姉弟
胃袋を喜ばせる刺激的や香りが草原いっぱいに広がる。
柔らかな湯気が月と星の照らす夜空に妖精の残した筋のように昇っていく。
柔らかな炎の揺らめきに合わせるようにアケはアズキの背に乗った大鍋を掻き回す。
大鍋の中では月明かりに照らされた食欲を唆るトロォッとした茶色い液体の中で野菜と大きな鹿肉の塊が楽しそうに泳いでいる。
隣の大きな土鍋では蓋がガタガタと揺れて白い泡ぶくを吐きながら甘い香りを漂わせている。
アケは、和かな笑みを浮かべて楽しそうに調理する。
そんなアケの背中に青いとんがり屋根の小さな家の中で大切な仲間達が優しく、そして「まぁだぁ?」と涎を垂らしながら待っている。
アケは、幸せそうに蛍色の目を細めながらゆっくり、じっくり大鍋を掻き回す。
「「いっただきまーす!」」
月とアズキの炎に照らされた草原に幸せな声が響き渡る。
オモチは、大皿に盛られた白いご飯に茶色の液体の掛けられた料理に顔ごと突っ込んで齧り付く。
「美味い!美味い!美味い!」
オモチは、一心不乱に齧り付く。
「落ち着いてください。オモチ。たくさんありますから」
「そうは言っても身体がエネルギーを求めるんだよ」
白い顔を茶色く染めて鼻をヒクヒク、赤い目を輝かせてオモチは甲高い声で言う。
「こんな弱々しい姿じゃ王の従者失格だからね」
そう言って小さくなった自分の身体を見る。
今も十分可愛らしくて好きなんだけどなぁとアケは思ったが本人が気にしてるようなので敢えて言わなかった。
外見のことを言われる辛さは誰よりも知ってるから。
「これはなんと言うお料理ですか?」
とんがり屋根のお家の中から同じ小さな幼女になった座敷童子が口の周りを茶色く汚してアケに質問する。
「咖哩って言います」
口の周りを拭いてあげたい衝動に駆られながらアケは言う。
「お肉とお野菜の出汁にたくさんの香辛料を入れて味付けしたものです。辛いけどご飯にかけると美味しいんですよ」
「確かに辛いけど……」
座敷童子は、木の匙で掬って口に運ぶ。
「ご飯と食べるとまろやかになって美味しいですわ」
「美味辛いってやつだね」
オモチは、満足そうに咖哩の無くなったお皿を舐める。
「キュイ!」
「キュイキュイキュイ!」
「キューイン!」
小鬼三兄妹も同意するように声を上げる。全身毛だらけなのに全く汚していない。
アズキも咖哩の大鍋を背中に乗せたまま嬉しそうに咖哩に齧り付き、アケの方を見ると「美味しいよ!」と言わんばかりにプギィと鳴く。
アケは、美味しそうに咖哩を食べる仲間たちを嬉しそうに見ていると……。
「あーんっ」
膝下から可愛らしい声が聞こえる。
蛇の目と蛍色の目を向けると緑色の髪の愛らしい少女……ウグイスがアケの膝と太腿を枕にして大きな口を開けている。
「私にも咖哩ちょうだい。あーんっ」
ウグイスは、可愛い口を大きく開けて咖哩を求める。
「そんな格好じゃ誤嚥しますよ。ちゃんと起きてください」
アケが唇を尖らせて注意すると、ウグイスは「ちぇーっ」と拗ねたように言い、渋々身体を起こして……。
「きゃっ!」
アケの胸に後頭部を沈めて座椅子のように座った。
「ちょっ……ウグイスっ!」
アケは、顔を真っ赤にして抗議の声を上げる。
「あーっおっきい!柔らかーい!気持ちいい」
ウグイスは、グリグリグリアケの胸に頭を擦り付ける。
「もうっやめてください!」
アケは、顔を真っ赤にしてウグイスの両頬を掴む。
「そんなことするなら咖哩上げませんよ!」
「えーっ困るぅ。一人じゃ食べれないよぉ」
ウグイスは、大きな目をウルウルさせて言う、
蛍色の目が鏡となってウ右の翼腕の失われたウグイスの姿が映る。
アケは、蛇の目をぎゅっと細める。
「お口開けてください」
アケは、ウグイス用に用意した大盛り咖哩をよそった皿を持ち上げ、木の匙で掬う。
ウグイスは、大きな緑色の目を大きく開き、嬉しそうに微笑むと再び大きな口を開ける。
