私が調理します!
(森が傅いているみたい)
黒狼の逞しい足草と根の茂る地面を踏み締める度に木々が彼を敬い、彼の身体が葉に触れる度に畏れ多いと言わんばかりにその身を避け、彼が息吹を吐き、黄金の双眸を瞬かせる度に騒めき、首を垂れる。
それはまさに王者の行進のようであった。
(これが……金色の黒狼)
アケは、真上からじっと彼の顔を見る。
美しい。
人だから獣だからとかそんなことは関係ない。
ただただ美しい顔にアケは見惚れ、目的を忘れてしまいそうになる自分に気付く。
(ダメよ)
アケは、だらけそうになった自分の心を叱咤する。
(私は……この方を殺して幸せになるの!)
アケは、自分の心を奮い立たせ、蛇の目を黒狼に向ける。
(やるなら……今だ)
アケは、顔を覆う白い布に手をかけようとする。
「どうした?」
威厳ある声にアケは、ビクッと肩を震わせる。
(気付かれた?)
白い布に触れようとした手を慌てて下ろす。
黒狼は、首を傾け、黄金の双眸を細めアケを見る。
「我の顔がどうかしたか?」
どうやら気づいてなかったようだ。
アケは、ほっと胸を撫で下ろしつつ、誤魔化す言葉を考える。
「主人のあまりにお美しい顔に見惚れてしまっておりました。お許しください」
そう言ってアケは、首を垂れる。
嘘ではない。
彼の生物を超えた美しさにアケは確かに魅了された。
そして……。
(私は……この方と……)
「そうか……」
黒狼は、顎を動かさず小さく呟き、前を向く。
「てっきり尻が痛くなったのかと思ったぞ」
「お尻!?」
アケは、顔を真っ赤にして白無垢に隠れた自分のお尻を触る。
今更ながらに自分の身体と黒狼の身体が密着していることに気づき、羞恥が湧いてくる。
「人にしては肉付きが良くない。辛くなったら遠慮なく言うが良い」
「は……はいっお心遣い感謝致します」
アケは、顔を真っ赤にしながら頭を下げる。
黒狼は、それ以上は何も言わずに歩みを進め、アケは恥ずかしさに黒い毛の中に顔を埋め、また、密着してしまったことに気付き、慌てて起き上がった。
森を抜ける。
月の落ち掛けた夜空の向こうに朝日の頭がうっすらと見える。
そこは最初に訪れた断崖とは比べ物にならないくらい広く、美しい草原だった。
冷たくも心地よく吹く風、歌うようにせせらぐ小川、な生き生きとした木々、その上で仲良さげに身を寄せあって眠る小鳥や小さな動物達、力強い葉脈を映す草は楽しげに揺れ、可憐に咲く色鮮やかな花々は笑っているようだ。
十九年という人生の大半を限られた場所でしか生きることを許されなかったアケにとってその光景はあまりにも美しく、胸を締め付けられた。
最後の最後にこんな美しい光景が見られるなんて……。
アケは、震える感情を抑えることが出来ず、蛇の目から一筋の涙が落ち、黒狼の身体を濡らす。
黒狼は、黄金の双眸を動かし、背の上で泣くアケを見る。
しかし、何も言わない。
ただ、揺らさないようゆっくりと歩みを進めた。
月が少しずつ傾き、日が少しずつ昇っていく。
それに連れて黒狼の身体に変化が起きる。
黒い体毛の間から白い煙が噴き出てきた。
(湯気?)
しかし、触れても熱くはない。
煙たくもない。
アケは、不思議そうに見つめ、戯れるように触れた。
「着いたぞ」
黒狼の歩みが止まる。
アケは、煙から目を離し、黒狼の鼻先に現れた予想もしない物に蛇の目を丸くする。
それは青いとんがり屋根の朽ちかけた屋敷であった。
塗装の剥げ、瓦の割れた青い屋根、カビと苔と蔦に覆われた外壁、蝶番の外れ、雨戸の垂れ下がった窓という窓、そして扉のない口を開いたような正面口・・。
(似ている……)
アケは、脳裏に浮かんだ記憶に胸を締め付けられる。
黒狼は、草原の上に伏せる。
「降りれるか?」
「はいっ」
アケは、ゆっくりと滑るように黒狼の身体から降りる。
柔らかい。
素足に伝わる草の心地良い感触にアケは驚く。
「座敷童子」
黒狼は、低い声で屋敷に向かって声を掛ける。
とんがり屋根屋敷が身じろぎするように震える。
外れかけた窓が揺れ、瓦がピアノのように上下に音を立てる。
アケは、生き物のように動く屋敷に驚く。
壊れ掛けた扉が開く。
姿を現したのは絶世という言葉以外当てはまらない美女だった。
上等な反物のような美しく流れる白髪、卵のような滑らか顔だちに整った鼻梁と薄いが形の良い唇、細いが美しい筋を描いた目、細いが健康的な腕と足、見るからに女性的と分かる肢体はメイド服と呼ばれる本で読んだ異国の使用人の衣服に包まれているが実に似合っている。
百人いれば百人が振り返る美女。
しかし、その輪郭は蝋燭の火のように青く朧げに揺れ、どこか現実身がない。
「久しいな座敷童子」
「ご無沙汰しております。王・・」
女性は、メイド服のスカートを両手で摘み、優雅に頭を下げる。
座敷童子に呼応するように屋敷が震える。
「突然来てすまぬ」
「いえ、王ならいつでも歓迎致します」
座敷童子は、深々と頭を下げる。
「本日のご用件は?また、白蛇の僕共が持参した捧げ物の保管でしょうか?」
「保管か……」
黒狼は、黄金の双眸を細める。
「あながち間違っていないのが皮肉だな」
黒狼は、視線を送り、アケに前に出るよう促す。
アケは、恐る恐る足を踏み出す。
座敷童子の細い目が大きく開く。
「此奴を住まわせてやってくれ」
えっ?
アケは、黒狼の言葉に驚き、蛇の目を向ける。
「まあまあ!」
座敷童子が歓喜の声を上げる。
「こんな可愛らしい方が私に住まわれると!?」
座敷童子の美しい顔が輝く。
アケの顔が固くなる。
(可愛い!?)
