な紋様を描く。
「開放」
水色の円から巨大な水玉が放たれ、アケと小鬼長女を包み込み、身体中にばりついた茶色の汚物が溶けるように洗い落とされていく。
全ての汚れを落としきると水玉はぱあんっと弾ける。
アケは、汚れひとつなくなった自分の身体を見る。
「臭いも……取れたわね」
ウグイスは、可愛らしい鼻を鳴らしてアケと小鬼長女の臭いを嗅ぐ。
「ご迷惑おかけしてすいません」
アケは、肩を萎めて謝る。
食堂から叩き出されたアケ達は草原の上にちょこんっと座っていた。
突然、自分の中で発生した突発的事故に座敷童子が発狂した結果だ。
ちなみに固く閉ざされたガラス窓の中から何かを削り取るような音や水をばら撒く音、何かを解体して組み立てるような過激な音が響き渡ってある。
アズキは、草原から離れた場所で前足を器用に使って穴を掘り、オモチは茶色く変色したシーツを自分の身体に触れないように伸ばして持っている。
小鬼の兄、弟は両目を腫れ上がらせて泣きながら長女を抱きしめている。
幾分か目の赤みの取れた少女は兄弟たちに力なく何かを話しかけている。
「お腹の中に詰まってたものがなくなって楽になったみたいですね」
アケは、ほっと胸を撫で下ろす。
「そりゃあんだけ詰まったら苦しくもなるわ」
衝撃映像を思い出してウグイスは渋面する。
「結局、なんで具合悪くなったのかな?」
「恐らく・・きのこです」
アケの発した言葉の意味が分からずウグイスは目をぱたくりさせる。
「さっき吐いたものの中に未消化のきのこがありました。恐らく毒性の強いものです」
「きのこにも毒があるの!?」
ウグイスは、大きな目が飛び出るくらい驚く。
「逆になんで知らないんですか……?」
その反応にアケは全身の力が抜けるのを感じた。
「きのこの毒って結構有名だと思いますけど……」
アケが言ってもウグイスは、知らないと首を横に振る。
人とは違い毒に強い体質の住民が多いのだろうが……。
「そう言った事も教えないと……」
取り返しのつかないことが起きる前に……とまで考えてから驚く。
(あれ?私……)
ここにいたいと……この人たちと一緒にいたいと思ってる?
アケは、自分の中に湧いた感情と想い顔信じられず、胸元を握りしめる。
「それよりさ……」
ウグイスが不安げに小鬼長女を見る。
「この子大丈夫?」
目の赤みは大分、治ったがまだ辛そうに息が荒い。
アケは、長女の首筋に触れる。
まだ、熱い。
「お薬ってありますか?」
熱冷ましや整腸薬、毒消しの役割をするものがあれは尚良い。
しかし……。
「お薬?」
ウグイスの反応にアケは肩を落とす。
身体が頑丈なだけに薬の文化もないのだ。
(困ったなぁ……)
とりあえずウグイスに冷たい水を出してもらって身体を冷やして、消化の良い物を……。
「薬って治り草のこと?」
いつの間にか戻ってきたオモチが鼻をヒクッと鳴らして言う。アズキも隣におり、どうやら汚物処理は無事に出来たようだ。
「治り草?」
アケは、蛇の目を顰める。
オモチは、白い毛に覆われたずんぐりとした右手を広げると三つの種子が現れる。
オモチは、三つの種子を地面に投げ、右手を翳す。
「木曜霊扉」
三つの種子を囲むように緑に輝く円が現れる。
「開放」
緑の円に複雑な紋様が描かれる。
三つの種子の殻が破れ、芽を吹き、その身を天高く伸ばしていく。細長い草、丸い扇のような草、そして棘のついた茎から生えた黄色い花……。
「細いのが熱冷ましや丸いのが腹痛、黄色い花のが毒消しだよ」
オモチは、一つ一つ指差して説明する。
「薬草だ……」
アケは、細長い草をを引き抜く。
鼻の奥がつんっする。
「これ不味いんだよね」
ウグイスが小さく舌を出す。
確かに臭いだけでも受け入れるのが難しそうだ。
小鬼の長女も嫌そうに目を震わせてアケの手に握られた治り草を見る。
「……よし」
アケは、治り草を全て引き抜き、食堂に向かう。
「座敷童子開けて」
アケが呼びかけると座敷童子が扉の隙間から嫌そうに顔を出す。
「もう臭いのはご勘弁を……」
「もうしないから小さなお鍋とあれを取って」
そう言って調理台を指差す。
座敷童子は、渋々言われた物を取る。