アケは、匙で掬った咖哩にふーふー息を吹きかけて冷まし、ウグイスの口に運ぶ。
ウグイスは、大きな口をぱくんっと閉じて頬張り……緑色の目を輝かせる。
「美味しい〜!」
ウグイスは、至福の感情を最大限に表した顔はまさに蕩けるようだった。
「辛いのにお肉とお野菜が甘ーい!」
ウグイスは、ほっぺたが落ちないように左の翼腕で支えて咀嚼する。
「ご飯とも良く合う……何これ?咖哩とご飯って恋人なの?相性ばっちりで直ぐ孕んじゃいそう!」
「表現が卑猥です」
アケは、呆れて嘆息しながらも咖哩をウグイスの口に運ぶ。
ウグイスは、餌付けされた雛のようにパクパク食べる。
至福に細められたウグイスの視線が森に向く。
森の中にいる人影を見る。
「ねえ……これって……あいつも食べたの?」
「あいつ?」
アケは、怪訝な表情をしながらウグイスに餌付けする。
「あんたの弟」
ウグイスは、パクンッと咖哩を食べる。
「ええっ食べましたよ。大好物です」
アケの脳裏に乏しい香辛料とクズ肉とクズ野菜で作った咖哩をガツガツ食べる幼いナギの姿が浮かび、胸に小さな針が刺さる。
「思い出のご飯?」
「そうですね。思い出といえば思い出ですけどあの子との思い出のご飯と言ったら」
アケは、ゆっくりと話す。
ウグイスは、目を輝かせて振り返ってアケの顔を見る。
アケの胸に顎を乗せる形で見上げるウグイスとアケの顔は唇が触れそうなほど接近する。
アケは、思わず顔を背ける。
ウグイスは、にんまりと、しかし真摯な口調で言う。
「ねえ……」
「姉様……」
森の木の影に隠れてナギはじっと草原で食事を楽しむアケ達の様子を見ていた。
アズキの火に照らされて料理をするアケ。
出来上がった料理をよそって配膳するアケ。
そしてウグイスと戯れながら甲斐甲斐しく食べさせるアケ。
その姿は……とても楽しそうだった。
あんな楽しそうなアケ……見たことがなかった。
(いや、違う……)
俺は、知っていた。
アケの楽しそうな、幸せそうな笑顔を何度も見てきた。
ナギ……。
アケは、優しくナギの名を呼び、そして美味しいご飯を作ってくれた。
その時のアケは……とても幸せそうな顔をしていた。
とってもとっても……幸せそうな顔をしていた。
そして……。
「俺も幸せだった」
今更、そんなことに気がつくなんて……。
アケとの生活の中に幸せがあったことを思い出すなんて……。
「馬鹿だ……俺は……大馬鹿だ」
ナギは、傷だらけの拳を握りしめ、悔しげに、悲しげに涙を滲ませる。
「会わないのか?」
背後から威厳のある声が響く。
ナギは、反射的に身を低くして振り返り、腰の刀を握りしめる。
暗闇に黄金の二つの月が浮かんでいる。
いや、違う。
それは黄金の双眸。
闇に慣れた目に輪郭が映り、巨大な狼の姿が浮かび上がる。
「金色の黒狼……」
ナギは、奥歯を音を立てて噛み締める。
「質問に答えよ」
金色の黒狼……ツキは月のような黄金の双眸を柔らかく細める。
「姉に……会わないのか?」
「会わん」
ナギは、表情を歪め即答する。
「俺には……もう会う資格はない」
「資格とはなんぞ?」
ツキの顎から吐息が漏れる。
「弟が姉に会うのに何を憚る?」
「姉様の大切なものを傷つけた」
ナギの脳裏に緑翼の少女の姿が浮かぶ。
そして彼女の右の翼腕を斬った感触も。
「そうだな」
ツキは、肯定する。
「姑獲鳥は二度と飛ぶことは叶わぬ」
ナギは、柄を握りしめる。
「そして其方の姉も其方を決して許すことはない」
ナギは、ぎゅっと目を閉じる。
「だが……会わぬことは償いにはならぬ」
ナギの目が大きく見開く。
「姉と……姉の大切なものに償うなら前を向き、己の出来うる最大限のことを提示せよ。それが償うと言うことだ」
「貴様に何が……」
「ナギ」
背後からかけられた声にナギの心臓が鐘を鳴らす。
ナギは、身体を震わせ、振り返るとそこには最愛の姉が優しい笑みを浮かべて立っていた。
「姉様」