私が?
こんな醜い私が!?
しかし、そんなアケの心境など気にもせず黒狼は鼻頭で背中を押す。
白無垢でバランスの取れないアケはそのままよろけて座敷童子の胸に倒れ込む。身体は確かにあるのに温もりも感触も感じなかった。
「お嬢様、私にようこそ」
座敷童子は、満面の笑みを浮かべる。
「では、参りましょう」
アケは、戸惑いながら黒狼を見る。
身体から白い湯気を放つ黒狼は、黄金の双眸を柔らかく細め、顎を動かす。
「ゆるりと休め」
そう告げると身体を起こし、踵を返して森へと向かっていった。
座敷童子は、スカートの端を摘んで優雅に黒狼を見送る。
アケは、何かを告げようとするも何も出来ないまま去り行く彼の姿を見送った。
屋敷の中は散らかり放題、荒れ放題だった。
木板の廊下は埃で汚れ、所々が抜けている。白かったはずの壁は色を失い、天井の隅には蜘蛛の巣だけでなく、見たこともない虫が這い回っている。窓は外観で見た通りに外れ、曇り、透明さを失っている。
座敷童子は、豪快に音を立てる階段をアケを引きながら登り、一階と同じような光景の廊下を歩きながら一つの扉の前に辿り着く。
その扉だけは新品のようだった。
美しく、品のある金の取手の付いた木の扉は下ろしたてのよう。
「たった今綺麗に致しました」
座敷童子は、嬉しそうに微笑む。
「綺麗に……した?」
アケは、意味が分からず眉を顰める。
「どうぞお寛ぎ下さい」
扉が音も立てずに勝手に開く。
アケは、蛇の目を大きく見開く。
朝焼けを取り込むどこまでも透明な大きな窓、風に揺れる薄手のカーテン、汚れのない白い壁、草よりも柔らかな絨毯、そして本の中でしか読んだことないような天蓋のついた大きなベッド……。
「お嬢様のお部屋にございます」
座敷童子は、優雅に頭を下げる。
「どうぞゆやっくりとお休み下さい」
座敷童子の身体が蝋燭を吹き消すように消える。
扉がゆっくりと閉まっていく。
一人残されたアケは何が起きたのか分からないままに部屋の中を見回す。
(何が……どうなってるの?)
なんで自分はこんな扱いを受けてるの?
次々と起きる予想もしない出来事に頭が破裂しそうだ。
アケは、吸い込まれるようにベッドに近寄り……そのまま倒れ込む。
柔らかい……。
こんな柔らかいもの……触れたことがない。
蛇の目から涙がこぼれ落ちる。
目の前が霞む。
頭がクラクラして何も考えられない。
綿帽子が外れ、アケの絹のような滑らかで長い黒髪が散らばるように広がる。
アケは、蛇の目を開けておくことが出来ず、そのまま眠りの中に落ちていった。
『猫の額に迎え』
憎しみと嫌悪。そして恐怖の混じった声がアケに投げつけられる。
アケは自分に声をぶつける豪奢な衣装で着飾った猿のような老人を見る。
『猫の額に行き金色の黒狼を始末しろ』
老人は、冷徹に目を細め、アケを睨む。
『これは天命であり、お前の罪を清める為の大切な使命ある。この国の為、民の為、お前の命を持って全うせよ」
罪……。
私の罪……。
なんの?
なんの罪なの?
私は……何のために生まれてきたの?
『分かったなジャノメ。この化け物が!』
老人は、憎々しげにアケに言葉をぶつけ、去っていく。
違う……!
アケは、去っていく老人に言葉を違う。
『私は、ジャノメではありません!どうか……どうが名前を……私の名前を呼んでください……殿下……殿下……』
「お父上様……!」
アケは、目を開ける。
右腕が天蓋に向けて伸びている。
アケは、何が起きたのか?ここがどこなのか分からず、蛇の目と首を動かし、身体を起こす。
(ここは……)
目の前に広がる見慣れぬ景色にアケはどこにいるかを思い出す。
(私・・寝ちゃったんだ)
白無垢を着たまま寝てしまったからか身体が痛い。
ひょっとしたら顔に寝跡か涎でもついてるのではないかと、触ろうとして……笑う。
自虐的に。
醜い自分の顔なんて誰も気にしはしない。
しかも、人なんて存在しないこの猫の額で。
白い部屋の壁が橙色に染まる。
絨毯に天蓋の長い影が落ちている。
窓の外を見るとさっき登りかけていた日が落ちかけ、空に丸い月が浮かび始めているのが見える。
どうやら半日以上眠ってしまったらしい。
「そんなに眠って大丈夫だったのかな?」
自分は、捧げ物なのに……。
それとも自分のことなんてもう忘れ去られてしまったのだろうか?
こんな醜く何の価値のない女のことなんて……。
アケの脳裏に黒狼の黄金の双眸が浮かぶ。
「あの方も……忘れてしまったのかな?」
威厳と畏怖と、そしてどこか優しさを持ってアケを見つめる目。
その目を思い出し……何故か切なくなった。
でも、探さないと……。
彼を側で、彼を殺す。
(それが私の存在意義なのだから……)
アケは、意を決し、扉に向かおうとする。
コンコンッ。
音がする。
窓を叩く音が。
(えっ?でもここって二階じゃ……)
そう思って振り返り……絶句する。
窓硝子に顔が張り付いていた。
白い頬をべったーと貼り付けて、緑色の大きな目で部屋の中をじっと覗き込んでいる。
「ひっ」
アケは、思わず悲鳴を上げて後退る。
窓に張り付いた小さな口が動く。
あ・け・て。
そう言っているのが分かった。
しかし、アケはいい知れぬ恐怖にたじろぎ、近寄れない。
あ・け・て。
緑色の目が悲しく、大きく潤む。
アケは、きゅっと胸を締められ、怯えながらも近寄り、窓の鍵を外した。
刹那。
緑色の塊が部屋の中に飛び込んでくる。
「ぷーはー!」
明るく可愛らしい声が部屋の中を響き渡る。
波がかった新緑の髪、大きな新緑の目、幼いが彫りのある滑らかな輪郭、綺麗な鼻梁に愛らしい唇、華奢な体には色鮮やかな反物が包帯のように巻き付けられていた。
そして……。
「つば・・さ?」
彼女の腕は翼だった。
いや、翼腕と呼ぶべきか?