アケは、小さな鍋をウグイスに向ける。
「少しだけお水を」
「分かった」
ウグイスは、小さな水色の円を展開し、鍋に水を溜める。
アケは、水が溜まったのを確認し、鍋をアズキのお尻に置く。
「さっきより弱めで」
アズキは、「ぷきい」と鳴いて火力を調整する。
鍋の中の水は直ぐに温まり、気泡を上げる。
アケは、その中に座敷童子から受け取った材料……白く煌めく粉を大量に入れ、匙でゆっくり掻き回す。
果実とは違うほのかな甘い香りが草原の中を漂い、ウグイスとオモチの鼻が小さく動く。
液体がまとわりついて匙の動きが重くなる。
アケは、匙を抜くと息を吹きかけ、口に運ぶ。
味は良い。
でも、匂いが弱い。
アケは、再び食堂に足を向け、座敷童子から昨日使わなかった林檎を受け取る。
「上手くいって……」
アケは、祈るように林檎の表面に短刀の切先を入れる。
林檎の果汁が短刀の刃を濡らしていく。
アケは、そっと短刀の刃を抜いて果汁を鍋の中に落とす。それを何回か繰り返すと鍋から煮込んだ林檎の匂いが漂い始める。
「よしっ」
アケは、治り草を短刀で細かく刻み、両手で揉んですり潰し、鍋の中に全て落とし、ゆっくりゆっくりかき混ぜる。
「ウグイス、水の手を。小さく」
「わっ分かった」
ウグイスは、水色の円を展開し、水滴を集めて子どものような小さな手を作り出す。
アケは、そっと鍋を持ち上げ、水の手に寄せる。
鍋がジュオオオッと音を上げ、冷めていく。
鍋の中の液体がトロリと固まり、甘い香りが鼻腔を打つ。
「出来ました」
アケは、鍋を持ち上げ小鬼長女に駆け寄る。
「お薬出来たよ」
アケは、少女を安心される為に唇を釣り上げ笑みを作る。
「これを飲めば直ぐに元気になるからね」
しかし、小鬼長女は赤い目を震わせ、首を横に振る。
「大丈夫よ」
アケは、優しく長女の頭を撫で、匙で鍋の中のモノを掬う。とろっとした透明な液体の中に細かく刻まれた治り草が気泡のように浮かんでる。
「これは水飴よ」
アケは、煌めく液体を小鬼長女に見せる。
「お砂糖っていう甘い粉にお湯を混ぜて作ったの。とっても美味しいの」
アケの言葉の意味が通じたのか、長女の目が水飴に向く。林檎の匂いに混じった柔らかな甘い香りが鼻腔を擽る。
アケは、そっと水飴を小鬼長女の口に寄せ、ゆっくりと口に含ませる。
ウグイス達は、固唾を飲んで見守る。
小鬼長女の目が大きく開き、毛むくじゃらの身体が震える。
兄と弟が不安げに長女を見る。
しかし……。
「キュイキュイ!」
小鬼長女は、赤くなった目を輝かせ、パクパクと口を動かして水飴をせがむ。
アケは、ほっと胸を撫で下ろして、一口、また一口と水飴を与える。
アケは、蛇の目を和ませ、優しく小鬼長女の頭を撫でる。
「お薬飲めたね」
アケの声が優しく風に靡いて草原に広がった。
パリーンッ!
気持ちの良い音が夜の帷の落ちた草原を駆け巡る。
「あんまーい!」
ウグイスは、緑色の目を輝かせ、蕩けそうになるほっぺたを抑えて串に刺さった光沢のある林檎を見る。
林檎にはびっくりするくらい大きな歯形が付いていた。
「林檎飴です」
そう言ってアケは鍋一杯に入った水飴に串の刺さった林檎を漬ける。
「これなら酸っぱい林檎も美味しく食べれるかと」
「うんっ最高!デリーシャス!」
ウグイスは、猫の額特有の言葉で喜びを表現して林檎飴を齧りまくる。
アケは、その様子を嬉しそうに見ながら出来上がった林檎飴をオモチ、座敷童子、アズキに渡していく。
オモチは、鼻をヒクヒクさせながらガリガリ齧り、座敷童子は、いまだ臭いが取るきれないことにムスッとしながらも林檎飴の甘さに頬を緩ませ、アズキは一口で食べ終えるとおかわりをせがんでプギプギ鳴いた。
アケは、そんな皆の様子を見て口元を綻ばせる。
「それで……」
威厳と気品にあふれた声が響く。
月のような黄金の双眸がアケを見据える。
金色の黒狼は、草原の上に優雅に身体を落とし、大量の黒い豆を食していた。
「小鬼の子どもは大丈夫なのか?」
「はっはいっ薬も全部飲んで、お腹に優しいお粥を作って食べてもらったら元気になって兄弟達と森に戻って行きました」
アケの脳裏に「キュイキュイ!」感謝の声を上げてアケに抱きつき、兄妹仲良く手を繋いで森に帰っていく小鬼達の姿が浮かぶ。