ナギは、アケの顔……物心ついた時から塞がれていた二つの目に入った蛍色に輝く目を見て驚く。
「驚いた?」
アケは、蛍色の目の下に触れる。
「私もまだ慣れなくて……」
「そりゃまだ数時間だもの」
アケの背後から緑色の髪と翼の少女、ウグイスが現れる。
「可愛いって何度も言わなきゃ実感湧かないんじゃない?」
そう言って蛍色の目の下にチューしようとするウグイスの頬に両手を押し当てて必死に止めるアケ。
しかし、ナギの目には二人のやり取りよりもウグイスの失われた右翼腕の痛々しい痕を見る。
それに気付いたウグイスはじっとナギの顔を見て……にゃーっと笑う。
「エッチ」
そう言っていやんっと左翼腕を口元に当てて身体を隠すように左足を上げる。
「馬鹿か。貴様は」
ナギは、顔を赤らめて悪態を吐く。
「ナギ」
アケは、蛇の目と蛍色の目を怒らせてナギを睨む。
「なんて言うの?」
それは小さな弟を叱る姉そのものだった。
ナギの表情が一瞬青ざめ……そしてきょとんっとしたウグイスに向き直る腰から刀を鞘ごと抜き、ウグイスの前に差し出して深く頭を下げる。
「斬れ」
ナギは、短く、そしてはっきりと告げる。
「好きなところを好きなだけ斬れ。腕を落としたいなら右だろうが左だろうが落とせ。両方でも構わん」
ウグイスは、緑の目をパチクリさせる。
「お前から大切なものを奪った俺に償うにはこれしかない」
ウグイスは、緑の目でナギを、差し出された刀を見る。
ツキもアケも何も言わずに二人を見守る。
ウグイスは、盛大にため息を吐く。
「分かったよ」
ウグイスは、刀の柄を左翼腕で握るとそのまま抜き去る。
月と星に照らされ、刀の鈍く煌めく。
ナギは、両腕を大きく左右に伸ばし、目を閉じる。
ウグイスは、刀の重さによろけながらも天高く掲げる。
「ふんっ」
ウグイスは、刀を思い切り振り下ろす。
ナギの右腕に刃が通り抜ける。
ガキンッ!
刃の先端が地面にぶつかる。
刃先が音を立てて折れ、クルクルと宙を舞う。
ナギは、目をギョッと開く。
ウグイスは、キョトンっとした顔で折れた刀を見て、ナギを見て……てへっと小さな舌を出す。
「折っちゃった」
ナギの目が大きく見開く。
「てか、脆くない?戦いで酷使しすぎたんじゃないの?」
そう言って折れた刀をナギに投げ返す。
ナギは、唖然とした顔で折れた刀を受け取る。
ウグイスは、ナギの前を抜け、折れた刀の先端を拾い上げて、アケに向かってニコッと笑う。
「ねえ、これ包丁の代わりにならない?」
そういって刀の先端を楽しそうに振る。
「姉弟の絆ってことで?あっなら折っちゃダメか?」
アケは、「もうっ」と言った感じに呆れたように声を漏らす。そして蛇の目と蛍の目でじっとナギを見る。
「ナギ……生きなさい」
アケの言葉にナギは目を震わせる。
「生きて自分の罪と向き合って懸命に生きなさい。それが償いよ」
「姉様……」
「そうだよ」
ウグイスは、刀の先端を猫の尻尾のようにプラプラ動かしながらアケの隣に立つ。
「ちゃんと生きて大好きなお姉ちゃんに元気な姿を見せにきてあげな。それが最高の姉孝行だよ」
そう言って左目をぱちんっと閉じる。
「しかし、それではおま……貴方へのの償いが……」
「別に大丈夫だよ。空は飛べなくなったけど……」
ウグイスは、にやって笑って自分の右の頬とアケの左の頬を合わせる。
「この子が私の新しい翼になってくれるから……さ」
「ウグイス……」
アケは、頬を真っ赤に染めてウグイスを見て……小さく頷いた。
「任せて……ウグイス。私が貴方の翼になる」
「よろー」
ウグイスは、へらぁっと嬉しそうに笑う。
「だから、あんたは安心して二号店を開きな」
ウグイスの突然の言葉にナギだけでなく、アケも驚く。
ウグイスは、形の良い眉を顰めて姉弟を交互に見る。
「だって約束なんでしょ?二人で食堂をやるって」
ウグイスの言葉にナギの心臓が激しく高鳴る。
姉様……二人で食堂をやりましょう!
