第94話 この世界のことを教えてもらった
レグニアが剣を収め、ガイアスが岩の上に腰を下ろした。
ケイスも自然と二人の近くに座った。
レオナとディアナは少し離れたところに並んで立ち、まだ言葉が出ないようだった。二体の神獣が戦う光景は、それほどのものだったのだろう。
「ガイアス」
レグニアが静かに切り出した。
「ケイスのことを話しておく。あの者は、神によって別の世界から転生してきた人間だ。神からは民を幸せにせよという使命を受けている」
ガイアスの琥珀の瞳が、ゆっくりとケイスへ向いた。
「……なるほど。道理で妙な気配がすると思った」
それからしばらく黙って、独り言のように言った。
「それにしても、黒竜を護衛に付けるとは、神も思い切ったことをするな」
「ケイスに与えられたスキルが、戦闘には向かないことと、少し変わったスキルなのが理由だろう。護衛が必要と判断されたのだと思う」
「人族の国は争いばかりしているからな。護衛が必要なのは納得する」
ガイアスが低く笑った。
その笑いには、長く生きてきた者だけが持つ、じんわりした温かさがあった。
「あのー」
ケイスが手を挙げた。
「ガイアス様、せっかくですので、この世界全体のことを教えていただけませんか。私は、自分で行ったことのある国しか知りませんので……」
「レグニアに聞けばいいだろう」
「レグニアは、人族の国には興味がないと言っていまして……」
レグニアが少し目をそらした。
否定しなかった。
ガイアスが低く笑い、岩壁にもたれかかった。
「良かろう。我は何千年も大地の底からこの世界を見てきた。人族の国の事情も、嫌というほど知っている」
***
「この世界は、海に囲まれた巨大な大陸でできている」
ガイアスが静かに語り始めた。
「その大陸には、様々な種族が住んでいる。お前たちが暮らす人族の国々、その東にはエルフの国。北には狼人族、熊人族、虎人族など、獣の血を引く者たちや、魔族、妖精族がそれぞれに国を構えている」
ガイアスは少し間を置いてから、続けた。
「大陸の高山地帯には翼を持つ天翼族の国がある。そして大陸を囲む海には、海の民が住む」
「ずいぶん広いのですね。またいろんな種族の国があるのですね」
「そうだ、広い。そして、それぞれの種族には、それぞれの特徴と生き方がある」
ガイアスは少し間を置いた。
「大雑把に言うと、人族以外の国は、国として良くまとまっていて。争いも少ない。おかげで民も、おおよそ幸せに暮らしている。金銭欲、権力欲に取り憑かれる者が少ないからだろう」
「では、人族は……」
「ダメダメだ」
ガイアスがきっぱりと言った。
「争う。奪う。強い者が弱い者を踏みにじる。そして踏みにじられた者が力を持つと、今度は自分が踏みにじる側に回る。金銭欲、権力欲に取り憑かれて、我が身を滅ぼす。その繰り返しだ」
重い言葉だった。
だが否定できなかった。ケイスが見てきたものが、まさにそれだったからだ。
「なんだか、すみません」
思わず頭を下げ、謝った。
「神は、そのダメダメ人族を、なんとかせよということなのだろうな。転生人であるお前に期待しているのだ」
(そんな大きな話を言われても、私にできるのだろうか)
ケイスが黙っていると、ガイアスが続けた。
「だからこそ、レグニアを護衛に付けたのだろうよ。一人では手に余ると」
ガイアスがケイスをまっすぐに見た。
「我も、少しだが、手助けしようではないか」
「ありがとうございます」
「礼はまだ早い」
ガイアスが立ち上がり、ケイスの前に立った。
「手を出せ」
「え?」
「いいから出せ」
ケイスが恐る恐る手を差し出すと、ガイアスがその手を包むように握った。
次の瞬間――何かが流れ込んできた。
熱くもなく、冷たくもない。血管とも神経とも違う、体の奥深くにある何か――気脈と呼ぶべき流れを通じて、大地の力がじわりと広がっていく感覚だった。