髪と目と同じ新緑の羽毛に包まれた綺麗な翼腕。
鳥のような大きな翼を支える骨格は細い人間の腕のようで、先端には手と五本の指が生えている。
「姑獲鳥?」
アケは、本で読んだ翼の生えた人形の物の怪の話し思い出す。
「いやーやばかったー!」
翼腕の少女は大きく羽ばたかせながら豪快に笑う。
「このまま窓とほっぺがくっついて座敷童子合体しちゃうかと思ったよ!ガッシーンッて!」
緑翼の少女の豪快な笑いながら両翼腕を振ってポーズを決める。
「は……はあ」
アケは、どうリアクションしていいか分からず、頬を引き攣らせる。
緑翼の少女は、緑色の大きな目を輝かせてアケを見る。
「あんたが捧げ物?」
緑髪の少女が興味津々と言った表情で聞いてくる。
「はっはいっ」
アケは、姿勢を正して頭を下げる。
「白蛇の国から参りましたジャノメと申します。どうぞ皆様のお気に召すようお使い下さい」
アケの言葉に緑翼の少女はきょとんっとした表情を浮かべる。
(可愛いなぁ)
アケは目の前の少女に嫉妬する。
(私もこんな可愛かったら……)
愛されたのかしれない……。
アケは、きゅっと右手を握りしめる。
そんなアケの気持ちを他所は緑翼の少女は、翼を器用に動かしながらマジマジと見る。
「ねえ、使うって・・何をどう使ったらいいの?」
緑翼の少女は、眉を盛大に顰めてアケに訊く。
本当に分からなくて困っているようだ。
改めて訊かれるとアケもどう答えて良いか分からなかったが、とりあえず思いつく限りのことを口にする。
「まあよくあるものだと召使いとか……奴隷とか……ですかね?」
自分で口にして嫌だなぁと思う。
黒狼に近づくにはいい方法かもと思うが、最後くらいは穏やかにいきたい。
「召使い……奴隷……」
緑翼の少女はアケが口にした言葉をを反芻する。段々と青ざめ、こめかみを引き攣り出す。
「あ……あんた……そっち系なの!?」
そっち系?
アケは、分からず首を傾げる。
「私……こんな陽キャ風だけどノーマルだからね!?」
陽キャ?
ノーマル?
猫の額特有の言語だろうか?
「まあ、決して百合に興味がない訳じゃないけど……」
そう言って恥ずかしそうに両手を頬に当てる。
百合・・お花がどうしたと言うのだろう?
「でも、やっぱりそういうことは素敵な殿方と……」
(賑やかな人だなぁ)
千変万化な彼女に感心しながらもこのままじゃ話しが進まないと思ったのアケは言葉を振ることにする。
「あの……何か私にご用事があったのでは……」
アケが恐る恐る言う。
緑翼の少女は目夢から覚めたように目を大きく開き、「おーっ」と声を上げる。
どうやら本気で忘れていたらしい。
アケは、人生で初めてイラッとした。
「お腹空いたでしょ?」
「えっ?」
唐突な彼女の質問にアケは戸惑う。
「ご飯の準備が出来たから一緒に食べようだって!」
ご飯?
アケは、意味が分からず首を傾げる。
「私と……ですか?」
今度は緑翼の少女は首を傾げる。
「あんた以外に誰かいるの?」
やはり私のことだったとアケは青ざめる。
「そんな……畏れ多い……」
アケは、思わず後ずさってしまう。
黒狼に近づけるのは好機だと思う。でも、一緒に食べるだなんて……。
アケは、緊張と恐怖に心臓がバクバクするのを抑えられなかった。
「私は、適当に何か食べますのでどうかお気になさらず……」
アケは、これ以上言葉を続けることが出来なかった。
賑やかな笑みを浮かべていた緑翼の少女の顔が一変し、頬を真っ赤にして形の良い眉が吊り上がる。
明らかに怒っている。
アケは、全身から血の気が引いていくのを感じた。
このジャノメが!
老人が憎しみと蔑みを込めた目でアケを睨む。
(やめて……)
アケは、蛇の目を震わせる。
(そんな目で……見ないで……)
アケは、胸中で懇願する。
緑翼の少女は、翼腕を器用に動かしながら怒り顔でアケに近寄る。
「あんたねえ・・」
緑翼の少女は、キッとアケを睨む。
「ご・・・ごめ・・」
「人の好意は素直に受けるの!」
緑翼の少女は、顔を真っ赤にして叫ぶ。
刹那。
緑翼の少女とアケの間に水色に輝く円が展開する。
アケは、蛇の目を大きく見開く。
「水曜霊扉」
水色の円の中に複雑な紋様が描かれていく。
「開放!」
刹那。
無数の水滴がウグイスの周りに現れる。
水滴達は意思を保つように飛び交いながらその身をくっ付け、融合し、大きな両の手に変化する。
アケは、呆然と水で出来た両手を見る。
水の両手は、空を泳いでアケの両隣に来るとそのまま人形のようにがっちりと掴んだ。
「へっ?」
「いっくよー!」
緑翼の少女は、大きく翼を羽ばたかせる。
それに呼応するように水の手はアケを掴んだまま浮かび上がる。
アケは、驚きのあまり声を発せない。
緑翼の少女が窓から飛び出す。それに張り付くように水の両に握られたアケも窓から飛び出す。
「うわー!」
アケは、大きな悲鳴を上げる。
緑翼の少女は、翼腕を大きく振り上げ上昇する。水の両手もアケを握ったまま上昇する。
薄暗くなった草原が真下に見える。
つい数時間前も上空に浮かんでいたがその時は外の景色なんて見えなかったので、初めての上空の景色、しかも遥か遠くに見える地面にアケは意識が遠のきそうになる。
そんなアケを他所に緑翼の少女は、華奢な身体を右に左にと捻らせ、気持ち良さそうに空を遊泳する。水の両手も呼応するように右に左に揺れる。
怖い。
でも……。
(楽しい……)
アケは、段々と気分が弾んでいく自分に驚いた。
「いたあ!」
緑翼の少女は、嬉しそうに視線を下す。
視線の先には白兎と背中の燃えた猪だった。
彼らも緑翼の少女に気づいて飛び跳ねる。
「いっくよー!」
緑翼の少女は、大きく翼を折りたたんで一気に下降する。水の両手に握られたアケも同時に下降する。
そのあまりの落下速度の速さにアケは顔中の筋肉を捲れ上がって骨だけになるのではないかと本気で感じた。
草原が近づく。
速度はまるで落ちない。
(ぶつかる!)