「本当に凄かったんだよ。ジャノメ!」
芯だけになった林檎飴を振り回してウグイスは興奮気味に言う。
「あの子に触っただけで熱がある、うんちが詰まってるって分かってお尻の穴に指を突っ込んだんだから!」
ウグイスは、その時のことを人差し指でお尻の穴を突く真似をする。
「いやーっ臭かった!そりゃ座敷童子も大激怒するよ」
ウグイスは、豪快に笑う。
座敷童子は、ムスッとした顔で林檎飴を齧る。
「ウグイス……あまりお食事の場でそう言うこというのは……」
アケは、戸惑いながらも注意するが、ウグイスは何で注意されてるか分からず首を傾げる。
「治り草を飲ませた時も見事でした」
オモチは、ヒクッと鼻を動かして言う。
「治り草をあんな方法で飲ませるなんて……」
「子どもはみんな薬苦手ですからね」
アケは、苦笑する。
「大人だって嫌だよ」
ウグイスは、治り草の味を思い出して身を震わせ、芯だけになった林檎飴を齧る。
「白蛇の国ではああやって治り草を飲むの?」
「白蛇の国と言うか……」
アケの脳裏に金髪の男の子が浮かぶ。
あの子小さい時に良く熱を出して、本で読んで見つけた薬草を煎じては飲ませるのに苦労した。水飴は試行錯誤を何度も繰り返して見つけた方法の一つだ。
ありがとう……姉様。
「……ギ……」
アケは、誰にも聞こえない声でぽそっと呟く。
「ジャノメ?」
ウグイスは、きょとんっとした顔でアケを見る。
「ああっごめんなさい。水飴は自分で考えたんです。飲みやすいように……」
アケは、慌てて言い繕う。
変じゃなかったかな?と不安になる。
「そうなんだ……」
ウグイスは、シャリッと林檎飴の芯を齧る。
「てことは、自分のお尻の穴もほじってたってこと?」
ぼんっ!
アケの顔が林檎よりも真っ赤に染まる。
「そんなわけないじゃないですか!」
アケが猫の額に来てから一番大きな声で叫ぶ。
いや、ひょっとしたら人生初かもしれない。
「じゃあ、なんでそんなこと知ってるのよ!?」
ウグイスは、疑わしく見る。
「……猫です」
「猫?」
ウグイスは、怪訝な顔を見る。
「昔、私の住んでいた所に猫の親子がやってきて子猫か苦しんでたんです。あの子みたいに」
その時は、屋敷にあった医学書を読んで原因を探り、お腹を触ったら固かったので細い枝に紙を巻いてやったのだ。
結果は同じ。
すっきりした子猫は親猫に擦り寄り、どこかに帰って行った。
ひょっとしたら一緒に暮らしてくれるのではないかと期待したアケは、去っていく猫の親子を見て切なくなったのを思い出し、顔を俯かせる。
ふわっと柔らかい温もりがアケの頭を包む。
ウグイスの手が優しくアケの頭を撫でる。
アケは、さっきとは違う意味で頬が赤くなる。
「ジャノメは凄いね」
ウグイスは、柔らかい笑みを浮かべる。
「ジャノメが来てくれて良かった」
蛇の目が大きく開く。
「本当……に?」
アケは、声を震わせて訊く。
「本当に……そう思うんですか?」
「あったりまえじゃん!」
その声はアケの心の靄を匙のように掬い取った。
「ジャノメがいなかったらあの子はずっと痛い痛いだったし、ジャノメがいるから私達、こんなに楽しいご飯が出来るんだから」
ウグイスは、にかっと笑う。
「猫の額に来てくれてありがとう。ジャノメ」
蛇の目が震える。
涙が一筋、また一筋と流れて顔を濡らしていく。
気が付いたらアケは、子どものように大声で泣きじゃくっていた。
「ど……どうしたのジャノメ?どっか痛いの?」
突然、泣き出したアケに動揺するウグイス。
オモチは、「あーっ泣かしたー」と揶揄うように言い、アズキは、「ぶぎい!」と本気で怒り、座敷童子は、「あらあら」と喉を転がすように笑った。
「あーっなんか分かんないけどごめんよごめん!」
ウグイスは、泣きじゃくるアケを困ったように、しかし優しく抱きしめ、よしよしと頭と背中を撫でる。
黒狼は、そんな様子を黄金の双眸を細めて見る。
「また……この光景が見えるとはな……」
黒狼は、誰にも聞こえない声で呟き、黒い豆を齧る。
黄金の双眸が優しい月のようにアケ達を見つめていた。
食堂は今日も健やかに営業中。




