第99話 幸運の王に、神獣が従う
二体の神獣が北へ消えた後、戦場には静寂が残った。
その静寂を破ったのは、ブルーノだった。
「……陛下」
「何だ」
「いきなり現れた、その可愛い……角が生えた子犬は?」
兵たちの視線も、ケイスの足元に集まった。
そこには白銀の子供が、ちょこんと座っていた。
「先ほどフェンリルから念話で、しばらく預かっていてくれと頼まれたんだ」
「陛下……フェンリルと、話をされたのですか?」
「まあ、たまたまかな……」
「では、フェンリルの横にいた黒竜も……ご存知なのですか?」
「いや、きっとフェンリルの友達じゃないかな」
兵が、しばらく黙った。
それからゆっくりと、周囲の者たちと顔を見合わせた。
「……我が国の窮地に、神獣が現れるなんて……そんな、たまたまの幸運が……」
その言葉が、静かに広がっていった。
「我らの幸運の王!」
「我らには神獣の加護が……」
「黒竜様と、フェンリル様が……」
ざわめきは瞬く間に波となり、三千の兵の間を駆け巡った。
次の瞬間――鎧がカシャカシャと鳴る音が、一斉に響いた。
アーサー王国軍全員が、ケイスの方を向いて片膝をついていた。
誰かが言い出したわけではない。自然にそうなった。
(あれ……これからは"幸運の王"に神獣が加わって、"神獣を従えた幸福の王"とか呼ばれるのかな)
(これ、絶対、のんびり暮らせない展開でしょ!)
「陛下!」
ブルーノが大声で叫んだ。
「裏切り貴族軍が逃げようとしています!」
「逃がすな! 攻撃開始!」
「ウォー!!」
三千の兵が、一斉に立ち上がった。
(兵たち、張り切ってるな)
***
裏切り貴族軍は数百。
ノルド王国軍が逃げ出した今、残されたのは、ほぼ烏合の衆ともいえる。
だが全員が烏合の衆ではない。
貴族軍を指揮する強者がいた。
重厚な鎧を纏い、剣と槍をそれぞれ手に、まっすぐにアーサー軍を見据えている二人の騎士だ。
「勝った気になるのは、私を倒してからにしてくれ」
剣を持つ男の声が、戦場に響き渡る。
がっしりとした体格の、傷だらけの顔をした壮年の騎士だ。
「ヴァルケンである。ヴァルド辺境伯に仕える剣士である。他の者がどうあろうと、負け犬のように逃げるつもりはない」
槍を持つもう一人が続いた。
細身だが鋭い目つきの、若い女騎士だ。
「エリナだ。理由は同じだ」
アーサー軍の前列が、静かに左右に割れた。
ブルーノが前に出た。
フィオラがその隣に立った。
「剣士・ブルーノ。相手をしよう」
「槍使い・フィオラ。受けて立つ」
***
ブルーノとヴァルケンが向かい合った。
ヴァルケンが先に動く。速い。
巨体に似合わぬ踏み込みで、剣を横薙ぎに振るった。
ブルーノがそれを受け止めた瞬間、剣に走る重さが普通ではないことに気づいた。
(なんと重い打ち込みだ! 気を込めた剣でなければ、折れていたかもしれない)
ブルーノが押し返した。気を込めた剣で。
再び、二つの剣がぶつかり、衝撃が地面に伝わった。
周囲の兵が数歩後退するほどの衝撃だった。
「ほう……」
ヴァルケンが目を細めた。
「多少はやるではないか」
「あたりまえだ。本気でこいよ」
ヴァルケンの目が、わずかに見開かれた。
「……そうか」
ヴァルケンが構えを変えた。
「では、次は本気でいく」
次の一合は、さらに重かった。
ヴァルケンの剣が上段から叩きつけられ、ブルーノが両手で受けた。地面が沈んだ。膝が笑いそうになるのを、気の流れを整えることで堪える。
(ガイアス様にいただいた気脈がなければ、真っ二つにされていたかもな)
ブルーノは受けたまま、ヴァルケンの剣を流した。
力を逃がしながら、体を半回転させ、剣先をヴァルケンの首筋に当てた。
剣先が首筋に当たった瞬間、ヴァルケンはしばらく動かなかった。
そのまま数秒、静止していた。
やがてゆっくりと剣を下げた。
「……見事だ。最後に、これほどの使い手とやりあえて満足だ」
その顔に、清々しさがあった。
***
フィオラとエリナの戦いは、速かった。
エリナが踏み込んだ瞬間、槍がしなった。突きではなく、薙ぎだ。
フィオラが後ろへ跳び、間合いを作る。
エリナが追いかけた。槍を短く持ち、連続で突いてくる。
フィオラは後退しながら、一本一本を槍で弾いた。乾いた金属音が連続して響く。
(速い。だが……)
フィオラが足を止めた。
エリナの次の突きが来た瞬間、フィオラは槍を旋回させた。気を乗せた横薙ぎが、エリナの槍を弾き飛ばした。
「っ……!」
エリナが体勢を崩した。
フィオラの槍の切っ先が、エリナの喉元に止まった。
沈黙。
「……負けた。そのまま刺せ」
エリナが静かに言った。
フィオラが槍を引いた。
「この者たちを捕縛せよ」
(ガイアス様のおかげだな)
フィオラは静かにそう思った。
***
二人の騎士が敗れると、残りの貴族軍は一斉に武器を地面に置いていく。
「降伏する……!」
「その場に両膝をつけ!」
次々と兵たちが捕縛されていった。
ブルーノが大きく息を吐いた。
「終わった……」
フィオラが静かに頷いた。
ケイスは戦場を見渡した。
死者は出ていない。重傷者もほとんどいない。
ノエリアが負傷兵の治療に動き始めている。
その聖女の光が、朝の光の中に静かに輝いていた。
(神様、一応なんとかなりそうです)
ケイスは足元の白銀の子供を見下ろした。
子供は、戦いが終わったことに安心したのか、ケイスの足元でうとうとし始めていた。
「……お前は、呑気だな」
子供が小さく鼻を鳴らした。
「徴兵されて連れてこられた領民たちは釈放せよ。貴族と騎士はすべて捕縛。王宮に連行せよ」
「了解しました」
ブルーノとフィオラが頷いた。
(捕らえた将兵の処遇と、裏切り貴族の審問はこれからだ)
(父上に丸投げしたら怒られるかな)