アケは、蛇の目を閉じる。
緑翼の少女は、草原にぶつかる直前に翼を大きく広げる。風圧が彼女と水の両手を止め、直角に押し上げるとそのままくるっと宙をを一回転し、地面に着地する。
「とうちゃーく!」
緑翼の少女は、万歳するように両翼を広げて微笑む。
その隣に水の両手も着地するとパァンっと弾けてアケを残して消え去る。
アケは、戻ってきた重力と胸中を走る恐怖と快感に耐えきれずその場にへたり込む。
「ぷぎい」
猪が心配そうにアケに近寄り、大きな鼻を彼女の頬に擦り付ける。
「ど派手なエスコートだね」
白兎は、舌を巻く。
「大丈夫かい?ええっと……」
「……ジャノメです」
アケは、猪に支えられながらゆっくりと立ち上がり、頭を下げる。
「変な名前よね」
緑翼の少女は、肩を竦める。
「もっと可愛い名前にすればいいのに。人間のセンスってマジ分かんない」
緑翼の少女の言葉にアケは苦笑いすることしか出来なかった。
「あっ私達にも名前あるけど人間には発音出来ないから適当に呼んでね」
緑翼の少女は、にっこりと微笑む。
「可愛い名前でお願い」
緑翼の少女に同意するように白兎は頷く。
「ところで王は?」
緑翼の少女は、キョロキョロ辺りを見回す。
アケもそう思っていた。
黒狼はどこに?
彼がいないと意味がない。
「もうすぐ来ると思うよ」
白兎は、沈みかけた夕日を見て言う。
「獲物でも仕留めてくるんじゃないかな?」
「そっか」
緑翼の少女は納得するように頷いてからアケを見る。
「先食べちゃおうっか」
「えっ?」
アケは、驚く。
主人が来る前に食べる?
「よ……よろしいのですか?」
「いいの、いいの」
緑翼の少女は、あっけらかんと答えるとアケの手を握ってぐいぐい引っ張っていく。見かけよりも強い力によろけそうになる。
「ばあーんっ!」
緑翼の少女は、ニコーッと笑って両翼腕をを広げて地面を指差す。
アケは、ぎょっと蛇の目を剥く。
それはなんとも異様で野生味溢れる光景だった。
締められたばかりの血の浮き出た岩魚、土の塊のような汚れた芋、草原に生えてるのをそのまま抜いたとしか思えない草、熟しきってない青々とした果物……。
それらが土の地面の上にどかっと置かれている。
アケは、思わず頬を引き攣らせる。
「ご馳走でしょ?」
緑翼の少女は、にこっと笑う。
その笑顔を見るだけで彼女……彼女達に何の悪びれもないことが分かり、更にリアクションに困っていると……視界の端に黒い山のようなものが映る。
それは大量に積まれた黒い豆だった。
「アレは?」
「王のご飯だよ」
ウグイスは、さらっと答える。
「王、アレしか食べないんだ」
緑翼の少女は、その場にしゃがみ込んで少しだけ青色の林檎を二つ取る。
「食べよ」
ニコッと笑って林檎をアケに渡す。
恐らく青虫が食べたのか?所々に小さな穴が開いている。
アケの本能が食べるのを全力で拒否するも緑翼の少女の無垢な笑顔を見ていると拒否出来ない。
「……いただきます」
アケは、意を決して林檎を齧る。
緑翼の少女もそれを見て一緒に齧る。
刹那。
「すっぱい!」
「すっぺ!」
口に含んだ瞬間、酸味という名の暴力が口の中で大暴れする。
緑翼の少女はオエっと吐き出し、アケも吐きたくなったがはしたないと思い留まり、何とか飲み込む。
「これヤバいわ」
緑翼の少女は、青ざめた顔で舌を出す。
「口直ししよ」
そう言って芋を一つ取り、指先で器用に土を払って口に運ぼうとする、と。
アケが緑翼の少女の手思い切り叩く。
芋が緑翼の少女の手を離れて地面に転がる。
緑翼の少女は、アケの予期せぬ行動に驚く。
「何すんのよ!」
緑翼の少女は、柳眉を釣り上げて怒る。
しかし、アケは臆した様子も見せず。転がった芋を拾う。
「これは毒です」
「へっ?」
緑翼の少女は目を丸くする。
「ここを見てください」
アケは、芋の表面からニョキっと生えた白いものを指差す。
「これはジャガイモです。この芋の芽には毒が含まれていて食べると腹痛や頭痛、ひどいと痙攣を起こします」
アケの説明に緑翼の少女は口をアワアワさせる。
「だから、これ食べるとお腹壊しやすかったのか!」
「……既に食べてたんですね……」
アケは、がっくりと肩を落とす。
「いや、ジャリジャリしてるけど美味しいからさ。それにお腹壊すといっても毎回じゃないし!」
緑翼の少女は、あっけらかんと笑って髪を掻く。
ジャガイモの芽をたくさん食べてその程度で済んでるのはやはり人間とは身体の構造が違うからなのか?
「これ美味しかったのになあ」
未練がましそうにアケの手に握られたジャガイモを見る。
「芽を取って料理すれば問題ないですよ」
アケが言うと緑翼の少女がきょとんっとする。
アケは、意味が分からず顔を顰める。
「料理ってなに?」
アケは、その言葉に雷を浴びたような衝撃を受ける。
料理を……知らない?