(これが……気の流れか)
数秒後、ガイアスが手を離した。
「良し、うまくいった」
「何をしてくださったのですか?」
「気の道を開いてやった。もともと人族には気脈がある。使う方法を知らないから、眠っているだけだ。我が目覚めさせておいたぞ」
「それだけで、気が使えるようになるものですか?」
「すぐには使えん」
ガイアスが首を振った。
「暇さえあれば、今感じた気を頭のてっぺんから、体の中でぐるぐると回せ。かすかな流れが、大きな流れに感じてくれば、戦いでも使えるようになる。詳しくはディアナに教わればいい」
「わかりました。やってみます」
(なんだか、のんびり暮らしが、どんどん遠のくな! 気の修行まで始めることになったし)
***
その一部始終を、離れたところから見ていたレオナが、一歩前に出た。
「ガイアス様。気の流れについて教えられているのですか? 私にも同じことをしていただけないでしょうか」
ガイアスがレオナをじっと見た。
「お前は……剣豪のスキルを持っているようだな」
「はい」
「剣に気を乗せれば、ディアナのように木剣で、岩を砕ける。もちろん、誰でもできるようにはならないけどな。やってみるか?」
「ぜひ」
レオナが迷いなく手を差し出した。
ガイアスが同じように手を握る。
しばらくして、ガイアスが目を細めた。
「……ほう」
「どうかしましたか?」
「気の通りが良い。あのぽっちゃりよりも、ずっと筋がいい」
レオナが少し顔を輝かせた。
(頑張れ、レオナ)
(俺は、あまり上達しそうにない自信がある)
「ケイス様の"ぽっちゃり"、私は好きですよ」
俺が"ぽっちゃり"を気にしているかと思い、ディアナがフォローしてくれた。
「私も気に入っておる。安心せよ」
ガイアスが続けた。
***
「ガイアス様、お願いがあるのですが」
ケイスが切り出した。
「なんだ」
「私の国に、剣の師範のブルーノと、槍の師範のフィオラという者がいます。二人にも同じことをしていただくことはできますか? ノルド王国のことが気になっていて……」
ガイアスがわずかに目を細めた。
「ノルド王国か。乱暴な奴らだからな。わかった。連れてこい」
「ありがとうございます。レグニア、頼めるか?」
「すぐに戻る」
レグニアが静かに消えた。
***
ほどなくして、レグニアが二人を連れて戻ってきた。
ぽっちゃり剣士のブルーノと、小柄な槍使いのフィオラだ。
二人は突然の瞬間移動に目を白黒させながら、周囲をきょろきょろと見渡した。
「巨大な龍脈が流れる窪地だ。そちらの方は、地竜のガイアス様だ」
ケイスが紹介すると、二人の顔色が変わった。
二人はガイアスの前に進み出て、膝をつき、深く頭を下げた。
「剣士をしていますブルーノと申します」
「槍使いをしていますフィオラと申します」
ガイアスが二人を無言で見下ろした。
「剣と槍か。……なかなか筋が良さそうだな」
「あ、ありがとうございます……!」
二人が再び頭を下げた。
「よろしくお願いします!!」
声が揃いすぎていた。
ガイアスが小さく笑い、順番に二人の手を握った。
「熱い……いや、熱くないな……なんだこれ」
ブルーノは呟きながら目を見開いた。
フィオラは無言のまま、体の奥で何かが広がっていく感覚に目を閉じていた。
「これでいいだろう」
ガイアスが手を離した。
「後は鍛錬あるのみだ。ディアナに基礎を教われ」
「はっ!」
二人が声を揃えて頷いた。
「ただし……気の力は、民の幸せのために使うのだぞ。約束せよ」
「もちろんでございます」
二人が声を揃えて頷いた。
「良し、後は精進あるのみじゃ」
ガイアスが静かに笑った。
その笑顔には、何千年も大地を守り続けてきた存在の、深い温かさがあった。
(ガイアス様も、民の幸せを願っているのだな)
ケイスは静かにそう思った。