かつての自分の声が頭の中を木霊する。
「あんたはあっちに戻って食堂を作って。この子を受け入れてくれる、この子のご飯を美味しい美味しいって食べてくれるような幸せを呼ぶ食堂を……」
その言葉にナギは衝撃を受ける。
つまりそれは……国を作り直せと言うことか?
アケが幸せに暮らせる平和な国を作れと言うことか?
一体……何年……何十年……いや生きている間に出来るかも分からない。
ナギは、あまりの果てしなさに打ち震えながらもそれとは別の……熱い感情に包まれた。
空になったはずの肉体と心に力が湧いてくる。
「それまで一号店とこの子は私達が守る。だから……やってきな」
「ああっ」
ナギは、刀の柄を握りしめる。
「姉と貴方……そして金色の黒狼に誓おう。必ず成し遂げると」
ウグイスは、にいっと笑って親指を立てた。
「ナギ」
アケは、一歩前に出ると手に持った包みをナギの前に差し出す。
その瞬間までナギはアケがそんな物を手に持っていたことを気付かなかった。
「これは?」
「貴方の大好きなものよ」
ナギは、包みを受け取る。
軽い。
柔らかい。
そして良い香りがする。
ナギは、包みを開き……驚く。
それは鮮やかな白と黄色が混じり合ったした雲のような卵を二枚の四角く白いパンで挟んだもの……。
「鳩の卵のパン挟み」
アケは、口元を綻ばせる。
「あの頃と少し形が違うけど……貴方の大好物でしょ。ナギ」
ナギの目が大きく震え、幼い頃の記憶が蘇る。
初めてアケと出会った時の記憶が。
絶望に満ちた孤独の中で太陽の光のように当てられたアケの優しいが、温もりが、そして出会ってからの楽しい日々が蘇る。
ナギの目から自然と涙が流れる。
パン挟みをぎゅっと握りしめ、大きな口を開いて齧り付く。何度も何度も齧り付く。
「美味しい……」
唇を震わせながらナギは言う。
「美味しいよ……姉様……」
ナギは、パン挟みを食べ続けた。涙がパンと卵に落ちて塩味が増しても食べ続けた。
「……ご馳走様でした」
ナギは、丁寧に包みを畳み、アケに渡す。
「お粗末様でした」
アケは、包みを受け取る。
「頑張ってね。ナギ」
アケは、柔らかく微笑む。
「貴方の生きる道を……幸せをここから祈っているわ」
ナギは、涙に濡れた目でアケを見る。
「姉様……」
「泣かないの」
アケは、一歩前に出てナギをぎゅっと抱きしめる。
「大きく……なったわね」
アケは、ナギの金色の髪を優しく撫でる。
ナギは、膝を突き、アケの肩に顔を埋める。
「今度は……会いにきてね」
「うん……」
ナギは、アケの肩を涙で濡らしながら頷く。
「絶対に……会いにくる……姉様……」
「私は……いつまでも貴方の姉様だから」
アケは、優しく優しくナギの髪を撫でる。
「うんっ……姉様……姉様……」
ナギは、声を上げて泣いた。
「またのお越しを……お待ちしております」
アケは、ぎゅうっとナギを抱きしめた。
ナギは、去っていった。
それから暫くして朱の鎧を脱ぎ捨てた白蛇の国の大将が折れた刀を持って戦乱を治め、怠惰に堕ちた官職を下ろし、新たに国を統一したのは別の話し。
そしてその国にどんな人種だろうと受け入れ、美味しい食事を提供する食堂が出来るのもまた先の話し。