アケは、恐る恐る白兎と猪を見ると表情こそ変わらないものの同じようにきょとんっとしている。
本当に知らないのだ。
アケは、驚きに言葉を発することが出来ずにいた。
その時だ。
黒く大きな影がアケ達を包む。
双子の月のような黄金の双眸が見下ろす。
「王!」
緑翼の少女が音もなく現れた黒狼を見て嬉しそうに笑う。
アケも同じように見上げ、絶句する。
夜空に輪郭を溶けさせながらも神々しい威厳と威圧を放つ金色の黒狼。
その大きな顎に咥えられるのは首の骨の折れた大きな鹿であった。
「良い大きさですね。王」
白兎が鼻をヒクッと動かし、嬉しそうに言う。
黒狼は、口に咥えた鹿をそっと足元に置くと金色の双眸をアケに向ける。
「身体は休めたか?」
「はっはい」
アケは、身を固くして頭を下げる。
「私などを気遣っていただき、恐悦至極にございます」
身を縮こませるアケを黒狼はきつく目を細めて見る。
「そうか」
黒狼は、足元に置いた鹿に目を向けると、突然噛みついて腹の皮を引きちぎった。
血が飛び散り、赤い肉が露出する。
アケは、突然のことに何が起きたか分からず動揺する。
黒狼は、引きちぎった皮を吐き捨てると黄金の双眸をアケに向ける。
「新鮮な肉だ」
黒狼は、前足で鹿を押してアケの前に持っていく。
「堪能せよ」
アケは、黒狼の言葉の意味が分からなかった。
これを……食べろと?
アケは、血の気がさあっと引いてくのを感じる。
白兎も、猪はじっとアケを見る。
食べないの?王の好意を無碍にするのと視線で訴える。
「あれ……ひょっとして……」
何かに気付いた緑翼の少女がそっとアケに近寄って唇をアケの耳に寄せる。
気付いてくれたんだぁとアケは嬉しそうに笑うが……。
「これにも毒あるの?」
違った……。
アケは、再び絶望する。
黒狼がじっとアケを見る。
黄金の双眸から滲み出る威厳と圧、そしてその奥に潜むアケへの労り……。
アケは、どうしたものかと悩んだ末……。
「あの・・・!」
アケは、自分でも驚くくらい大きな声を上げる。
「お塩はありますか?」
「お・・しお?」
白兎がつぶらな赤い目をぱりくりさせる。
「あと何か調理する道具は?」
「道具?」
緑翼の少女は、首を傾げる。
「ございますよ」
背後から品のある美しい声が聞こえる。
振り返ると離れた所にあったはずの青い尖り屋根の屋敷が背後に建っていた。
アケは、突然現れた屋敷に驚く。
扉が音を立てずに開き、ポイポイと物が外に投げられる。
塩と大きく書かれた麻袋。
真鍮の鍋。
黒光りする鉄板。
お玉、木ヘラ、それに菜箸までありとあらゆる物がアケの足元に放り投げられる。
「ずっと昔の捧げ物です」
扉から顔を出した座敷童子が美しい笑みを浮かべて言う。
「お好きにお使いください」
アケは、足元に置かれた道具を見る。どれも触れたことのないような素晴らしい品々。
お塩も古いものとは思えない新鮮なのもの。
でも……。
「包丁はありませんか?」
座敷童子は首を傾げる。
「武器みたいな……物を切る道具です」
アケに言われて座敷童子は、ポケットを漁るように自分の身体を弄る。
「そう言ったものはなさそうです」
「そうですか……」
それじゃあ調理出来ないと肩を落とし掛け……気付く。
腰帯に差した短刀に。
アケは、腰帯から短刀を抜き、朱色の封を剥がして鞘を抜く。
滑らかな刃が月の光に揺らめく。
これなら……。
アケは、意を決し、重い白無垢を玉ねぎの皮を剥ぐように脱ぎ捨て、赤い肌着だけになると腰帯を背中に回して襷にする。
そんなアケを緑翼の少女と白兎、猪が唖然と見る。
黒狼だけが冷徹に黄金の双眸を向ける。
アケは、唾を飲み込み、息と共に言葉を吐く。
「私・・・料理します!」
黒狼は、鹿の足を傷つけないように咥えて持ち上げる。
「これで良いか?」
鹿を咥えた口の隙間から器用に声を漏らす。
「はい。お使いだてして申し訳ありません。主人」
アケは、深々と頭を下げる。
「主人……」
黒狼は囁くもアケの耳に入らない。
頭に浮かんだ手順通りに作業を進めていく。
まずは、鹿の首筋に短刀を当てて一気に引く。
首筋から大量の血が流れ、草を赤く染める。
次に鹿のお尻からお腹にかけて大きく切れ目を入れていく。膀胱や腸に傷を付けないよう丁寧に。
(皮を剥ぎ取ってもらってたからやりやすい)
手応えもよく分からないままに筋肉を切り、膜を破る。
その途端に鹿のお腹に詰まっていた内臓が雪崩のように落ちる。
緑翼の少女が青ざめた顔で「ひっ」と小さな悲鳴を上げる。
これで良し!
アケは、満足げに頷く。
「ぷぎい」
猪が嬉しそうに声を上げてアケを呼ぶ。
「主人。もう少しで血が抜けると思うのでお願いしてもよろしいですか?」
アケが恐る恐る言う。
黒狼は、黄金の双眸を細めて主人……と小声で不満そうに言いながら「分かった」と答える。
アケは、猪の方に向かう。
猪の足元には木の皮に乗せた川魚が並んでおり、綺麗に鱗が剥がれていた。猪が蹄を使って丁寧に剥がしたのだ。
「上手よ。偉いね」
アケは、口元に笑みを浮かべて猪の鼻を撫でる。
猪は、触れしそうに「ふぎい」と鳴く。
「ジャノメー!」
白兎が子どものように甲高い声で叫びながらぴょんぴょんとこちらに跳ねてくる。
「川で洗ってきたよ」
そう言ってピカピカに磨かれた鉄板と鍋、さして土の洗い落とされたジャガイモを見せる。
「ありがとう」
アケは、口元を綻ばせて礼を言う。
白兎は、鼻をヒクッとさせて嬉しそうに赤目を輝かす。
アケは、猪が鱗の取った魚を木の皮の上に置くとその腹にゆっくりと包丁の先を突っ込み、横に引くと赤黒い血が流れる。
再び緑翼の少女が悲鳴を上げる。
「背中の火を借りてもいい?」
アケの言葉に猪は小さく首を傾げて「ふぎい」と鳴く。
いいよ、と言ってくれたのだとアケは捉えた。
「この子の背中に鉄板を置いてくれますか?」
アケは、白兎に頼む。
白兎は頷くと磨いたばかりの鉄板を猪の背中に置く。
炎が鉄板に潰され、隙間から小さな舌を出す。
猪はその場に腹を付けてじっとする。
アケは、鉄板の表面に手を平を近づける。
「よしっ」
アケは、大きく頷くと熱された鉄板に鹿の脂をたっぷり塗って腑を抜いた岩魚を置いた。
「なにしてんの!」
緑翼の少女が慌ててアケに駆け寄る。
「焼くんです」
「焼くぅぅぅ!?」
緑翼の少女は、素っ頓狂な声を上げる。
「炎は、少し弱めでお願いします」
「ぷぎい」
猪は、アケに言われるままに炎を弱める。
さて、次は……。
アケは、大鍋を持ち上げ、緑翼の少女に向く。
「お水……頂けますか?」
緑翼の少女は、びっくりして目を大きく開く。
アケは、躊躇いながら鍋を差し出す。
「少しでいいので……お願いします」
「りょっ了解!」
緑翼の少女は、鍋に手を翳す。
手の平の周りに水色に輝く小さな円が現れ、複雑な紋様を描く。
「水曜霊扉」
円が輝き、無数の水滴が浮かぶ。
「開放」
水滴は、鍋の中に穿つように飛んで集まっていき、たっぷりと埋まっていく。
「ありがとうございます」
アケは、嬉しそうに言うと鍋を猪のお尻に置く。
お水は直ぐにお湯になって沸騰する。
アケは、塩と書かれた袋の封を丁寧に破き、手の平で塩を掬う。
「これって……」
「しょっぱいですよ」
アケは、口元を緩めてお湯の中に塩を入れ、その隣で焼いている岩魚にも塩を振りかけ、ひっくり返す。
岩魚の皮はパリッと焦げ目が付いており、香ばしい匂いを漂わさる。
緑翼の少女の目が大きく見開く。
「ねえ……これって」
「まだですよ」
アケは、そう言って岩魚に塩を振りかける。
アケは、白兎の洗ってきたじゃがいもを手に取ると短刀を使って綺麗に皮を剥がし、芽をくり抜き、手のひらの上でサイコロ状に切ると沸騰した鍋の中に丁寧に入れる。
「さてと……」
最後の仕込みだ。
アケは、血の抜け切った鹿に向かい合う。
「血の濡れてない場所に降ろしてもらえますか?」
「分かった」
黒狼は、鹿を咥えたまま猪の側に近寄り、鹿を離す。
アケは、礼を言って鹿の前にしゃがみ込む。
「よし」
アケは、気合と共に鹿の肉に短刀を突き刺すとすうっと横に引いて、肉を薄く剥がす。
緑翼の少女は、死んでるとはいえ残虐とも言える光景に悲鳴を上げそうになる。
(肉を捌くのなんて久しぶりだな)
あの子がいた時は鹿だけでなく猪や兎も……と思いかけて考えを振り払う。
二人をチラッと見て申し訳なさそうに頭を下げてから再び仕込みに戻る。
「ふうっ」
アケは、大きくを吐き、血に汚れた短刀を置き、手をグッ、パー、グッ、パーする。
木の皮の器には厚く、平に切った肉と肉を削ぎ落とした肋骨が乗っている。
「ね……ねえジャノメ……」
緑翼の少女は、青ざめた顔で声を掛けてくる。
「この……スプラッターはどうするの?」
スプラッター?
猫の額の言葉はよく分からない。
「焼きます」
緑翼の少女の顔が更に青くなる。
「煮込みます」
青から土色に変わる。
アケは、木の皮の器を持って猪に向かい、肋骨を鍋に、平の肉を鉄板の上に綺麗に並べていく。
鉄板の熱に当てられて肉の表面に脂が浮き上がる。
「鹿肉って脂が少ないのに凄いなあ」
アケは、感心してお肉を見る。
これだと……。
アケは、鍋を見る。
透明な油面に暗い泡ぶぐ浮き上がる。
「凄いアク」
アケは、お玉を使ってせっせとアクを取っていく。
緑翼の少女たちはアケが何をしてるか分からず目を丸くして見る。
アケは、アクを取りながら菜箸で肉をひっくり返し、表面に塩を振っていく。
アクが完全に無くなったのを確認し、刻んだ草……香草を入れる。
平の肉と岩魚にも振りかける。
肉の、魚の、そしてお鍋からの濃厚で刺激的な香りその場にいる全員の鼻腔から体内に入り込み、胃袋を激しく刺激する。
緑翼の少女の口から涎が溢れる。
少女だけではない。
白兎も、猪も、座敷童子も見た目と音と匂いに全身を刺激され、涎を溢れさせる。
「出来ました」
今日の献立。
鹿肉の炙り焼き。
岩魚の塩焼き。
じゃがいもの鹿骨出汁。
「どうぞご賞味ください」
そう言ったアケの顔は猫の額に来て一番に輝いていた。
「「美味ーい!!」」
夜の帷の降りた草原に甘美と歓喜の声が響き渡る。
「お肉が柔らかくて甘ーい!」
緑翼の少女は、お肉の炙り物の乗った木の器を大事に抱え木の枝で突き刺した肉をガツガツ食べる。
「お肉の表面に切れ目を入れて筋を切って火を通りやすくしたんです。それだけで十分柔らかくなるし、お塩がお肉本来の甘みを更に引き立たせるんです」
緑翼の少女は、「すごーい!」と感心しながらお肉にも齧り付く。
「魚が臭くない」
白兎が鼻をヒクヒク動かして両手に持った岩魚の焼き物の匂いを嗅ぐ。
「香草のおかげです。臭みを消して香り高くしてくれるんです」
「皮もパリッとしてるのは?」
「焼いて水分を飛ばしたからです。逆に中の身は柔らかくなってお塩が更に味を引き立てくれます」
「これは何と表現すれば良いのでしょう?」
青い尖り屋根の屋敷の中で座敷童子が戸惑ったように言う。彼女の前には、漆塗りの腕……何十年前の捧げ物の一つ……に入れたじゃがいもの鹿骨出汁が置かれている。
「甘くて……舌に絡んで……重いような……でも軽やかで何度も飲みたくなるような……」
「それはコクって言うんです」
アケは、口元を綻ばせて言う。
「鹿のお肉と骨、じゃがいも達から滲み出たお出汁がお互いを引き立てあって味を作ってるんです」
アケの説明に座敷童子は、目を丸くする。美しすぎる顔が驚く様は子どもみたいで微笑ましい。
「これさっきのお芋なんだよね?」
緑翼の少女もお椀を持ってじゃがいもを口に運ぶ。
「いつもシャリシャリして固いのに……そのなんて言うか…」
「ホクホク?」
アケが言うと緑翼の少女は目を緑玉のように輝かせて「それだー!」と叫ぶ。
「これが料理っていう魔法なの?」
緑翼の少女はふんふんっと興奮に鼻を鳴らしながら聞いてくる。
「料理は魔法ではなくて技術です。ご飯を美味しく食べるための知恵……ですかね?」
何と答えたら良いか分からず戸惑う。
「ふうんっ」
緑翼の少女は、枝に刺したお肉を見る。
「白蛇の国の住民はみんな出来るの?」
「どうですかね?私の場合は……必要に迫られたから……ですかね?」
そう言って蛇の目を反らす。
「ふーんっ。ところで……」
緑翼の少女は、ジト目でアケを見る。
「あんたさっきっから何してるの?」
アケは、猪のお尻の前に座って背中の上に置いた鍋と向かい合ってる。
猪は、顔の前に置かれた料理をガツガツ食べてお尻の上を弄られてるのをまるで気にしてない。
「用意してくださった食材にクロモジがあったので皆様のお茶にしようかと……」
アケは、グツグツ煮える鍋をじっと見る。
緑の少女の目が更にジトーとなる。
「食べたの?」
「?いえ、皆様が食べ終わった後に残った物を頂こうかと」
召使いなら当然だ。
しかし……。
翠翼の少女は、柳眉を釣り上げ、肉の乗った木の皮の皿を持ってズカズカと近寄り、アケの前に座る。
「はいっ!」
緑翼の少女は、枝に刺した肉をアケの口の前に持っていく。
「えっ?」
アケは、訳が分からず顔を顰める。
「さっきも言ったでしょう?」
緑翼の少女はむっとアケを睨む。
「ご飯はみんなで食べるの!」
そう言ってアケの口にくいっと肉を寄せる。
「あーんっ」
「でも・・・」
「あーんっ!」
絶対に拒否を許さない少女の気迫。
アケは、観念して「あーんっ」と小さく口を開く。
肉が口の中に入る。
温かい。
柔らかい感触と塩味、そして噛めば噛むほど滲み出てくる脂と肉の旨味に頬が溶けそうになる。
「美味しい……」
肉を飲み込み、アケは思わず声に出す。
「ねっ」
緑翼の少女はまるで自分が作ったかのように自慢げに笑う。
「みんなで食べると美味しいでしょ?」
「……はいっ」
アケは、オズオズと頷く。
本当に……美味しい。
アケは、目が潤みそうになるのを堪える。
視界の端に何かが転がってきてアケの膝に当たる。
(小石……じゃない?)
アケは、転がってきたそれを拾う。
それは食材の近くに山積みされた黒い豆だった。
酸味のあるある匂い。しかしどことなく甘い香り。
アケは、黒い豆が転がってきた方を見る。
黒狼が大きな顎を開いて黒い豆を齧っている。
「主人・・」
アケの声に黒狼は黒い豆を食べるのを止め、顔を上げる。
「・・なんだ?」
威厳と気品の溢れる声。
アケは、一瞬、臆するも口を開く。
「料理……お気に召しませんでしたか?」
アケは、王の前に置かれた料理は一つも手をつけられていなかった。
「そうじゃありませんわ」
黒狼の代わりに座敷童子が答える、
「王は、それしか食べないんだ」
白兎は、そう言って岩魚の頭を齧る。
アケは、蛇の目を大きく見開いて手に持った黒い豆を見る。固くてアケの歯では食べれそうにないが、黒狼の咀嚼力なら可能だろう。
「でもさ……」
緑翼の少女が不機嫌に黒狼を睨む。
「せっかく料理?ってのしてくれたのに食べないのは失礼じゃない?王?」
目上の……しかも王と呼称する者にあり得ない態度と口調にアケは青ざめる。
「いえ、悪いのはお気に召すもの作れなかった私です」
アケは、深々と頭を下げる。
「次は主人のお好みをお聞きして……」
次……?
自分で口にしてアケはハッとする。
次なんてあるの?
だって自分は……。
(主人を……殺して……)
私も……。
アケは、顔を覆う白い布に手を伸ばす。
しかし、触れない。
指先が震えてそれ以上出来ない。
(なんで……?)
何を躊躇うの?
私は……私は……。
「気に病むことはない」
黒狼は、音も食べずに起き上がる。
「好きに食べ、好きに過ごせ」
黒狼は、踵を返して森に向かう。
「あっ……」
アケは、手を伸ばすも宙を掻くだけ。
黒狼の姿は森の中に消えた。
アケは、呆然と森を見つめた。
「それよりさあ!」
緑翼の少女は、話しは終わりと言わんばかりに明るい声で言う。
「私、ジャノメの使い道を考えたの!」
「私の・・使い道ですか?」
アケは、蛇の目を丸くする。
「そう。さっき言ってたでしょう?お気に召すようにお使いくださいって」
アケは、思い出す。
確かに言った。
お気に召すようにお使いくださいって。
その途端にアケの心に恐怖が走る。
一体、何をさせられると言うのだ?
緑翼の少女はにっと笑う。
「私ね。ジャノメのご飯のファンになったの」
「ファン?」
またまた聞き慣れない言葉にアケは顔を顰める。
「好きになったってこと!明日もこうやって料理して欲しい!」
緑翼の少女の言葉に白兎と猪も顔を輝かせる。
「明日も……ですか?」
アケの言葉に緑翼の少女は、大きく頷く。
「私たちだけじゃない。ここの住民の為にご飯を作って欲しいの!」
「ここの?」
それって……。
「食堂……」
アケの脳裏に金髪の男の子の姿が浮かぶ。
姉様・・いつか二人で食堂やろう!
「ナギ……」
アケは、ほそりっと呟く。
「食堂って?」
緑翼の少女は首を傾げる。
「……沢山の人が集まってご飯を食べる場所です」
アケは、躊躇いながらも緑翼の少女に説明する。
緑翼の少女の大きく目を輝かせる?
「いいねえ!それ!」
「やろう!食堂!」
緑翼の少女の言葉に白兎と猪はおおっ!と声を上げる。
アケは、突拍子もない緑翼の少女の提案に戸惑い、思わず後退して逃げ出そうとする。
しかし、それよりも速く緑翼の少女の手が伸びてアケの手をがっちりと握る。
「私たちも手伝うから安心して!」
緑翼の少女は明るく大きな声で言う。
そして優しく微笑む。
「そこをジャノメの居場所にしよ。ねっ」
居場所・・?
アケの蛇の目を震わせる。
私の居場所……。
「はっ……」
アケの口から言葉が絞り出る。
「はいっ」
アケは、無意識に、泣きそうな声で頷いた。
次の日……。
「本当になっちゃった……」
昨日まで朽ちた屋敷であったはずの場所を見てアケは唖然とする。
朽ちかけ、汚れていた壁は真っ白に輝く。
窓ガラスがピカピカに磨かれている。
木板が貼り直されて水で何度も洗ったように滑らかに光る。
虫もいなければ空気も澱んでいない。
昨日は探索などする余裕はなかったが一階部分は確か複数の汚い扉で仕切られたと思う。それにに一晩経ったら全ての壁は取り払われ、木製のテーブルと四脚の木製の椅子が一組になって中央、右に二組、左に二組と計五組置かれている。無駄な調度品などはなく、食器の並んだ棚に質素だが実用的なランプ、扉の手前には簡単な調理場まである。
衣服も白無垢ではなく、捧げ物にあった反物の中で一番質素な茜色の生地を使って着物を仕立て、白い布で前掛けを作った。
「足りないものはございませんか?」
いつの間にか後ろに立っていた座敷童子が品良く、優雅に笑いかける。
「た……多分……私も良く分からないので……」
アケは、戸惑いながら言う。
「必要なものがあったら言ってくださいね。直ぐ作りますから」
そう言って微笑む。
作るとはどう言う意味だろう?
しかし、戸惑い過ぎてそれ位聞く余裕がない。
「あの……ウグイス達は?」
ウグイスと言うのは緑翼の少女のことだ。
あの後、自分達をどう呼ぶんだと詰められた結果、緑翼の少女をウグイス、白兎をオモチ、猪をアズキと呼ぶことにした。
名前に意味はない。
完全な思いつきだ。
しかし、三人とも大層気に入って何度も互いを呼び合っていた。
座敷童子は、元々名前がないのでこのままで良いと言われた。食堂の名前が決まったらそれで呼んでくれればいい……と。
金色の黒狼もそのまま金色の黒狼だ。
「ウグイスは、お客さんとやらを探しに、オモチは食材の調達に出てます。アズキは……」
ちらりと外に目を向ける。
草の中に身を沈めて眠るアズキの姿が見える。
昨日も思ったがどうして火が草に燃え移らないんだろう?
「直ぐに騒がしくなると思いますのでお嬢様もお休みください」
座敷童子は、そう言って頭を下げると蝋燭の火のように姿を消した。
一人になったアケはふうっと息を吐いて椅子に座る。
「私……なにしてんだろ?」
こんな"食堂ごっこ"をするためにここに来たんじゃ無いはずだ。
本当だったら今頃は目的を果たして幸せになってるはずだった。
それなのに……。
「私……なんで……」
その時だった。
「入っていいか?」
突然、聞こえてきた声にアケは抓られたように立ち上がる。
いつの間にか開かれた扉の前に男が立っていた。
年はアケと同じくらいだろうか?腰まで伸びた吸い込まれるような黒い髪に野生味のある美しい顔立ち、金糸で花の絵が描かれた長衣を纏った身体は細身だが鍛えられていることが分かる。そしてその双眸は金色に煌めいている。
(人間?)
ここに自分以外の人間が?
それに何故か男からはどこかであったことがあるような既視感を感じた。
「入っていいか?」
男がもう一度訊く。
「はっはい!」
アケは、反射的に返事する。
男は、食堂の中に入る。
その立ち振る舞いも動きも無駄なく美しい。
アケは、思わず見惚れてしまう。
「何か……御用でしょうか?」
アケは、恐る恐る訊く。
男は、黄金の双眸を細める。
「食事を」
「えっ?」
「食事をしにきた」
男の言葉に今度はアケが驚く。
「食べにこられたのですか?」
「当たり前だろう。ここは食堂というやつなのだろう?」
アケの心臓がバクバクと高鳴る。
まさかこんなにも早く、しかも一人で来るなんて……。
「座っていいか?」
「は……ハイっ!どうぞこちらへ!」
アケは、頭が取れてしまいそうな勢いで垂れ、自分の座っていた椅子を引く。
男は、優雅に椅子に座る。
アケは、動揺する気持ちを抑え、口を開く。
「ご・・ご注文は!?」
食堂が始まります!




